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3× 第三話

夜の更衣室は、店が閉まった後の静けさに包まれていた。
篠塚喜助は、他のスタッフと一緒に着替えを終え、帰宅の支度をしていた。彼は料理長に向かって一礼し、「料理長、お疲れさまでした」と声をかけた。料理長も疲れた様子で「はい、お疲れさん」と返した。
喜助は何かを料理長に手渡し、そのまま店を後にした。

料理長が手に取ったのは、辞表だった。

「ちょっと、篠塚君」と料理長が呼び止める声が、喜助の背中に届くことはなかった。

そこは、使われていない工場のような倉庫。
その外観とは裏腹に、倉庫の中は、のこぎりやとんかち、ネジなど、工場にあるような機械で溢れていた。
その中心には喜助の姿があった。
彼は設計図を見ながら、何かのスイッチのボタンを作っていた。

篠塚家のリビングでは、マキが鼻歌を歌いながら洗い物をしていた。
彼女の肩には、キャラクターの絵が描かれたバルーンが浮かんでおり、その軽やかな動きが彼女の心地よい日常を映し出していた。

喜助が帰宅すると、マキは明るく「喜助、お帰りなさい」と迎えた。
「今日遅かったわね?」マキの問いかけは、家庭の温もりを感じさせるものだった。
喜助は「ああ、ちょっとな」と答え、マキは夕食を食べるか尋ねたが、喜助は断った。
マキはプレイランドで買ってきたマイキーのバルーンを見せびらかしたが、喜助は呆れた様子で風呂に入ると言い残し、その場を去った。

それから数日後の夜、村田は電話をしながら歩いていた。
「厨房に新人のおっさんいるだろ?そう、篠塚。あいつ辞めたの知ってる?」と話していた。村田は喜助の辞表のことを話し、喜助のせいで今日忙しかったと他のバイト連中に愚痴をこぼした。

村田が自宅のドア前に立つと、何か物音が聞こえた。
鍵を開けようとするが、再び周囲を見渡す。

後ろに誰かが立っていた。
村田は「え?」と声を上げるが、頭を殴られた。

目を覚ました村田は、ガラスボックスの中にいた。
全身、粉だらけで、ガラスボックスは押しても動かない。
そこに喜助が現れ、「やっとお目覚めかな?」と言った。
村田は「お前。おい、人の家で何してんだ?」と怒ったが、喜助は「ちゃんと説明しますから」と答えた。
村田はガラスボックスから出すよう要求したが、喜助は「いや、それはちょっと」と拒否した。
あまりにも冷静に淡々と断る喜助の姿を見て、村田は恐怖を感じ始めた。

喜助は村田に付いている粉を指差し、「それ、付いてるやつ。何だかわかります?」と尋ねた。
村田はニオイで何となく想像はついた。
「から揚げ粉と片栗粉?」
喜助は「正解。1対1で混ざってます」と言い、上を指差した。
村田は上を見ると、液体がある。それは明らかに水ではない色をしている。透明ではあるが黄色い感じで、泡がボコボコとしている。気のせいかいつもより部屋の温度が高いようだ。
村田は恐れをなし、「何するつもりだ?」と尋ねた。
喜助はニヤけながら答えを出した。

「油でございますよー」

篠塚喜助の目には、冷たい光が宿っていた。
彼の手には、村田の運命を左右する倉庫で作ったボタンが握られている。
部屋の薄暗い光の中で、そのボタンが不気味に輝いていた。

「村田君、準備はいいですか?」喜助は冷たい笑みを浮かべながら、村田に問いかけた。その声は、まるで地獄の使者のように響いた。

村田はガラスボックスの中で、全身を粉で覆われたまま、自分の置かれた状況を理解しようともがいていた。しかし、彼の心は恐怖で凍りついていた。喜助の言葉が、村田の耳には死の宣告のように響いた。

「篠塚さん。これは冗談…ですよね?」村田の声は震えていた。
彼の目は、上にある油のタンクを見上げ、その中に自分の運命を映していた。

喜助はボタンに指をかけながら、村田の恐怖を楽しんでいるようだった。「冗談?私が今まで君に冗談を言ったことがありましたか?」と彼は言い、ボタンを押した。

油がガラスボックスの中に流れ込み、村田の叫び声が響き渡った。
彼の体は熱で焼かれ、もがき苦しむ姿が、喜助の目にはまるでダンスのように映った。

「おー踊ってる、踊ってる。これが君の最後にして最高の舞台だよ」と喜助は声を大にして言った。
しかしそのせっかくの称賛の声も、ガラスボックスの壁にさえぎられ村田には届かなかった。

村田の叫びはやがて弱まり、動きが止まった。
喜助は時計を見た。

「人も5分で揚がるんだな」

彼の顔には、満足の表情が浮かんでいた。

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