神様に心を向け続ける祝福
どんな仕事をしたらいいかわからなかった時、神様が人を通して「神を優先できるならどんな仕事でもいいじゃない」と教えてくれた。
本当の本当は ――、そんな生き方を望む私たちの背中を、神様は押してくれたようだった。
結果、事務職の仕事に就いた。
といっても、人数の関係で実質データ入力。紙の情報をデータに打ち込むお仕事だ。
だからもちろん、頭も使わない。
難しくない単純作業。
これが良かった。
頭を使わない単純作業のため、何を考えても自由だ。
何なら頭の中でずっと歌を歌いながら仕事ができる。
本当は直近の出来事に、ただひたすら泣き崩れていたかったのだが、職場なのでそうはいかない。
せっかくだし、神様に心を向けた。
つまり「主(My Lord=私の信じる神)はともにおられる」と思い続けたのだ。
すると少しずつ、ひどく荒んだ心が、神様を思う時(仕事中)だけ落ち着いていった。
もちろん家に帰ると隙あらば自分を責め、神と自分を体力の許す限り呪い続ける。
でも仕事中だけは、何とか平静を保っていられたのだ。
以後も仕事と家でギャップがある日々が続いたが、家にいる時も自然と落ち着いていった。
働き始めて3か月が経った今では、もう自分を責めたり泣いたりしないぐらいには、神様が回復させてくださった。自分を責めない者へと主が変えてくださったことが、私には本当に奇跡だ。
私は今もこの職場で働いている。
人生の嵐に遭う時、人を赦せない時、傷ついて立ち上がれない時、そんな中でも主イエス・キリストを見上げることは大切だ。
私は生まれながらに神から離れて生きる罪人だ。でも主が十字架上で私の過去・現在・未来のすべての罪のために死に、3日目に復活された。
私の罪からの救い主として主を信じる信仰のゆえに、もはや自我ではなく主の御霊(聖霊/Holy Spirit)が私の内に生きておられる。
だからこそ仕事中に神を求めた時、主の御霊により内側から変えられた(この場合は心が落ち着いた)。
主を求める時、主が豊かに私たちの内に働かれる。
そして人は、主が本来造られた姿へと変えられていく。
どうか、主からの豊かな愛と恵み、あわれみが、あなたにも限りなく与えられますように。主の御名によってお祈りします。アーメン。
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