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じぶん

じぶんとしては、20年生きてみたことで、前よりはじぶんというものを知れた気でいる。
まだまだわからないことだらけだけれど、少しはじぶんの機嫌を取る方法を学んだと思っている。

ときどき、じぶんでもじぶんが何かわからないことがあるのに、他人にわかってもらうことなんてできるのかとか思ったりもする。じぶんと唯一20年間一緒にいるのはじぶんだけで、当たり前だけれど家族でさえ違う時間を過ごすことはあるのだから。

でも、じぶんをいちばん見ることができていないのもじぶんだと思う。じぶんの頭の中はじぶんがいちばん分かっているけれど、客観的な目線で見てくれるのは他人で、その客観的な目線があってこその、今のじぶんになると思う。

じぶんが、じぶんひとりでつくられたと思ってはいけない、そのために、じぶんを形作ってくれている要素のひとつとして、周りの人がいるということを忘れたくない。

じぶんのことだしじぶんがいちばんわかっているというのは嘘かもしれないなあと思う。わかっているつもりでいると、頑固になってなにも周りの声に耳を傾けることがなくなってしまうかもしれない。

これから感じることとか、関わる人とか、そういったすべてのものがじぶんをつくってくれるから、明日のじぶんは今日とまた違ったじぶんになっているはずで。ずっとじぶんのことがいちばん不思議でわからないようなわたしだけれど、たぶんそのままで、わからないままで良いのかなあと思えるときがあって、それは最後までわからないとどこかで知っていて考え続けているんだと思えるから。いつになってもわからない、と頭を悩ませたり、なんなんだじぶんは、とかある人からみれば意味の無いことを考えたり、その時にわたしがとった選択が未来に繋がるんだとわかれば別にそれもそれでいいと思う。


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