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建物がバタンと横倒れ…地震保険のきっかけとなった1964年新潟地震

地震で建物が倒壊……というのは、大きな地震が発生した時、報道されることが多いですよね。

では、建物が壊れず、バタンとそのまま横倒れになった映像ってみたことありますでしょうか。あじさいは後にも先にもこの1964年、東京オリンピックが行われた年の新潟地震でしか見たことがありません。

なかなか、衝撃的でした。

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ここ最近、過去の地震に関するお話をお伝えしています。
今回は、1964年6月16日に発生した新潟地震についてお伝えします。

新潟地震

発生日時:1964年(昭和39年)6月16日13時01分40.7秒
発生場所:新潟県下越沖
震源の深さ:34km
地震の規模(M):7.5
被害:死者26、住家全壊1,960、半壊6,640、浸水15,297 最大震度:5*
*当時の震度に基づく
津波や液状化による被害、石油タンクへの引火による火災(2週間継続)
(出典)新潟地方気象台 新潟県の地震(津波)被害

新潟気象台の資料によると、被害は新潟(特に新潟市)・山形県を中心として9県に及んだとされます。特に住家全壊は新潟県だけではなく、山形県でも多数報告されました。

また、地震発生後の約15分後位から津波が日本海沿岸各地を襲いました。

地震調査研究推進本部という政府の資料によると、津波の高さは、震源域付近の日本海沿岸で高く、3~5mとなりました。また、佐渡島の両津湾付近で3m前後、能登半島周辺までの沿岸で1~2mとなりました。さらに遠く島根県隠岐諸島でも水田が冠水しました。
えっ、隠岐諸島って調べてみたらなんと550㎞以上も距離がありました。

新潟地震1964

国土地理院の地理院地図に色別標高図を重ねて、凡例を加筆

もう1つのこの地震の特徴として、新潟市や酒田市等の低湿地帯から砂と水を噴き出す「液状化現象」が挙げられます。新潟市川岸町の鉄筋コンクリート4階建のアパートがそのまま傾いて倒れました(詳しくは、NHKアーカイブスの映像2:35付近から)。

リンク画像の建物ですね。形がそのままで倒れています。
こういう写真は後にも先にもこれだけしか見たことがありません。
一番最初に見たのは、たしか小学生の社会の時間。「何だ?」っと思った記憶があります。

その他にも、新潟市内では鉄筋コンクリートの建物の多くが傾いたり沈んだりしました。さらに、竣工間もない昭和大橋の橋桁が落ちたり、道路の沈下も発生しました。上図の星印付近が新潟市です。平野(低地)が広がっており、液状化による被害が多数発生していました。


地震保険の誕生へ。それは、この方のおかげ……

長年、地震保険の創設が議論されてきましたが、この地震をきっかけに、ついに地震保険の創設が行われました。
新潟出身の大物政治家といえば、そう、田中角栄氏です。
当時の大蔵大臣であった田中角栄氏のリーダーシップにより地震保険が創設されました。

「地震保険に関する法律」という法律が制定されました。この法律に基づく保険制度として、地震保険制度というのが創設されました。

実は、地震保険も57年、半世紀以上の歴史があるんですね。

おまけですが、地震保険のWEBサイトより、地震10秒診断というツールがあります。郵便番号を入力するだけで、自分が住んでいる場所で地震が発生した場合にどのくらい被災して、復旧までどのくらい時間がかかるのかすぐに分かります。

こちらのツールでは、地震保険に加入した時の概算保険料が簡単に計算できます。

興味がある方、ぜひ1度お試しください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!

あじさい


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