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地に足をつけた日本語

述語の出現回数

論文を書く参考に、科研費の研究概要を分析したら、述語の要素の多いこと。
特に要約のような文章だとそういう傾向がみられるのだろうと思います。

複雑な文章も、単文(述語が一つ)に分解してみると、理解しやすくなることもあります。
逆にわかりやすく書こうとするなら、単文になるように区切った方がいい可能性があります。

日本語の「場」

日本語の述語の傾向について調べていたら。「場の言語学」というアプローチを見つけました。

東京学芸大学の岡智之先生の『「場」でわかる日本語―場の言語学への招待』の論文を参照します。

まずは次の例文を見ます。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
The train came out of the long tunnel into the snow country. 

視点に注目すると、
英語は場所の外からの描写、「場外在的描写」、
日本語は場所の中からの描写、「場内在的描写」です。

ほかに興味深い記述として、
「鳥が飛んでいる」の「が」は主体、主格を示すが、「富士山が見える」の「が」は見える対象を指しているといった点を踏まえて、
「『が』の働きは、何らかの場の中で起こっている出来事において最も目立つものを指し示す」と書かれていました。

どうやら日本語は、場の中で何が起こっているかを書く表現が多いようです。
ここでの場というのは、学校や家といった具体的な場所ということではなく、どういう場面かという概念的な意味合いです。

論文の足場

わかりやすく文章を書きたいとき、主語と述語を考えようとします。
どんな主体が、どうしたのかを書こうとします。
これって日本語話者からすると実は難しいのかもしれません。

ふだん日本語で、何が/誰がどうしたなんて枠組みでしゃべっていないのです。
論文において「私が、分析しました」とは書きません。
英語の論文には"we"や"I"が出てきます。

日本語の場合、話す内容について、場が明確に想定されていると文章がまとまる気がします。
厳密なことは言語学において詳しく探究するべきですが、
日本語というのは、自覚している以上に、場に支えられている言語なのかもしれません。

何について話しているかよりも、どういう土台に立って話しているのかがわからないと、文章がなんとなくふわふわしてしまう。
日本語の意味自体はわかるけど、その文章全体としての方向性が見えてこないと理解を深めにくい。
英語論文と同じようなアプローチで書いてある日本語の科学論文がおさまりが悪いように見えるときがあるのは、こういうことなのかもしれません。
単語は理解できるけど、文章として言いたいことがわからないというのも、著者と読者で場を共有できていない可能性が考えられます。

日本語で文章を構築するというのは、段階を上がっていくように足場を積み重ねていくものなのでしょう。
文字通り地に足をつけていく意識。
堅実さを大事にしていきたいと思います。


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あかちゃん



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