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「お参り」の習慣が「『思うようにいかないこと』を受け入れる力」を育てる。

「朝参り」でずっとずっとお願いしていたことが叶わず….号泣した息子。「お参りに行ったって、願いが叶わない!」、「もうお参りには行かない。」としばらく休んでいました。

ですが、数日経って、またお参りを始めました。つらいことがあったけど、もう一度お参りを始めた彼の心意気を見ながら、いろいろ考えさせられています。

お願いしても無駄だと思っただろうな…と、もうお参りには行かないかな…と思っていたのですが…。そんな彼を見ていて、もしかしたら”自分が願ってることが叶うこと”だけが全てじゃないのかも…といろいろ考えています。

僕がずっとリスペクトしている写真家の星野道夫さんの言葉に、

「人生とは何かを計画しているときに起こる別のこと。」
(Life is what happens to you while you are making other plans.)

というものがあります。本当にこの言葉にはたくさん助けられてきたのですが、人生って思っていることと違うことが起こってしまう…っていうのがいつものことです。むしろ、そういうことと、どう付き合っていくのか…ってことが人生なのかも…とも思っています。

号泣したのにまたお参りを始めた息子と一緒に、氏神様やお墓さんにお参りをしていると、

「たぶん、願いが叶わなかったことも、神様が見守ってくださっているから、思っていたこととは違うけど、願っていたこととは違うけど、自分にとって1番いいことが起こっている。この状況でできることをしっかりやっていこう。」

って思えるかも知れないな…って感じています。お参りを再開した彼には、またいつかいいタイミングが来たら、そんな話をしてみようと思っています。

そんなことを考えていた時、ふと以前、ある方から教えていただいた「ネガティブケイパビリティ」の言葉を思い出していました。「ネガティブケイパビリティ」っていうのは、「不確実なこととか解決ができないことを受容する力」のこと。

もしかしたら、お参りすることは、「ネガティブケイパビリティ」の言葉のように答えの出ないことや、不確実なことなんかを捉え直す視点をもたらしてくれるのかも…と感じています。

いろいろ考えていた朝でしたが、キレイな空の下、氏神様はいつものように待ってくれていました。またこれからも息子と一緒にお参りを続けてみようと思います。

庵治石細目「松原等石材店」3代目・森重裕二



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