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【エッセイ】ちいさな自分の愛しかた


子供のころの好きだった事

草原の風

虫との戯れ

図書館のにおい

秋刀魚の焼くにおいがどこからか漂って来た夕暮れの秋

あの日ぼんやりと空を眺めながら歩いていた自分を思い出す




子育てを始めてから
小さな自分と自身の子供が2人で
私の腕を引っ張り合って、どうしようもなくなってしまう時がありました

私の子供は手を取ってあっちへいきたいとそう言うのですが
私の中の小さな私が、でも…と呟くのです

私はそんな時にあることを思い出しました

何事も興味のあることはじっくりとマイペースに
そんな私は
いつだって、少々せっかちな家族についてく中で不完全燃焼な気持ちを抱いていた事が子育てをする中でふと蘇ってきたのです

本当はもっとゆっくりと何かを眺めて感じたかったこと

そんな思いが小さな私と小さな息子の掛橋になったのです

子供のしたい事
それは意外にも自分も結構楽しめる事で
自分が楽しむ事は意外にも子供も楽しい事だったりする

だから、私はある時からちゃんとした大人の母を捨てて
やんちゃな母になろうと思いました

虫取りに出かけて、虫をこねくり回すほど観察し
ぷすっと針を指し標本にする
図書館に行き、それぞれ好きな本を手に取る

そして、私の好きな手芸やお絵描き、料理にも息子を巻き込む事にしたのです

それでも足りない自分の不足感は、こっそりケーキを食べて

息子の誘いも時には「いやだ!」
「かあちゃんはこれがしたい!」

と少しわがままを言ってみる事に

結局は付き合ってしまうにしても
この「いやだ」は結構自分に優しくしているものだと思うのです

時にかまってあげられず寂しい思いをさせる事
それは、ひとりで遊ぶ中で存分に自分の興味に向かわせる時間で才能を見つけ出しているのだと思うことだって出来るのです

実際に私がいつもひとりぼっちの時間の中で絵を描き、文章を書いて来た事が人生の財産になったように

それでも、嫌だと
いいよはバランス良くが大切だと思うのですが



私は、社会的に劣らない様にと
気張りながら生きて来た両親を見て来て
「何と戦っているのだろう」とそう思ってきました
両親には素晴らしい趣味や才能がある人たちなのに悲しいなと
両親が笑っている時が1番嬉しかったのになと

部屋なんて汚くていいし
立派な親じゃなくていい

それよりも、私は隣に座って塗り絵を一緒にして
上手に粘土細工を作る母が好きだった

だから、汚れた手で母が好きな油絵を自分のために描いていてくれたら
どんなに誇らしかっただろう

そして、無理なんかせずに
「仕方ないじゃん、そんなに上手に出来ないし」と
ただ、笑っていてくれたら
それだけでどんなに良かっただろうと大人になった今も思いを馳せます

育児を通して思い出した大切な事
今は私がそんな母になろうと思っています

おかしな母親を持った息子に謝りながらも
せめても笑顔でいたいとそう思い

独り言を呟き、歌を歌い
くだらない冗談を忘れずに自分に優しく
ちいさな私と手をとって生きて行きたいと




akaiki×shiroimi

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