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前を向けた話

ふと、思い出す過去。

それは、私自身、トラウマになっていた話。

とある曲を聴くと、あの日の私が急に乗り移ってきて、

元気になってからも、度々心の底から、感情を吐き出してしまう
曲があった。


どうしても、な日は。

仮令それはもう1人の親友の前ですら、困らせるくらい。

というか、それを理由に
私が二次被害、三次被害を作ってしまうくらい、だったと思う。


人間やめたいって、何度思ったかわからない。

というか、何度人間をやめたかすら覚えてない。




一生、人を好きになれないって本気で思ってしまった。



一瞬、好きになりそうな人が現れた。

信じたいって思った人も何人か居たが、


その人を、私が信じることは、難しかった。


あの日の出来事が常に蘇ったから。

リアルの親友すら増やしたくないと思ってしまっていたから。



だけど



とある昼休み

同期の1人は、最近の身の上話をした。

そして、やっと耳に入った、私が心の底から、嫌になるほど
つらかった話(といっても一番のトラウマじゃ無いんだけど。)



第三者は、やっぱり、見えていたみたいだった。


私は勿論見えなかった。

1年前、2年前から、実際のところ見えなかったが

それが理由で、私はリアルの友人と繋がっていたInstagramを
使う意義を見失った。



見えないのは、私が最低最悪であるからだと。

それが最大の理由だと思っていた。

多分3割くらいは合ってると思うけど、

でも、もしかしたら。。。



その理由に気付かせてくれたのは、
その同期であった。




その理由は、当事者の関係者に見られて良いものでは
無いかもしれないから

敢えて書かないでおく。



その理由の推測は、ありきたりなものであったし、

いたって真面目な理由だった。


というか、伏線なんて、3年前に張ってくれてたじゃないか。
それが回収されただけなのである。




こんな私でも笑っても良いんだって、


ふと思うのと同時に



あの日、実習班が同じになった、
同じ名前の全く以て無関係者である彼女に対して


初対面で、同名であったがだけに、

第一印象が超絶最悪レベルの嫌悪感を抱いてしまい、

それがどうしても隠せなかった私自身を恥じた。



私の大学人生、返してくれ。。。

と嘆きたいところであるが、


私の活動人生、始めるきっかけを作った、衝撃のその人には、

頭が上がらない部分は大いにある。

そして、やっと、

自分を隠す必要なんて、無くなったような、

そんな気がした。




もう、仮面を被り続けるのは終わりにしよう。


私は活動用に作ったInstagramを開いた。

そして、
プロフィールの設定画面を開いた。



もう1人の私を産んでくれてありがとう。

もう1人の私を、認識してくれて、ありがとう。

2人の私と仲良くなってくれてありがとう。


と、思いながら、活動名義の横に、

わたしは、「私」を併記したのであった。


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