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日本語の書き方を忘れた

ライターズ・ブロック

最近は論文を一生懸命書こうとしたり、noteで創作風のことをやってみたりしていますが、日本語の書き方がわかりません。

書いとるやんけって感じですよね。
この感覚、なんて言えばいいんでしょう。

私は博士課程の院生です。休学を続けてもう7年目です。
休学し続けているのも論文が書けなくなってしまったからです。
というのも、博士の一年目のある時期から自分の言葉で研究の話ができなくなりました。
自信を完全に失ったからです。

思いついたことが、それでいいんだと思えない。
だから言語化までいたらない。
無理に言葉にしても、それでいいのか自信がない。
自分で読んでもわからない。

どうやって日本語書いてたっけ

母語習得で自然に身につけた言語感覚を失っています。
論文ってどうやって書くんだ?
大学生の時にも悩まなかったのに、修士論文を書き終えた後に、これを悩みだす。

何にも考えずに当たり前にやってる習慣でも考えだすと難しいことってあると思います。
例えば、駅から自宅までの道のりが結構複雑だとします。
最初はグーグルマップに頼っていたとしても一回覚えてしまえば、
ここを右に曲がって、ここは曲がらないで直進して…、なんて考えながら歩かないですよね。

しかし、その道を前にせずに、全然別の場所で説明しようとするとき、何個目の角だっけ…?、どんな目印があったっけ…?と思い出せなかったりするんじゃないでしょうか。
単純な道ならば思い出せると思いますが、複雑だと曖昧になる。
でも毎日問題なく、行き来できるんです。

私が文章が書けないと言いつつなんで今書けるかというと、
例えば引っ越して10年ぶりにその駅に降り立った時に、その道を前にしたら記憶が徐々によみがえって、ここにはこういうお店があるとか思い出しながら歩いているような感じです。
頭の記憶というより、体の記憶でしょう。
でも自信満々の足取りというわけではなく、なんとなくふわふわしてます。

日本語の書き方を思い出す

普通のカジュアルな文章と違って、論文の書き方なんて体に染みつくほど身についていません。なので、noteのノリで、書いてみたら体が覚えていたなんてことは期待できないのです。

まだ覚え中の道のりなのに、途中で野犬が飛び出してきたり、工事中で道を遠回りさせられていたり、思うように進めなくなって、だんだん正確な道がわからなくなってしまった、というところでしょう。
博士課程の道は甘くはないのです。
肯定されることなく、その道でいいの?ということにさらされ続けます。

この道でいいのか自分でもわかりません。

論文の書き方の本を読むと、こういう内容を書く、という説明はあるけど、日本語の組み立て方なんて書いてある本には出合ったことはありません。
英語の論文のライティングの本はたくさんあるのに…。

でも日本語はそこまで型がないのかもしれません。
日本語自体が非論理的だとは思いません。
情報の表現の仕方が自由なんだと思います。

しばらく日本語を分析してみようかな…。
外国語として学ぶように覚えていくしかない。


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あかちゃん。




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