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先の見えない目標を追う時に

ー永遠と続く何万枚のドアの向こうに
望む物はあるかもしれないし、ないかもしれないー

そう、言われたとしたら
無限に続くかの様な、無数のドアを開け続けられるだろうか?


もしも、ドアを開け続けた先に何も無かったら?

そのドアを開け続けられる為の理由は、今現在手にしているだろうか?

なぜ、そのドアの先を見たいのだろう?
そこまでして開けたいのだろうか?

そんな不確かな物を信じる事ができるだろうか?

形がない、目には見えない物を信じる力はどこから引っ張り出してくればいいのだろう?


それは、大きなカブを長時間掛けて抜くようなそんな感覚の様に

ちゃんとカブを収穫できるのか?
その先に、美味しいカブは本当にあるのだろうか?

途中で、引っ張った葉が千切れて地中に埋まったままのカブの姿を二度と見る事はないのではないか?
ダラダラと手を掛けて腐ってしまうのはないか?

そんな感覚ともどこか似ている


ドアの開け方をもう一度自分に問う


目には見えない目標を追ってドアを開け続けて行くと必ずこう言った類の悩みにぶち当たるものなので

こんな迷いに支配される時は、自分自身の心の動きに注目する癖をつける事がとても大切になってきます

ーいっそ、ドアに向き合う事を辞めて違う道を歩く方が適切なのではないか?ー
ーそもそも、なぜこんな無謀な事をしているのか?ー
ーこの先も続けて行くのなら、どんなモチベーションを持ち続けていけばいいのか?ー

自分自身に問いかける事はたくさんあるはずで、そのどれもが正解であり
きっと引っ掛かり一つではなく何個かあるからこそ、ドアを開けて行く事に躊躇しているのだと思います

こんな時こそ思い出すべき事があって
それは、ドアの開け方が一つではないと言う事

ただ、ドアを開け続ける事が答えになる時はもちろんあるのだけど
意外にも、ドアの開ける方法はドアの前から離れた時にこそ見えてくる時もあり


それは、ドアの前でドアノブを掴みひねる事だけが、ドアを開ける方法だと言う訳ではないと言う事です

そしてその答えがどこにあるのか?と言うのなら
大抵は胸の奥底、心の中で自分自身を足止めする要因がある事に気いたりするもので
いつからかきっと知らず知らずのうちに無視してきた問題がそこで表面化してきたのだと気づくべき事を教えてくれています


ちゃんとした視点で物事を判断する為に手を止める


だからこそ、必ず真っ先にすべき事は心のモヤモヤに従い手を止める事だと思っています

ドアを死に物狂いで開け続ける事で追い込んできた心身がボロボロの自分自身を
正常でポジティブな視点で物事を見られる状態に戻す事から始め
ドアから離れ、自分自身のコンディションを整え直して初めて心の問題に着手できるので
まずは、体と心を休める事から始めるのです

それは、花屋にいったり
自然の中で昼寝をしたり
ドライブに出かけたり、散歩をしたり
好きな物を食べ、好きな事をしたりして…

体の疲れをしっかりとり運動をし、よく眠る

そんな事を繰り返して行くと次第に体は軽くなり心は自然と上を向いてきます

自分自身が良い状態になると、少しづつ良い情報や良いインスピレーションなども受け取りやすくなり
今の自分に合った必要な物が何かを判断できる様になるのです


そして、ドアを開ける事ができなくなった理由は意外な事だったなんて事を知る事も…

こうして、またドアに向き合ってみようとそんな気持ちになれるのです



先の見えない目標を追う時の考え方


私は、無限に続く先の見えない目標を追う時に、こんなことを念頭に置いています

前を見て前進して行く事とは
止まる事、休む事、そして何度も見定めて手直しをいれる事だけではなく
トラブルや、不運、理不尽さや停滞も含めて前進だという事


それらの一件不都合に見える事も、意外にも深く探る事で本当に必要なヒントをくれている場合もあるからです
それでも、進んで行くうちに気づかずに無用なほどトラブルを避ける様になり
不運の正しい使い方を忘れて本当に物事が停滞して初めて思い出す様になるもの

ですから、トラブルはできる限り避けたいと言うのは誰でも同じだと思いますが
目の前にやってきたトラブルへはこんな風に捉え方を変えてみる事で
見えなかった事を知るきっかけになったりします


だからこそ思うのは、先の見えないドアを開け続け前進し続けるという事は
トラブルを回避し前に進む事だけが答えにはならないと私はいつも思う様にしています


どんな未来も受け入れられる様に


もしも、これまで進んできた道の先に
これまで開けてきたドアの先に
何もなかったとしても

更には、ドアの先にあるものが望む物ではなかったとしても
はたまた、ドアから離れ違う道を辿る事になったとしても

それこそがベストだと受け入れられるように
今のベストを重ね、今できる精一杯の事をしてみる

それはいつも一生懸命である事だけが答えではなく

人生と同じように七転び八起きで、夜は寝て昼は動く
そんな風に全てを受け止めて進めたら本当はいいのだと思うんです

そして、もしも本当に全てが止まってしまう事があるとしたら

それは、自分がどうするかではなく誰かがどうしたいのかに合わせてしまっている自分がいるからだと思っていて

自分はどうするのか?という事にフォーカスしなおす必要があるのだと思っています

誰かを変える事はなく、自分自身を変えて行く

そうすれば、いかなる時も前進し続けられる

そんな事を私は過去の過ちや停滞から学びました



いつかドアの先の未来の全てを受け入れられる様に
今の自分を誇りに思える様に

そんな選択を重ねていけたら、結果はどうであれこれで良いのだとそう思えるように

七転八倒、一歩進んで二歩下がり
間違いに間違いを重ねて、どこへ行くでも無くそれなりにまあいいかと思える未来に辿り着ければいいのだと思う

akaiki×shiroimi



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