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戦国百人一首

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戦国時代(室町時代から大坂夏の陣まで頃)に生きた人々の辞世を100人分紹介していきます。
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戦国時代の辞世を集め、心を込めて「戦国百人一首」を作る試み

辞世とは死にぎわに残す歌や詩のこと。 仕事で歴史上の有名人についての記事を書くとき、彼ら…

北畠親房の歌 戦国百人一首98

南北朝時代に書かれた歴史書『神皇正統記』全3巻。 その著者が公卿の北畠親房(1293-1354)だ…

毛利元就の辞世 戦国百人一首97

毛利元就(1497-1571)は、安芸国(現在の広島県)の吉田郡山城を本拠地とする国人から始まっ…

安王丸と春王丸の辞世 戦国百人一首96

安王丸(1429-1441)と春王丸(1431-1441)は、父親が自害したあと捕らえられ、京への護送途中…

弘智の辞世 戦国百人一首95

弘智(?-1363)は厳しい修行の末に即身仏となった。 「即身仏」をご存知だろうか。 途中で投…

上杉謙信の辞世 戦国百人一首94

戦国武将を語るときに、この人物を忘れるわけにはいかないだろう。 信濃の覇権を巡り武田信玄…

三好実休の辞世 戦国百人一首93

室町幕府第34代管領細川晴元に仕えた、三好元長の次男として誕生したのが三好実休(1526か27-1562)である。実休は法名。その前は之虎と呼ばれていた。三好義賢としても知られるが、史料上では名として確定されていない。三好家は阿波国(徳島県)を本拠とした。 草枯らす霜又今朝の日に消えて 報のほどは終にのがれず 草を枯らす霜も今朝の陽の光に消えてしまう 最後まで報いから逃れきることなどできはしないのだ 辞世では、まるで自分は逃れることのできない「報い」を受けて死ぬのだと言

大内義隆の辞世 戦国百人一首92

戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏…

安藤九郎左衛門の辞世 戦国百人一首91

1566年、上野国の箕輪城は武田信玄の軍による総攻撃で落城した。 安藤九郎左衛門(?-1566)は…

戦国百人一首 あと十首

「戦国百人一首」もあと10首を残すことになった。 誰もそんなことなど気にしてないかもしれな…

駒姫の辞世 戦国百人一首90

戦国の世には理不尽な死も多く見られるが、彼女の死もその一つである。 わずか15歳のおいまの…

佐々成政の辞世 戦国百人一首89

武将・佐々成政(さっさなりまさ/?-1588)は、尾張国春日井郡の在地豪族の家系出身である。 …

蒲生氏郷の辞世 戦国百人一首88

織田信長に見出され、豊臣秀吉を大いに助けた戦国武将、それが蒲生氏郷(1556-1595)だ。 洗礼…

少弐政資の辞世 戦国百人一首87

1441年、播磨守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)が、有力守護を圧迫する将軍足利義教を謀殺し、その後幕府軍に討伐されて赤松惣領家は滅亡した。嘉吉(かきつ)の変である。 室町から戦国の世に生きた武将・少弐政資(しょうにまさすけ/1441–1497)は、その年に誕生した。 応仁の乱をあと二十数年後に控え、足利幕府が動揺していた時代だった。  花ぞ散る思へば風の科ならず時至りぬる春の夕暮  花が散るのは風のせいではない。 ただ春の夕暮れ時に散るべき時が来ただけだ。 「時至りぬ