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MacBook Proと障害年金。

MacBook Proを買ってもう3年程経った。

この記事でも書いたけれども、私は障がいがあって障害年金を受給している。

それで私はMacBook Proを障害年金で買った。

元々、障害年金は申請する時から自分への「将来生きていくため」の自己投資として使うっていろんな人と決めていて、だから天神のApple Storeで思い切って買った。
言い方を変えると、社会復帰のため。
もっと言い方を変えると社会に復帰してみんなに貰ったお金の分、恩返ししたかった。

そんなMacBook Proも、私の使い方がだめだったのかカメラの上の部分のゴム?みたいなところがただれてきてしまった。

それでいろいろ考えた。


自分はこのMacBook Proに対して、ずっとすっごく距離を感じていた。

物を擬人化するのは気持ち悪いと思う人もいるかもだけれど、私にとってこのMacBook Proはもう人格が備わっているようなそんな感じにしか見えなかった。

私はパソコンとかネット関係に、当時まだまだ疎くて、なんだかいろいろ未知の世界でMacBook Proはなんだか「師匠」という感じで、すっごく距離を感じていた。

そのMacと私の「師匠」と「弟子」って関係については、もうだいぶ前に作っていたnoteのアカウントでプライベートで書いたことがあるんだけれども、もう一度書いてみた。


やっぱり自分が稼いだお金で買った物じゃないから、しばらく勉強をサボったりしたこともあった。
あったけれども、やっぱり「人様のおかねで買ったんだから」と懸命にMacを開いてまたカチカチしていた。

デザインのオンラインスクールの時も一緒だったし、それからTANOSHIKAのお仕事の時も一緒。
Photoshopで家族や大切な人にちょっとしたメッセージを書く時も一緒だった。
いつもいつも一緒で、そうしたら次第にやっと最近仲良くなれた気がする。


私が自分でもすごいなって思うのは、このMacBook Proの上に物を置いたことがなくて、それはどうしてかと言うとやっぱり「人様のお金で買った」という部分が大きかったと思う。
ぞんざいになんてけっして扱えなくて、だから家族がMacBook Proの上に本とか置こうものなら、「やめて」と毅然と言っていた。
馬鹿らしいと思う人もいるかもだけれど、それくらい必死で大切に扱っていた。

それくらい、やっぱりApple Storeで現金で払った30万の札束が…いろいろ重かったんだと思う。
あの時、現金で払っていてよかった。
震える手で渡したあの札束。
初めてあんな大金を手にした、当時21歳そこらの私。
怖くて怖くて、何にも知らないスタッフのかたが「大丈夫ですよ」って微笑ましく見てくれて、「すみません」ってなぜか謝った、あの日。
本当にいい経験だったと思う。


MacBook Proは最初すっごくツンとしていた感じがして、でも最近「〇〇!がんばったな!」って言ってくれている気がする。
もう、あの30万の元は取れたかな。

あとは、障害年金をくれた人々、それから社会に、磨いた技術で恩返しするだけ。

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