赤々舎

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京都を拠点とするアートブックの出版社。 Twitter、Facebook、Instagramでも刊行物にまつわる様々なことを発信中。 書籍はこちらから http://www.akaaka.com/publishing/books/p-books.html

マガジン

  • 「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から×14のインベカヲリ

  • “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐(全3回)

    家族の日常というありきたりなテーマを扱いながら、 驚くべき緊張感と密度をあわせもった川崎祐の第一写真集『光景』。 前情報なしの現場で交された写真と言葉についての深くてスリリングな対話──

最近の記事

「大道兄弟の部屋と未知の記憶」 大道兄弟 写真展レビュー by Euiro Kim

大道兄弟の部屋と未知の記憶 Euiro Kim(キム・ウィロ) / インディペンデント・キュレーター 10年前、双子の兄弟である大道優輝と康輝は、イギリス旅行で購入したヴィンテ ージカメラで写真を撮り始めた。当時、見知らぬ土地で知人の家を訪ねた二人は、何の説明の言葉もないままに、 その空間に染み渡る家主たちの時間と生活を見て感じとった。 大道兄弟はこのような経験を「時間の蓄積」 という概念で説明し、それをもとに自分たちが生きてきた時間の断片を写真イメージの中に積み上げた

    • 「"Time Upon A Time"における瞬間の永遠性」 大道兄弟 写真展レビュー by Ducky Cho

      「"Time Upon A Time"における瞬間の永遠性」 Ducky Cho 大道兄弟(優輝と康輝)による「 TIME UPON A TIME」展に入ると、説明文が一切ないことに気づく。展示を宣伝するアカウントを見ても、大道兄弟の過去を振り返る簡単な紹介文があるだけだ。従って、展覧会について事前に情報を得ていた鑑賞者も、展示情報や展示される空間についての情報がないまま偶然立ち寄った鑑賞者も皆、似た情報を持って展示場に入場することになる。 展示は、中央面を圧倒する木の壁

      • 独自の物語をひらく

         ページをめくるたびに現れたのは、理解など到底追いつかない物語世界だった。  写されたものたちを断片的に拾い集め、歴史や文化と絡めながらここに描かれたものごとを読み取ろうとする動きは、この圧倒的な写真の前で、どれほどの意味を持つのだろうか、と思った。  そうした視座から写真を見つめることは、社会のなかで作品が位置付けられていくうえでは必要なのだろう。けれど、『物語』に見出すことのできる「朝鮮と日本」「女と男」といった要素を丁寧に紐解くことで、撮影者のアイデンティティにまつ

        • ふいの永遠はそこに

          『あたらしい窓』は、開くたび私にとってあたらしい驚きと発見をくれる。 本を手に入れると、一度読んで本棚にしまったままになることも多いのだが、この本は定期的に開くので、いつまでたっても埃をかぶることがない。 オールドな風合いの装丁とフィルムの粒子、自分次第でいつもあたらしく感じられる内容が相まって、ページをめくりながら、ちいさな永遠に落っこちてしまったような、不思議な気分になる。  この感覚を昔から知っていた気がして記憶を遡ってみると、小学生の頃に行きついた。あの頃

        「大道兄弟の部屋と未知の記憶」 大道兄弟 写真展レビュー by Euiro Kim

        マガジン

        • 「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から×14のインベカヲリ
          3本
        • “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐(全3回)
          3本

        記事

          混乱の中で

          竹内万里子  一年前のことを、少し思い出してみましょう。あの頃、私たちは日々どのように暮らし、何を思い、どんな景色を夢見ていたのだったか。それらの多くがこの一年間で、感染症の世界的拡大によって目の前で静かに崩れていきました。私たちは今なおその渦中にあり、日々夥しい数の死とその予感を抱えて生きることを余儀なくされています。これほどの未曾有の混乱の中で学生生活最後の一年間を全うし、卒業・修了作品を制作されたみなさんに、まずは心からの敬意を表します。 とりわけ混迷する時代におい

          混乱の中で

          「14のインベカヲリ★」 林叶からの14の質問(一問一答)

          前書き(林叶より) 2019年末、中国の写真雑誌『中国撮影』に、日本の写真研究者である小林美香さんが『日本写真の2010年代の展開』という文章を寄稿しました。 私はその文章の翻訳を担当し、小林美香さんのテキストを読む中で、インベカヲリ★さんの創作をはじめて知り、興味を持ちました。日本に滞在している友人に頼み、写真集『理想の猫じゃない』を購入しました。この写真集はとても興味深いものだった。中国の社会状況と日本の社会状況の差異、女性を被写体とするこの作家の思考に対する個人的な関

          有料
          150

          「14のインベカヲリ★」 林叶からの14の質問(一問一答)

