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てきとうな料理

わたしの料理はてきとうだ。
まず、高校を卒業するまでほどんど料理をしたことがなかった。やろうと思ったことがなかった。なぜと言われても特に興味がなかったし、家にいれば美味しい料理を出してもらえるし、困る要素がなかったとしか言えない。

母が短時間で作ってくれた料理があった。
すごく美味しい。短時間で作ったとは思えない。
「おいしい!!!」と言うと、「てきとうなものの方が喜ぶのなんでなん〜」と言われた。私は毎回おいしい、おいしい、と言ってご飯を食べるので作ってくれた人はすごく喜んでまた作ってくれる。私は食べる専門だった。

高校3年生のとき、大学生になったらひとり暮らしをすることが決まった。実家からは遠く離れた場所で。あまり詳しくは覚えていないけれど、最初らへんに母か祖母に言われたのがちゃんと自炊しないとね、といったようなことだったと思う。ちゃんと自炊か〜できるかな、でも食べないと生活できないし、毎回出来上がったものを買うのは憚られるなと思い、少し料理をしてみようという気持ちが出てきたのだ。

まず覚えたのは醤油、みりん、お酒。この3つを入れればだいたいのものはおいしくなるそうだ。おいしくなった。具材は今まで食べてきたものの記憶を参考に切って入れて、火を通したらなんとなく完成した。

それから、わたしはいつもてきとうに作っている。どこかご飯屋さんに行って食べたものを記憶し、こういう料理があるのだとわかったら家でその味になるように作ってみる、こういうことがよくある。たくさんおいしいものを食べてきたおかげか、なんとなく味はわかる。わかると言っても、ほかから見れば多分わかっていないのだけれど、わからないおかげかてきとうに作ったものでもおいしいおいしいと言って食べる。

ある日、時間がない朝にてきとうに作った料理があった。洗面所で準備をするその人に作ったてきとうなチキン南蛮だ。これは多分昼ごはん用に作ったもののあまりだったはず。これをあげたときに「おいしい!!!今まで作ってくれた料理の中で絶対上位には入る!」と言ってもらえた。いつかの母とのやり取りが思い出された。

今まで食べるほうばかりだったが、この2年間自分のために、大切な人のために作った料理はてきとうでありながら、「おいしい!」と言われた時の気持ちを知ることができた。自分のために作る料理はてきとうを超えているほどてきとうだが、時々自分のためだけに作ったいつもよりすこしだけ手の込んだ料理もご褒美だ。人に出すものはやはりてきとうすぎると申し訳なくなるのでなるべく丁寧に作るように心がけている。

レシピ見ればいいのではと思うことがある、でもレシピって正直面倒臭い。読まなくてもまあまあ作れるのではないかとか思ってしまう。言ってしまえば家に大さじ小さじのスプーンがない。分量もいつも目安。フライパンに醤油をぐるぐるちょん、と回し入れて、といったふうに目安でしかない。だから手順も正確な量もわからない。いつも入れている醤油の量が大さじ3なのか4なのか、わからないしたぶん、これから先もわかるときは来ない。

昨日、実家でてきとうなチキン南蛮を作った。これは前に作ったものと同じレシピだった(と思う)。ほうれん草を横に添えたのは昨日だけだったけれど。作っているところに妹がやってきてひとこと、
「それチキン南蛮じゃなくて照り焼きチキンじゃない?」
そうなのか?これはチキン南蛮じゃないのか、時間も手間もかけたくなかったからてきとうに味を似せて”揚げないチキン南蛮”として作ってきたが、これは照り焼きチキンだったのか。

まだまだわからないてきとうな料理だけれど、喜んで食べてもらえたのでこちらも嬉しい。目安の量で、色や匂いでしか味を判断していなくて、だから味見もしないが、ほぼ食べれる味なので問題はないはずだ、と思っている。


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