見出し画像

noteに毎日投稿してたら美しい日本語への憧れが芽生えた

目標を持てなかった

自分は今までゴールのない努力をしたことがありません。
試験で点数を取るために勉強をたくさんすることはできます。
でも、きれいになるためにダイエットをするとか、絵を上手く描くためにたくさん描いて練習するとか、スポーツで強くなるためにトレーニングを積むとか、そういう、どこまでも上を目指せるような目標に向かってがんばってきたという経験がありません。

あまり、こうなりたい自分という理想をもってこなかったからだと思います。
大学まで一生懸命勉強したのに、使える英語を習得できなかった理由もそのせいなのかなと今は思います。
試験の勉強はしましたが、自分がどういう風にコミュニケーションをとりたいというビジョンはもてませんでした。
英単語をたくさん覚えても、どんな人とこんなことをしゃべりたいと、具体的に想像できていませんでした。

何かに取り組むことは面倒ではないけれど、もっと高みを目指したいという欲がないのです。向上心がないとも言う。
これを取り立てて述べる必要があるかはわかりませんが、ゆとり世代ゆえなんでしょうかね。
ギラギラした競争心もなく、のほほんと生きていると思います。

目標ができた

ただ、最近noteで毎日投稿を続けていて、もっと文章上手くなりたいなと漠然と感じるようになりました。

文章力、表現力のような類のものって、明確な評価方法もゴールもないし、自分がそんな風に思うようになったことが意外に思います。
物書きとして稼げるようになりたい、というわけでもありません。
収入を十分に得られているではないので、もっとガツガツした方がいいと思いつつ、そういう欲はないのです。

ただ、読んでいて気持ちいい文章書けるようになりたいなって思い始めました。人が読んだときに、いい印象を受ける文章。
中身に情報としての価値があることも大事ですが、どういう風に表現するか、という部分も大事です。

博士課程に入った年に、こんな風に指導教員に褒められたことがあります。

Instagramのスクリーンショット

これは何年経ってもうれしい思い出としてよく覚えているのですが、それ以上は何もありませんでした。

確かに言葉を丁寧に使うようにしている方だと思いますが、そのためにこれといった何かに取り組んだことはありません。言葉遣いについては単なる癖です。
といっても、ら抜き言葉は使わないようにするとか、「~してたんだけど」よりも「~していたのですが」と言うとか、あまり音を落とさないようにするぐらいのものです。
それでも人に褒めてもらえるのはうれしいし、人にいい印象を与えられるということの価値は大事にした方がいい。
自分のこの部分をもっと意識的に向上させてみたくなりました。

美しい日本語を使えるようになるには

人にいい印象を与えるような美しい日本語を使えるようになりたい。
これはゴールのない目標です。
そういうタイプの努力をしたことがないので、どうすればいいのかノウハウもありません。

でもまずはそう思うことから始まる、とは思います。
今までの自分は理想をもってきてなかったのですから。

目標を持つと、日常生活でアンテナが立ちます。
人と話していても、noteを読んでいても、YouTubeを見ていても、この人はわかりやすい言い回しをする、褒め方が上手、その慣用表現いいな、と気づけるようになります。

その上で、毎日noteに文章を書く。
いいものをどんどん吸収し、日頃のインプットを活かしていけたらいいなと思います。

ちょっとだけ日常が楽しくなりそうです。


お読みくださりありがとうございました。
私は現在、博士論文を書くために奮闘中の大学院生です。
皆様の応援が研究の励みになります。
よろしければ、フォロー、スキ、ご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

あかちゃん



よろしければサポートしていただけるとうれしいです。何卒よろしくお願いいたします。