          「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から 大竹昭子×インベカヲリ★ 後編

          写っている女性たちの背景がテキストで収められたインベカヲリ★の写真集『理想の猫じゃない』と『ふあふあの隙間』。 2018年10月に「ふあふあの隙間」展(ニコンプラザ東京「THE GALLERY」)会場にて行われた大竹昭子とインベカヲリ★両者の対話を通して、「撮る前に話を聞く」ということの意味を掘り下げる。前回からの続きとなる後編! カメラで変わるもの 大竹 今回はじめてデジタルカメラを使ったそうですが、そのことはどうでした?アナログとは撮るときの意識状態が変わると思うんで

          「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から 大竹昭子×インベカヲリ★ 後編

          「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から 大竹昭子×インベカヲリ★ 前編

          インベカヲリ★は、モデルの女性を募集し、彼女たちにインタビューして一緒に設定を考え撮影するという手法で制作してきた写真家です。 大胆なセッティングのもとに撮られた写真は、見るものの目を惹きつけて止まない奇異なイメージにあふれていますが、撮影した本人の印象は真逆で、状況を冷静に分析する目をもった理性派。 インベはこれまで『やっぱ月帰るわ、私。』と、『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』の三冊の写真集をだしてきました。前者が写真だけで構成されているのに対し、後者二冊にはインタビュ

          「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から 大竹昭子×インベカヲリ★ 前編

          矛盾の海へ

          竹内万里子  なにかと実用的な価値がもてはやされ、長期的視野に基づく知的営みや地道な努力がないがしろにされがちな現在の社会において、芸術を志すことは容易な道ではありません。誰もが認める「プロフェッショナル」でなければまるで失格であるかのように、極端にアーティストをとらえる人たちもいます。  しかし、本当にそうでしょうか。フランスの思想家ロラン・バルトは、プロフェッショナルと対置される「アマチュア」について、次のように述べています。「“愛好家”は、自分の享楽に連れ添って行く

          矛盾の海へ

          二十歳の頃

          竹内万里子 寄り道が導いた出会い 生きることがただただ息苦しかった二十歳の頃、今ここから唯一自分を救い出してくれるように思えたのが、旅と芸術の世界でした。大学では政治学を専攻したものの、すぐに肌に合わないと気づき、バイト代を貯めてはバックパッカーで一人旅を繰り返していました。夜行列車で北海道へ向かったり、片道50時間ほどかけて沖縄へ船旅したこともありました。旅先では名所を回るわけでも写真を撮るわけでもなく、ただ一人になりたくて、知らない街を歩き回っては他の人たちの生を垣間

          二十歳の頃

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐『光景』をめぐる対話③

          家族の日常というありきたりなテーマを扱いながら、 驚くべき緊張感と密度をあわせもった川崎祐の第一写真集『光景』。 前情報なしの現場で交された写真と言葉についての深くてスリリングな対話── 本記事は、前回からのつづきでその③、対話の終篇です。 前回までは、こちらから 意識を超えて写ってしまうものに任せたい 大竹:それともう一つこの写真集の中でとても印象的なのはお姉さんの存在です。登場回数も多いですよね。 川崎:最初から最後まで登場するんじゃないかな。 大竹:実家ではお姉

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐『光景』をめぐる対話③

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐『光景』をめぐる対話②

          家族の日常というありきたりなテーマを扱いながら、 驚くべき緊張感と密度をあわせもった川崎祐の第一写真集『光景』。 前情報なしの現場で交された写真と言葉についての深くてスリリングな対話── 本記事は、前回からのつづきで、その②です。<全3回予定> 前回までは、こちらから 撮影者とは別に写真の「語り手」がいなくてはならない 大竹:お話を聞いて、やっぱりそうだったのかと思いました。最初に言いましたよね、家族を撮る写真集はいっぱいあるのにこの本は何かが違う、何が違うんだろうと思っ

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐『光景』をめぐる対話②

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐 『光景』をめぐる対話①

          家族の日常というありきたりなテーマを扱いながら、 驚くべき緊張感と密度をあわせもった川崎祐の第一写真集『光景』。 この本はどのように作られていったのか。 川崎が思考を深めていった過程を、 彼と初対面の大竹昭子が聞きだしていく。 前情報なしの現場で交された写真と言葉についての深くてスリリングな対話。 なぜ家族を撮ったのか? 大竹昭子(以下、大竹 ):川崎祐さんにお会いしたのは今日がはじめてです。写真集も1週間前くらいにようやく到着したという具合でして、ご本人についてもまった

          “写真”の語り手とは誰なのか? 大竹昭子×川崎祐 『光景』をめぐる対話①

          写真集『浅田家』を読むこと

          『浅田家』というユニークな写真集がある。映画化され、2020年に全国公開の予定だ。二宮和也さんと妻夫木聡さんの共演も大きな話題を呼んでいる。写真家の人生を映画にすることはあっても、1冊の写真集を映画化することは珍しい。写真集という存在が、ふといつもと異なる角度で浮かび上がったようなニュースだった。  日本の写真集は、世界的にも特異な位置にある。1960年代、70年代は、まさに写真集の黄金期だった。当時は写真展示の機会が少なく、写真集こそが発表の形態であり、内容と造本が絡み合

          写真集『浅田家』を読むこと