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おじいちゃんの匂いは

枕に何を置いていいかわからないから
いきなりなんだけど
前戯なしかよって
こんな風に茶化して誤魔化しちゃいけない

けど

ここ数年、死ぬことよりも
歳をとっていくことや老いていくことへの
恐怖や嫌悪が拭えなくて

友人に
シワシワのおばあちゃんみると可愛いなあってホッコリするなんて言われると

えええ
私はエレベーターで乗り合わせたおじいさんの首の後ろの折りたたまれたシワや
首の前のシワが鶏みたいに垂れ下がっておるのを見ると
あああんな風に自分もなるのかと思うとゾッとしてしまうと

人として情けないと白状するのだけど

理屈としては
長く生きてきてシワに刻まれた日々を
敬うべきとか
人生の先輩、先達として、師として仰ぐべきと思うのだけど

なぜそれが素直に心情としてできないのだろうと
ずっと悶々としていたのだけど

この前元夫とその話をしていたら
彼が

俺は小さい時祖父母と同居していたから分かるけど
今は加齢臭って毛嫌いされてるけど
おじいちゃんの匂いってのは子供の頃は安心の匂いだった

家父長として権威を持っている人の絶対的な安心感が醸す匂いだし
爺さんの世代には戦争もあったし
今みたいにみんなが長生きできる時代じゃなかったから
その年まで生きることができた人は、死を遠ざけた人としてみんなが有難い、あやかりたいと思うような存在だったと思う

そういう人の匂いが加齢臭だった時代だから
みんなそれを安心の匂いだと思っていた

けど
今は当たり前のようにみんなが長生きするようになって
長く生きること自体が特別じゃなくて価値を持たなくなってしまったから
年寄りの存在価値も長く生きていることだけでは薄れてしまったんだと思う

だから年寄は年寄り臭いと加齢が臭いとして認識されるようになっちゃったんじゃないかな

死ぬことが遠くなってしまったから
まるで死なないみたいになってしまったから
長く生きていることにも価値を見出されないし
未体験ゾーンの高齢社会を迎えて社会保障としてどうするなんて
長く生きられなかった社会では考えられないことが社会問題になってるんじゃないかな

嘗てはみんなもっと早く死んだんだと思うよ
だから今みたいに年を取るってことはそれだけで珍しくてありがたくてみんなが大事にしなきゃって思うことだったんだと思う

生を大事にする裏側には
死の存在があるんだな

なるー
ガッテンガッテン
ビコビコボタンを押してしまう

戦争だったり飢饉だったり疫病だったり
長く生きるのは大変だったんだ
いま食べ物も良くなって医療アクセスも良くなって
長く生きる環境設定が整ったのは
素晴らしいことだけれど

じゃあこれまでの常識よりも長く生きられるようになった人類未体験ゾーンな人生を
どう生きるのかのロールモデルみたいのが
まだ確立されてないのかもしれない

定年もガンガン後退するし
年金支給はどんどん遅れるし
平均寿命も伸びるし

けど少しずつ動かなくなってゆく体や
回らなくなっていく頭で
どうやって残された時間を生きるのかってことが

若い頃の二番煎じじゃ能が無いし
結局若い頃のようには輝かないと思うし

老いることを恐れるなんて始皇帝みたいじゃん
随分と偉くなったな驕りたかぶりだと思う
GW後半のひとりドミトリーの夜に





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