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濁流に流されてきた岩

川沿いの遊歩道から眺める

豪雨で流されてきた岩や雑木

対岸の川原に白い岩が朝陽を浴びている

今までになかった

カメラを通して見ると憂いに満ちた表情をしている

上流からゴロゴロと揺さぶられながら流されてきたのだろう

不図、東京方面に住んでいたとき

秋川の川原で石などを採集している人と出会った

「石にも魂があるのですよ」

「川原のすべてにですか」

「いや、人の顏・動物の顏、時には仏像のような石もあります、それを探しています」

「集めてどうするのですか」

「供養します、雨が降った後には上流から雑木も流れてきます。いろろな表情をもっています。供養します。私の身勝手な趣味ですが、供養すれば救われたような気持になります」

50半ばの男性だった

数年経った今、私は供養までいかないが雲に限らず石や木に興味を持つようになった

家族や友人から年をとったのだ、とかこれまで歩いて来たことへの懺悔の気持ちに傾いていっているのだ、といわれる

人にはいろんな生き方がある

少し年を重ねて仏ごころが出てきたのかな

川原を見回すと材木の流れついたのがある

切株だが何かの表情がある

表情は人なのか動物なのか

見つめていると沢山の表情がある

人の手で出来たものではない

流されながら水の力にゴロゴロともまれ、いろいろなものにぶつかりながらできたのだろう

岩の眼がじっと見つめている

岩石や雑木、雲などに表情があり言霊を見るような気がする

このような状態をパレイドリア現象ともいわれている

平凡に暮らすよりも、パレイドリア現象に片足を入れていくことで心に張りがでてくるかもしれない

敢えて探すことはしない

行き当たりばったりで自然に出会えばそれでよい






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