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つれづれ雑記*衣替えは苦手、の話*

 今、季節は風薫る頃から初夏に向けて動き、街を行く人たちの服装はどんどん軽くなり、生地は薄く袖も短くなりつつある。
 
 この時季の重要な家事ミッションのひとつに、衣替えがある。
 実は、私はこれがとても苦手。

 衣替え、とは。
 季節の巡りに合わせてそのときどきの気候に合う服を出し、季節に合わない、しばらく着ないと思われる服を手入れして片付ける。
 それだけのことじゃないか。苦手って、いったい何が苦手なのか、と言われるかもしれないが。

 たとえば。
 
 今日はいい天気だ。天気予報でも、温かくなると言っている。
 もう、このタートルネックはいらないかな。このパーカーも、ちょい重めだし、もういいか。せっかくの洗濯日和、今日洗って片付けよう。
 などと思った3日後。
 寒っ。なにこれ。
 何でこんなにひんやりしてるん。
 いや、そりゃ冬ほど寒いわけやないけど、首元がスースーする。めっちゃ肩、凝りそうやん。
 あかん、また、あのタートル出してこよう。
 あーあ、せっかく片付けたのに。
 うわ、なんか雨降ってきたし、えらい風やん。パーカーもこの薄いのはあかんわ、あっちの、この前片付けたやつ、また出さなあかんやん。
 もう、せっかく洗ったのに。
  
 今夜はもう気温は下がらないとの予報。
 確かに昨夜もちょい暑かったなあ。
 もう、毛布はいらんかな。今日はええ天気やし、フリース毛布は洗っとこか。そや、この裏起毛のパジャマも一緒に。
 などと思った2日後。
 …なんか、ちょっと今日、冷えてない?
 え、このまま、気温上がらんの?
 ウソ、そしたら、夜はもっとひんやりするわけ? あかん、このパジャマやったら、寒いやん。フリース毛布も出しとかんと、明け方に冷えたら嫌やんなぁ。
 もう、せっかく洗ったのに(再び)。
  
 もちろん、季節、四季、とは言っても、そんなのは人が勝手に決めたもの。チャンネルをカチャカチャ(音がもう昭和だ)切り替えるみたいに入れ替わるわけもない。それはわかっている。わかっているつもりだけれど。
 昨今のこの、上がったり下がったりの殊更に乱暴な気候。1週間前と今週で、季節が早まったり遡ったりする。
 その日の朝にならなければ、いや、それどころか、1日の中で朝夕と昼とで気温が極端に違う日もあって、何を着たらいいかわからない。
 結果として、いつもこの時季、2つの季節のものがあちこちに同居して狭い我が家はますます狭くなる。
 まず、これがうっとおしい。
 いっそのこと、服専用の部屋があって全ての服をしまい込まずに、年がら年中、ずらりと並べておくことが出来るのなら、いいのかもしれないけど。
 
 以前に書いたかもだが、私は衣服にこだわりがない。加えて、生来の面倒くさがりだ。毎日、何を着ようかと悩みたくない。なので、だいたいいつも着るものは決まっていて。
 というか、決めておきたい。
 
 衣替えは、不要な衣服の整理をする絶好のチャンスだ。
 もう季節に合わないものを片付けるとき。
 これは今シーズン、全然着なかったなあ、そう言えば昨年も。もう着ないやろし、さよならしよか。
 これからの季節用の衣服を出すとき。
 あー、こんな服、あったっけ。これ、昨シーズン、ほとんど着てへんよね。結構色落ちもしとるし。おそらく今年も着ることないやろ。じゃ、お別れしましょ。お疲れ様でした。
 こんなふうにして、タンスや衣装ケースの中には着ない服は皆無。もちろん量は最小限で。
 ベンチはいつでもスタメン総揃えのフル回転にしておく、というのがいつか実現したい私の理想。

 しかし、この私の理想はなかなかに難しいようだ。
 なぜなら、服を合わせるべきその季節が、非常に気まぐれだから。
 いっそのこと、真冬とか真夏とか、両極端の季節ならいいのだ(ホントはよくない。暑いのも寒いのも大嫌いだ)。
 持っている服の一番温かいもの、あるいは一番涼しい服を選べばいい。そこに選択の余地はない。
 しかし、日本の四季には、その両極端の季節の合間に春とか秋とかの中途半端、もとい、過ごしやすい季節というものがあり、これを乗り越えなければ両極端の季節にはならない。
 そして、それらの季節は非常に不安定であることに加えて、毎年、同じ時季でも気温や天候が違う。寒くなるのが妙に早かったり逆に遅れたり。日が照らずにずっと雨が降っていたり。
 夏や冬はそこまで違いがあるとは思えないが(昨今の気候変動により夏が昔より暑いという話はここでは置きます)、春や秋はその年々で違う。とても、あいまいで流動的?なのだ。
 
 そのあいまいな気候に合わせてちょうどいい服を選ぶのはとても難しい。なので、同じ時季に着る服なのだけど、微妙に違う服が増えていく。
 たとえば、シャツたち。
 同じ形に見えても、その素材が綿100か混紡か、またはその割合、あるいは生地の厚み、袖の長さ(長袖半袖は言うに及ばず、肘丈とか七分丈とかいろいろありますよね)、肩や襟元のゆったり具合、着丈、などによって同じ頃に着ても、何となくスースーして寒いな、とか、何だか暑いな、とかなることはないだろうか。
 
 なので、昨年の同じ季節にはひたすらヘビロテ(ただただ新しい言葉を使ってみたかっただけです)した服が今年はなぜか出番がない、ということになる。
 
 朝起きたら、今日はなんだか微妙な気温。お日様は照ってるけど、風は冷ため? 
 えー、何を着よか。そうだ、あのゆったりしているけどちょっと襟の詰まったシャツ、あったやんね。今日はあれがちょうどいい気がする。あれ、どこ、いったっけ。
 あー、そうや、あれは買ったものの何だか中途半端で何年も着てへんかったから去年お終いにしたんやったっけ……痛恨…。
 こういうことが結構あって、悔しい思いをした。
 そして、こういうことがあるからこそ、微妙な違いのある服が処分できなくて、中途半端な立ち位置のものがだんだんと増えていく。
 結果、スタメンにはなれないが控えともつかない服が存在することになる。それが嫌なので、ただ置いておくのもなんだし、ちょっと暑いけど、あるいはちょっとひんやりするけど、我慢して着ちゃえばいいかな、などと考えてもみるが、やっぱり暑いものは暑いし、涼しすぎるものは涼しすぎる。身体に悪いことはやめたほうがいい。

 今年も、大した量でもない自分の服を前に、しばらく袖を通していない服を眺めては、処分しようか保留にするか、散々迷ったあげくに、そのまま再びしまい込むという何の進歩もないことを繰り返している。

 タンスの中はすべて今着られる服ばかり、どれも皆スタメン、という私の理想への道のりは、はるかに遠いようだ。
 
 ピカピカの黄金週間あたりから、ずっと真夏日だの遅霜だの、気温の乱高下が続いていたが、ここにきてようやく季節は落ち着く気配を見せている。
 ……と、思っていたら、今朝はまた、荒れ模様。
 うーん。このぶ厚めパーカー、どうしてくれよう。

 ところで、皆様はもう衣替え、お済みですか?
 

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