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虐待サバイバー、晩年の孤独、そして気づき

※虐待の事が書かれています。フラッシュバックがある人は注意して下さい。
久しぶりに記事を書く。一時期、フラッシュバックの起こる中、哀しみと怒りと呪いと共に家族から受けた虐待の傷をここで吐き出していた。
その結果、私の身体は激しい痛みを訴えて来た。胃は縮み上がり痛みと不快感に襲われ、お腹はいつも壊し、脳みそは不安発作とパニック発作に見舞われて足元もおぼつかなくなり、駅の階段から飛び降りそうに何度もなった。
私は飛び降りたくないのに。階段から外の世界へと引っ張られそうになった。何度も、何度も。
そんな狂気の日々に疲れてしまったから記事を書くのを止めた。
そして、自分をひたすら癒す日々を送るようにした。

浮かび上がってくる負のイメージを拭い祓い、拭い祓い、首を振りながら邪悪な思考を振り落として来た。狂気に呑み込まれないように。
でも、年始から繰り返し繰り返し過去に家族から受けた虐待を思い出し、その後の自分を振り返り、記事にして来たせいで私の脳みそはさらに疲弊してしまっていた。そしてこの歳になって気付いた事、手元には精神障害と孤独と貧困しか残っていなかったことに愕然とした。

虐待を受けなくなった成人後は、そんな孤独を自分で選んで来たのかもしれないと思っていた。でも、そんな簡単な物ではないことを最近知った。家族の闇は本当に根深い。幼い頃からの家族から受けた抑圧は成人後も続くのだ。

私は親からネグレクトを受け、虐待され、義理兄、実の兄から性虐待を幼い頃に受けた。
その時、姉は離れて暮らしていた。
私がptsdを発症し、虐待の事実を再認識した時に姉にこれまでのことを告げたら、最初は申し訳なさそうにしていたけれど、私の過去の記憶が蘇る度に私は爆発して怒りにまかせて姉にその事を訴えた。
けれど姉はいつも「いつまでそんな昔のことを言っているの?」と私を責め立て、私を性虐待をした兄たちのことを一度も責めることなく、まるで私は何も聞いていません、そんな過去のことなんて知りませんと言った顔をして家族の中でそう振舞った。
私はせっかく告白したのに、姉が今まで通りの生活をしようとしているのを見て愕然とした。同じ女性なのにこれかと。

姉は今まで通り、私に性虐待した兄達の機嫌を取りお墓や仏壇は長男が見るんだからといった感じだった。本当に何も知らないという風だった。
私はその態度に圧倒され、口をつぐんだ。私が話をしたのが悪かったのかとまた自分を責めた。
お盆や正月の家族の集まりに私を虐待した奴らとその事実を知っても隠蔽しようとする家族の中に成人後も私はいた。恐ろしかった。心のどこかではいつも怖かった。それをずっと抑圧してきたのだ。
全部を一度に吐き出せなかったから、どこかで自分の本当の気持ちを分かったいなかったのだろう。

だって、冷静に考えて自分を性虐待した家族と顔を合わせながら食事をしたいと思う人間がこの世界にいるのか?
自ら進んでそんな犯罪者と食事をしたいと思う人間がいる?

いないだろう。

ずっと知らんふりの姉の態度に怒りを感じながらも、私はまだ姉だけはいつかは本当に私の味方になって欲しいと最近までその望みを捨てきれないでいた。

でも、最近気づいた。

「あ、私の家族はみんな一緒だ」と。

自分の怒りや欲求を一番下の生まれつき体の弱い私にぶつけて知らないふりをする。姉からは身体的虐待を受けなかったけれど、結局は姉からも私は精神的虐待を受けていたのだなとはっきりと気づいた。
これじゃまるでホラー映画じゃないか。なんて醜い家族なんだ。

恐ろしい事実を時間をかけてようやく飲み込んだ。姉も私を虐待をした犯罪者なのだ。家族全員から虐待を受けたということを私は最近まで認識したくなかった。だって、それじゃ自分があまりにも可哀そうじゃないか。そうでしょう?

ネグレクト、暴力、性虐待、精神的虐待。

まだ私が誰も殺していないこと褒めて欲しい。

そして、未だに家族の誰一人として私に謝罪した者はいない。

こんな私から言えることは、犯罪者とは縁を切ることだ。
家族だからって何を言っても何をしても罪に問われないと未だにそう思っている家族とは縁を切るべきだ。
何十年かけてもみ消して、外にばれないように、犯罪だと気付きながらもその罪から逃れて家庭を持ち、孫まで持っている奴ら。いまだにその犯罪者家族は一緒にお墓参りをしているそうだ。同胞の絆は固いらしい。

こんなに年を取る前に気付きたかったけれど、無理だった。
幼い頃に死ぬほど脅されて来たからだろう。抑圧、何もなかった顔、あのにやけた顔で私をみていた。あの視線。全てが抑圧で脅迫だった。

こんな家族を持った私から言えることは、そんな家族からはどんな手段を使ってでも逃げることだ。今すぐ、遠くへ、覚悟を決めて、何だったら苗字も変えるんだ。

裁判を起こしたいなら、民事でも家事調停でもおこしたらいい。これらは時効は関係ない。お金はかかる上、かなりの精神力は必要だろうけれど、支援者を募り犯罪支援団体に相談するんだ。

それが無理なら逃げよう。今すぐ、もう家族と思っちゃいけない。
そう思うから情けが出て被害を訴える機会を逃がしてしまうんだよ。
私はその機会を姉に奪われた。逆に私が脅されたのだ。

私の身に起こったこの現実はあまりにも悲しいし、どこにも救いがなく、ここには学びもない。こんな事から人生を学ぶものではない。そうしなくても人間は生きているだけで大変なのだ。生まれて老いて病に苦しんで死ぬんだ。

わざわざ犯罪から学ばなくていい。
卑劣な犯罪がない村なんて世界中いくらでもある。

何故、わざわざ地獄まで下りて行く必要がある?







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