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鬼面仏心、人生はやさしい


人生はカヌーで川を下るような物

川の流れを利用して進んで行く

流れと共にある物

流され進みながらも、視点を目的地からずらすことなく行けば
流されて行く景色や川底、あちらこちらに人生に必要なパーツは流れてくる

そう、人生は優しいのだ



人生の泳ぎ方を知った時に、全てはその流れの中にあり
流されながら目的地を見定め調整して行く
ただ、それだけなのだと知った気がする


でも、人生の旅では時に
後ろからバチンと頭を叩かれる様に痛い事が起こる

例えば、嵐に見舞わて川が氾濫したり
長雨がちっともやまなかったり
カヌーが派手に大破したり
そんな様な進むべき方向を完全に見失う様な
不都合なこと

そう、これはそのまま
きっと人生がバチンと後ろから頭を叩いてくれているのだ

ーそっちじゃないよ、ちゃんと見なさい
と言いながら


ただただ、流され続けてしまえば大海原に知らずに辿り着き
何も出来ずにポカンとしてしまうかもしれない

そうなっては行けないでしょ?とつまりは
きっとそう言いたいのだと思う

そんな場面に辿り着いてしまった時は
ひとまず腕をまくり
とにかく考える
さあて、どの方向に進もうかと吟味をして
とにかく何日も考え続ける
でも、本当のところは考えてもどうしようもなかったりもする

そう、これは方向転換の合図
さ、パドルをしっかり握れと




人生の手堅い合図を受け
エネルギーを腹の底から振り絞って濁流の中
パドルを漕ぎ、方向転換をはかる日々は
まるで、自分の腕を試すような時間

目一杯漕いで流されない様に、次から次へとやってくる出来事を利用して流れに乗って行く

こんな時にしか起きないおかしな出来事に
次々に立て続くトラブル、そして待ったなしの重たい決断の連続

刺激を与えられながら、少しつづカーブして行くように
そして、あるべき場所へと方向を変えて行くかのように


こんなに酷く騒がしい毎日じゃ
眠れない夜だって何度でもやってくる
夜も安眠させてもらえないほどに
どう進んで行くのかと言う課題から目を逸させてはくれない

だからと言ってそれだけじゃない
時には奇跡のような救いも何度も目撃する

ーほら、こっちだよ
と人生は小さく手招きだってするのだ

出口に辿り着くその日までは
叩かれたり、悩まされたり、とことん堕とされたり
かと思えば、プレゼントをもらったり
油断していたら、また叩かれたりと毎日忙しい


それでも、知らず知らずのうちに
流れは変わって行っている


濁流に揉まれて、あちこち怪我をして
一つ一つ難問をクリアして行くと

視界が開ける地点に何度か出会い

息切れをしながら
クタクタの体で少し明るくなりはじめたような
まるで、中間地点の岩場の様な場所に来て
気づくことがある


やっぱり人生は、優しいのだなとしみじみと


何がと言えばわからないのだけど
世界が少し変わって明るく見えて
自分にフィットして行く様なそんな感覚を感じるようになるからだ

それに、ここまで自分の力で漕いで来れたのだと言う
決して言葉にはなっていない誇らしさの様な物が
新しい種から出た芽の様に
自分の中で育っているのがよく分かるようになる

もう一息越えて行くこれからの道のりもきっと大丈夫だと
あと少しで辿り着く
方向転換のポイントの完走を後押しする様に
人生からの応援に改めて気付くのだ



私は今、ここにいる
大きな岩の上

やっとここまで来たよと、少し開けたこの場所で
次の地点を目指している

ーここまで来れたなら、なかなかいいぞ
そんな風に思えるところに

髪の毛だってばさりと切って気持ちも少し新しくなった

人生にバチンと頭を叩かれた数ヶ月前から
また半分生まれ変わった様な気がしている

新しい道へ行く前に
半分だけ脱皮を済ませている虫みたいに
視界だけは良好
でも、少しまだ歩き難いかな?


新しいマシーンに乗って
新しい世界を泳ぐまで

あともう一踏ん張り
そんな気がしている


こんな経験から
人生では、答えが合っているかどうかではなく
目的を見定め
流れに乗っているかどうかなのだと知る

その流れはどこへ向かう?
その流れの先には何がある?

それが、少しでも見える気がするのなら
例え今が間違っていても、それは正解なのかもしれない

間違いも正解も名前をつけられる事なく当たり前の様に混在している
その中で、全ては流れの中に




akaiki×shiroimi


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