創作における「強い女」の成功と失敗:創作のための戦訓講義60


事例概要

発端

※いわゆる「強い女」的描写がズレている、下手だなと思う時があるという話。

※ネット上で否定的に語られるアメコミ映画やハリウッド映画の、特にこの手の話はけっこう曲解されたり誤読されているケースがあるのでその辺は差っ引いたほうが良いかもしれない。まあ今回は個別の事例の有無はあまり主題ではないので。

当時の私見1

当時の私見2

当時の私見3

※上記の例は「分かり手」と呼ばれるお馬鹿さんのこと。

個人見解

入れ替えることの重要性

 今回の事例における「下手な強い女キャラ」は、パワハラ親父が性別転換しただけ、という状態をイメージされている。穏当な例えなら『ヒート』で言うところのヴィンセント刑事を女にしたような感じだろうか。よりネガティブなイメージとしては『マイル22』のジルバとかかなあ。

 個人的にはこの「パワハラ親父を性別転換しただけの下手な強い女像」の存在自体にやや疑問を抱いているが、それは後にして。仮にそうしたキャラクター像があったとしても、それはそれで大事なのではないかという視点で考えている。

 ひとつは、ある属性によって同じような振る舞いをする人物が真逆の評価を受けうる、という点だ。それこそ『ダーティハリー』のような人物が男性ならば「ルールを破ってでも自分の正義を貫く孤高の男」と評されるが、女性ならば「ヒステリックで我儘に周囲を振り回す女」と評されるような、そんな感じだ。制作側、そして鑑賞者側にあるこうした属性による評価の偏りを浮き彫りにする、という点でただ属性を入れ替えるだけ、という行為には一定の意味がある。

 またシンプルに一種の代償行為、いわば埋め合わせということも考えられる。『ダーティハリー』のような男に憧れ、キャラハン刑事というロールモデルを目指しアメリカ中の白人男性たちが銃を構えたとしよう。その結果割を食うどころか撃たれて死ぬのはマイノリティなわけだ。そういう時代が長く続いたのだから、実際に現実で人を撃つことはしないまでも、マイノリティ版キャラハン刑事が傍若無人に振る舞うところを見たい! 白人犯罪者どもを正義の裁きとばかりに撃ち殺す映画が見たい! と思ったとて不自然ではない。

 またこれらのただ入れ替えただけの「強い女」像は通過地点に過ぎないとも考えられる。まさに今回こうした批判が展開されたように、女性表象に関する批評は蓄積があるので、人物造形に問題があればすぐ批判され、アップデートされうるだろう。フィクションの男性描写が長らく有害な男らしさの価値観を蓄積してきたのに比べれば遥かに短い時間だけ、下手くそな強い女描写はそこを通過するだけなのだからまあそんなに気にするものでもないだろう、と。

下手な強い女像の個人見解

 それで今回の話題においてイメージされる「強い女」像に疑義を唱えた部分へ立ち返ろう。私が今回話題に上がった『キャプテンマーベル』などを見ていないということもあってか、発話者の中で想定され共有された「パワハラ親父を性別転換しただけの強い女像」が失敗事例としていまいちイメージできなかった。

 あらためて考えてみると、ここには焦点を合わせるポイントの差異がある。発話者たちの意識は「強い女」のうち「強い」部分により集中し、間違った、下手な強さとして「パワハラ親父」をイメージする。つまりキャラ造形として「強い」要素を見誤っている、という発想だ。

 私のイメージする下手な「強い女」像では、「女」という属性に着目することになる。つまりキャラ造形が失敗する理由は「強い」要素の取り間違いではなく、生成されるキャラクターが「女」という属性であるために出力を間違える、というイメージだ。

 ゆえに私が想起する下手な「強い女」キャラ造形はむしろ女性性と強く結びつく。家庭より仕事を取り、言葉はとにかく強く、むしろ感情的で、しかし美しい。物語のどこかで男性と恋に落ち懊悩し……。まあ要するに日本のテレビドラマに出てくるちょっと気の強い女性キャラ、くらいのイメージかな。

実例1『KATE』

 強い女像の下手な実例として何かなかったかと思い返して見つけたのがこれだ。Netflixオリジナル映画なのだが、公開前のPVの時点で、日本人の悪党を殺しまくる内容がアジア系アメリカ人に不評だったらしい。いわくこの映画は白人のフェチズムのためにアジア人を利用していると。

 そこは本筋ではないので映画を見てもらうか上記レビューブログを見てもらうとして。本作の主人公である女性殺し屋のケイトは、殺害対象を射殺する際に近くに対象の子どもがいて、その子の目の前で殺害してしまったことが動揺を誘い引退の理由になる。引退後は家庭を作ることが想定され、セックスにもネガティブではないのでベッドシーンもあり……と、要素を並べるといかにもである。

 実例というか、おそらく「下手な強い女像」について私の無意識にあった作品がこれだろう。

実例2『鴨乃橋ロンの禁断推理』

 さて実例の2つ目はアニメを最初の方しか見ていないので言及するのはどうかと思ったが、割と最近の作品の中では分かりやすい「下手な強い女」像ではあるので言及しておこうという作品だ。

 主人公の刑事の上司にあたる女刑事雨宮が問題の人物で、こちらは分かりやすく「パワハラ親父を性別転換した」ようなキャラ造形だ。それでいてイケメン探偵には「乙女の顔」をするという完璧っぷり。

 実例をふたつ並べて考えたのだが、こうした下手なキャラ造形はまず「女性キャラである」という前提から出発すること自体が失敗の元なのではないだろうか。強い女性キャラはすなわち従来と違う女性キャラということでもあり、ならば家庭より仕事だし性には奔放だよねというメカニズムで作らるならまあ納得だ。

 一方で「パワハラ親父」つまり男性性への分析が浅ければ、「強い」要素を取り間違いそのまま女性キャラに付与することもある。そして女性キャラなんだから恋には落ちる、と。

 従来の女性性から逆転した要素を持っているかと思えば普通に旧弊的な女性性も持っている、そして先進的なキャラ造形のつもりのはずなのに古臭いおっさんのようでもある。一見一貫性のないキャラ造形だが、そもそもが下手なんだから一貫性なんてあるはずがない、ということでもあるかもしれない。

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