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私のライブラリアン

2020/08/21 08:39

 30年来の親友Rに、お誕生日プレゼントを作りました。コロナ禍で買い物にも行けないので、来月のお誕生日に何を送ろうかと考えていたところ、Rも私も大好きなほしよりこさんがインテリア雑貨メーカーとコラボされたことを知り、それは速攻取り寄せよう!と調べたら、猫村さんもびっくりしてしまいそうなお値段だったので、ちょっと真似して刺繍入りブックカバーを作ってみることにしました。裁断ミスで最初に構想していたのと違ってしまいましたが、刺繍はなかなか味わい深く仕上がったと思います。喜んでくれるといいな。




 『きょうの猫村さん』を最初に送ってくれたのは、Rでした。猫村さんに限らず、私の本棚の8割ぐらいはRが送ってくれた本で占められています。私はRのことを、密かに私のプライベート司書と呼んでいます。なんせ一緒に過ごした時間、共有する思い出が多いので、Rは私の好みを熟知しています。読書家のRが面白いと思ったもの、または、私が好きそうだと踏んで選んでくれたものは、ほぼ外れがありません。インターネットが普及する前は、活字中毒の私にとって、Rから送られてくる書籍は何よりも嬉しく、内容が面白ければ面白いほど、ゆっくり時間をかけて読もうと努めたものでした。



 こんなに恵まれてることって、あるでしょうか。書籍は重いので、送料も嵩みます。これまでどれだけ私のライブラリーのために散財させたかと思うと、申し訳なさと感謝で頭が上がりません。また、日本に帰省する際には必ずRと一緒に本屋に行きます。棚の間を縫い歩きながら、Rが、最近読んだ本のことや話題になっている本のことを話してくれます。さしづめ、ツアーガイドならぬブックガイドです。Rのガイドをもとにアメリカに持ち帰る本を選ぶひとときは、帰省中の楽しみのひとつです。



 本は子供の頃から好きでした。中学生になると、学校帰りに本屋さんに寄ることが電車通学の特権のように感じて、気分が高揚したものでした。お小遣いをもらう度に新潮文庫の赤毛のアンシリーズを買い足していきました。高校生になると、海外文学の翻訳ものを特に好んで読んでいましたが、向田邦子の作品に出会ったことで、日本人作家の小説や随筆に好みが移っていきました。



 もともと本が好きだった私が、Rと出会って気づいたことがありました。それは、自分の本を選ぶ基準が、何かに縛られていたことでした。



 小学生の頃の主な読書体験は、父や学校の先生が勧める、たとえば『路傍の石』のようないわゆる推薦図書と、学校の図書室から借りてくる本が中心でした。学校の図書室で好きだったのは、世界各国の風土や文化を紹介するシリーズもので、これを一冊ずつ順番に借りてきました。ただ、私が読むのはその中のほんの数ページだけで、それは、その国の食文化を写真と文章で紹介しているページでした。もう一冊記憶にあるのは、動物の絵がとても美しく可愛い絵本で、私はそれを繰り返し借りてはうっとりと眺めていたのでした。私は、自分が世界の地理や政治経済少しも興味がないこと、そして高学年にもなって絵本が好きなことに引け目を感じていたのです。高校生の頃に海外文学を多く読んでいたのも、歴史の教科書に出てくる名作を一冊も読んだことがないことに焦りを感じたのが理由でした。向田邦子は、私にとっての読書を、テレビや雑誌と同じレベルの娯楽に引き上げてくれた作家でした。



 Rと出会って、彼女の本を選ぶ基準が極めて自由なことに、目から鱗が落ちる思いでした。絵本は子供だけのものではないし、フードエッセイは想像力を刺激してくれる立派なひとつのジャンル。私にとって、本はあくまでもインテリジェンスへの憧れを満たしてくれる道具だったのですが、Rのおかげで心の赴くままに本を選ぶようになり、宝物のようなたくさんの本と出会いました。



 電子書籍は、英語の本を読む際には便利ですが、私はやっぱり紙の本が好きです。“密林”には本当にお世話になっているし、どんなところでも“密林”さえあれば生活できると思うほど頼りきってしまっていますが、本屋さんは大好きだし、Rとの本屋デートができなくなったら困るのです。

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