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小説で行く心の旅③ 「虫のいろいろ」尾崎一雄

小説で行く心の旅、三回目は第5回芥川賞(1937年)を「暢気眼鏡(のんきめがね)」で受賞した
尾崎一雄さんの短編小説「虫のいろいろ」を
ご紹介します。この作品は1948年に「新潮」に発表
されました。3月に入り啓蟄も過ぎ、虫が動き出す
この時期に、ぜひご覧頂き楽しんで頂ければと思います。
※「新潮」は新潮社が1905年に創刊した文芸誌
※「尾崎一雄全集」3(筑摩書房1982年発売)より
 

尾崎一雄さんは1899年三重県生まれ。
早稲田大学文学部卒、学生時代より志賀直哉さんに
師事していました。戦時中に胃潰瘍で長い闘病生活を送り、その中で得た苦しみをユーモアに変える表現力が高い評価を得ています。
1937年「暢気眼鏡」で第5回芥川賞を受賞。

岩波文庫「日本近代短編小説選」昭和篇2より

【あらすじ】

※ネタバレを含みます、ご注意ください。

長い闘病生活

主人公は48歳。リウマチを患い、20年以上闘病生活
を送っています。次第に悪化し、近年身体は思うように動かず神経痛にも悩まされ、ほぼ寝たきりの生活を送るようになりました。妻や子供達に面倒を
見てもらいながら、病状は一進一退を繰り返す状況。病床の中で、人は皆死ぬとわかっていながら、
病で自分の生の時間は短くなっている事を感じ、
生と死について考えるようになります。

虫たちのいろいろ

病床で毎日を過ごしていると、部屋の小さな出来事
によく気が付くようになり、蝿や蜘蛛といった小さ
な訪問者をよく観察するようになります。レコード
で音楽をかけていた時、一匹の蜘蛛が音楽に合わせ
て踊っているように感じ虫の生態に興味を持ち、
蜘蛛、ノミ、蜂、蝿それぞれの生態に自分の死生観
を照らし合わせて行きます。
蜘蛛は長期間閉じ込められても諦めず、隙あらば
素早く脱出する賢さがある。ノミは閉じ込められ、
脱出不可能を叩き込まれると跳ねなくなり、脱出
しなくなる残念な性質である。ある蜂の種類は
身体の構造上飛ぶ事は不可能と科学的に立証されて
いるのに飛んでいる、自分が飛べないと知らないから飛べている。などを知ることによって、死に向か
い闘病生活を送っている自分は、他人からどう見え
るのか、自分自身はどう生きて行きたいのか考える
ようになります。

虫と家族と笑顔と

虫たちから色々と考えさせられていたある日、
一匹の蝿が床に伏す主人公の額に止まります。
主人公は額のシワに力を入れ、蝿の足をシワに
挟んで捕らえまますが、偶然にも珍しい出来事
なので大声で家族を呼びます。集まった妻や子供達
は、額のシワで蝿を捕らえている姿にゲラゲラと
大笑いします。最初は「どうだ、エライだろう、
おでこで蝿をつかまえるなんて、誰にだって出来やしない、空前絶後の事件かも知れないぞ」

と得意気だった主人公も7歳の二女まで
「わ、面白いな」と笑い出したのを見て恥ずかしく
なったのか、「もういい、あっちへ行け」と少し
不機嫌になり、物語の幕が閉じます。

【面白雑学   ノミの曲芸・ノミの心臓】

読後感想の前に面白いお話を一つ。
この作品には「ノミの曲芸」が出て来ます。その
名の通り、ノミを仕込んで芸をさせるショーです。
ノミのサーカスとも言われ、世界的に歴史は古く
発祥は17世紀のフランスとされ、ルイ14世も見物したと言われています。

(ノミのサーカス動画※虫が苦手な方は視聴注意)

ノミは体長3mm程度の小さな虫ですが、ジャンプ力は約30~40cm、自分の体の約100倍以上高く跳びま
す。人間なら160m以上は跳ぶ計算です。。。そんな
強力な跳力を持つノミにオモチャの車を引かせたり
する芸なのですが、跳ね回られるとあっという間に脱走するので、一番最初に芸人となるノミを跳ねさせないよう、ガラス玉の中に入れて仕込みます。最初はガラスの中で跳ね回っていても、脱出が出来ないと知るとノミは次第に跳ねなくなり、最後はガラス玉から出しても跳ねなくなってしまいます。諦めなのか認知能力が低いからなのか不明ですが、ノミの性質のようです。「ノミの心臓」という言葉をご存知の方は多いと思いますが、こんな臆病で意気地がないノミの性質から来た言葉と考えらています。
この作品で、虫の曲芸を初めて知りました。
でも、いくら虫とはいえ、これはさすがに可哀想
ですね。。。

【読後感想】

病を乗り越えた作者の、ユーモアと優しさ

作者である尾崎一雄さんは、戦時中の多難な時期に
胃潰瘍を患い、長い闘病生活を送りました。当時の
生活は貧しく、病床の中で死について深く考えたよ
うです。病を乗り越え回復した後、虫や植物の命に
目を向けた作品に変化して行ったと言われています。それだけ病気は人の心に様々な影響をもたらす
のでしょう。
私の祖母は、この主人公と同じでリウマチを患い、
長い間寝たきりで痛みに悩まされ、とても辛い闘病
生活を送っていました。人は病気になると、心も病
み易くなると言われますが、祖母は動かない身体の
不自由さ、常に感じる痛みに心が荒んでいたような
気がします。怒りっぽく、周囲に八つ当たりする
ような事も多々ありました。
この主人公のように、部屋に訪れる小さな虫の命に
目を止め、その様子を楽しむ事が出来たら、祖母の
闘病生活は少し楽になったかもしれません。
リウマチは現在でも、特効薬がない完治が難しい病気です。そういった深刻な病の闘病生活を、小さな
虫たちの滑稽な生き様でユーモアたっぷりに描き、
おかしな出来事で家族と笑い合う様子からは、
暖かな優しさを感じました。重い病気を患った尾崎
一雄さんならではの、病人を見守る優しい心と
深刻な病を明るく描くセンスが感じられる素晴らしい作品でした。
私の身近に最近大病を患った人がいるので、
この「虫のいろいろ」を贈ってみようと思います。
状況にもよりますが、みなさんの周りで病気になっ
た方がいらしたら、贈られてみてはいかがでしょうか。その際は、ぜひこの作品をお読みになって
くださいね。

長く病床に臥した主人公と一緒に、
虫たちの世界へ、心の旅をしてみませんか?

最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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