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神様に心を向け続ける祝福

割礼かつれいを受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

聖書 ガラテヤ人への手紙6章15節



どんな仕事をしたらいいかわからなかった時、神様が人を通して「神を優先できるならどんな仕事でもいいじゃない」と教えてくれた。

本当の本当は ――、そんな生き方を望む私たちの背中を、神様は押してくれたようだった。


結果、事務職の仕事に就いた。

といっても、人数の関係で実質データ入力。紙の情報をデータに打ち込むお仕事だ。

だからもちろん、頭も使わない。
難しくない単純作業。




これが良かった。




頭を使わない単純作業のため、何を考えても自由だ。
何なら頭の中でずっと歌を歌いながら仕事ができる。

本当は直近の出来事に、ただひたすら泣き崩れていたかったのだが、職場なのでそうはいかない。

せっかくだし、神様に心を向けた。

つまり「しゅ(My Lord=私の信じる神)はともにおられる」と思い続けたのだ。




すると少しずつ、ひどく荒んだ心が、神様を思う時(仕事中)だけ落ち着いていった。




もちろん家に帰ると隙あらば自分を責め、神と自分を体力の許す限り呪い続ける。

でも仕事中だけは、何とか平静を保っていられたのだ。


以後も仕事と家でギャップがある日々が続いたが、家にいる時も自然と落ち着いていった。

働き始めて3か月が経った今では、もう自分を責めたり泣いたりしないぐらいには、神様が回復させてくださった。自分を責めない者へと主が変えてくださったことが、私には本当に奇跡だ。



私は今もこの職場で働いている。 

人生の嵐に遭う時、人を赦せない時、傷ついて立ち上がれない時、そんな中でも主イエス・キリストを見上げることは大切だ。

私は生まれながらに神から離れて生きる罪人だ。でも主が十字架上で私の過去・現在・未来のすべての罪のために死に、3日目に復活された。

私の罪からの救い主として主を信じる信仰のゆえに、もはや自我ではなく主の御霊みたま(聖霊/Holy Spirit)が私の内に生きておられる。


だからこそ仕事中に神を求めた時、主の御霊により内側から変えられた(この場合は心が落ち着いた)。




主を求める時、主が豊かに私たちの内に働かれる。

そして人は、主が本来造られた姿へと変えられていく。




どうか、主からの豊かな愛と恵み、あわれみが、あなたにも限りなく与えられますように。主の御名みなによってお祈りします。アーメン。




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