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2022年真夏の大冒険⑲ すーいすい「与那国海神祭」の思い出

内心、これが最後の与那国になるかもと思うと島でのいろんなことを思い出す。
一番楽しく燃えたのが「与那国海神祭」だ。毎年旧暦5月4日、だいたい6月後半に開催される。那覇などは開催をGWにしてるが与那国は旧暦開催を頑なに守っている。

漁師の町である久部良集落を居住地別に北組・中組・南組の3チームに分かれ、爬龍船(ハーリー)を操って「御願ハーリー」「転覆ハーリー」メイン競技の最長距離で最速のチームを競う「上がりハーリー」の3種目が本ハーリーと呼ばれる海人たちのガチな競争。
その他に女子だけの「婦人ハーリー」子供だけの「子供ハーリー」職場対抗の「職域ハーリー」が余興的に加わる。

その「職域ハーリー」には、たまたまハーリー開催期に潜りに来ていた寄せ集めチームだが、ダイビングサービスチームとして参加することができる。

南組の勇士たち

初めて参加したのが2012年。祭りがあるのを知って来島したわけでもなかった。1週間の予定でダイビングに来たらたまたま祭りと重なっていただけだった。
そんな人たちが偶然に集まって構成した急造チームの成績は、予想通りのドベ。悔しさも感じず「島の祭りに参加できて面白かった」「旅行と祭りが重なってたのはラッキーだった」くらいの気分だった。
ダイビングに明け暮れるいつもの与那国よりも、ずっと楽しかったのだ。

翌年2013年は、どうせ夏与那国に行くならハーリーに合わせようと祭りを狙って来島した。今回は少し学習してて「練習は絶対に必要」と数日前から前乗りして長期滞在者たちを中心にしてエアハーリーでタイミングを合わせたり、水の上での実践練習を経て当日に臨んだが、結果はブービー。

偶然に全国、いやUSAからも来ていたこの年のメンバーは熱量があきらかに前年と違っていた。
ブービー賞の景品をもらったりしたが、喜ぶどころか悔しさ爆発。「コーナリングはこうしなきゃダメだった」「もっと掛け声で息を合わせなきゃ」「やっぱり体力不足、最後の直線は全員がガス欠になっていた」などなど、酒を飲みながら数日は大反省会が続いた。
そこで出た総意が「来年も出よう」「各自が一年間自主練を重ねてパワーアップした姿で集まろう」ということだった。

エアーで練習中

そして2014年。さすがに去年のチームが全員揃ってというわけにはいかなかったが、島には前年の悔しさを知るメンバーたちか集合したのである。再会の挨拶はもそぞろに「今年は頑張ろうね」が繰り返される。
ダイビングが終わってもすぐにビールは飲まない。
あくまでも職域ハーリーはオマケ的なものなので、本ハーリーの練習が終わって本選手の手が空いた時に「乗って練習する?」と声がかかることもある。そうなったら即乗り込んで練習をしなきゃならないから迂闊に酔っ払うことはできないのだ。

ダイビングの空き時間も夕食時も「声を合わせなきゃ」「漕ぐタイミングを合わせるのが一番大事」「Uターンする方向を決めてた方がいい」「内側はオールを差し込んでブレーキ、外側の人だけが漕ぐほうがスムーズに回れるんじゃない?」「やってみよかー」
食事を中断して外でエアハーリーのイメージトレーニングをすぐに実行した。
「重量配分も大事なんじゃない?」「体重を申告してバランス良く配置しよう」「女子だからってウソ言っちゃダメだよ」「え、◯◯ちゃん、けっこう重いんだね」みんなが本気モードだった。マジで優勝を意識していた。

出陣の儀

そして海神祭当日を迎えた。
夜が明けきらない薄暗い集落を鐘を鳴らしながら祭りのはじまりを告げる行列が回る。
公民館長の開会宣言、伝統衣装の小学生が開会のセレモニーを彩る。テンションはレッドゾーンまでブチ上がっている。

開会セレモニー

レースは、本チームの爬龍船を貸してもらって3チームずつのタイムトライアルだ。
順番待ちの間に嫌な情報が回ってきた。今年は自衛隊駐屯チームも参加しているらしい。「それは反則じゃろ」「積んでるエンジンが違いすぎる」嫌なムードが蔓延したが、ここで誰かがキラーフレーズを叫んだ。
「あきらめるな!あきらめたらそこで試合終了ですよ」
普段ならここは笑うところだけど、誰も笑わない。安西先生も応援に来てくれたようだ。「そうだ、あきらめないぞ!ゴールまでぜんぶ出しつくそう!」

安西先生登場

そしてスタートの音が鳴った。
スタートの20漕ぎは「ハイ!ハイ!ハイ!」のリズムで高回転。
スピードが乗ったら深く大きくオールを漕ぐの作戦通りの好スタートが切れた

「すーいすい!すーいすい!」の掛け声に合わせてオールがぴったり合っている。200m先の西崎Uターンもまあまあ上手く行った。残り200m、溜まった乳酸で動きが鈍る。疲れがどっと襲ってきてオールがばらばらになり、無意識にも楽をしようという気持ちでオールの侵入角が浅くなり水を捉えられない。スピードが鈍る。

もうひとふんばりだ。「すーいすい!すーいすい!」の掛け声がボリュームアップした。またオールがぴったり合うようになった。「すーいすい!すーいすい!」の掛け声はヤケクソの叫び声に変わってゴールラインを越えた。
先行していた隣の艇をほんの少しだけ捕らえきれず無念の2着だった。

「すーいすい!」の応援
往路は背中を押し、復路は引っ張る振りで「すーいすい!」

全力を使い果たしてまともに降りることもできなかった。ボートから海中に転げ落ち、立ち上がろうにも膝が笑って立てない。
メンバー全員がゼイゼイ喘ぎながらも「やりきったねー」と満足感で微笑んでいた。

全チームのレースが終わって結果発表。1位はやっぱり自衛隊チーム。3位だった。ビール1箱をいただいた。参加賞の前年よりも、ずっと熱い夏だった。
その後、余韻に浸る間もなく西崎にダイビングに向かったのだが、その1本のことはまったく記憶に残っていない。

ゴール後の応援団

今までずっとドベだった頃は集落を散歩しても声もかけてもらえなかったのが、一変して「よく頑張ったねー」と声をかけられ、翌日舟屋で行われるウチアゲにまで招待された。
しこたま酒を飲み、色が変わった刺身を食って、今朝〆たという祝いのヤギも頂いた。ヤギ汁は想像以上に旨くておかわりまでしたら驚かれたけど、ウチアゲの儀は深夜まで続き、やがて意識をなくした。

朝にいたヤギがいなくなったと思ったら…

翌朝は無事布団の上にいたし、青タンも出来ていない。筋肉痛で体はバキバキだったけどオイタはしてなかったようだ。
まだ酒が残ってふらつく足で集落を散歩すると「おはよう」「昨日はお疲れ様」とみんなが声をかけてくれる。
ダイビングをやりに来ただけのチャラい本土の観光客から、ちょっと昇格した関係に変わっていた。

やりきった感はハンパなく、ホセ・メンドーサと闘い終えた矢吹丈の心境。燃え尽きて真っ白な灰になっていた。
その後私は後人にハーリー舟の席を譲った。
まるで学生最後の大会を戦いきったようなあの夏の数日は、かけがいのない毎日であり、今も色褪せず記憶に残っている。
海神祭の時期の来島はその後一度もしてないけど、もし行っていたとしても単なる応援の観光客ではいられないだろうと思う。「歳を考えなさいよ」「邪魔なじいさんだ」と陰口を言われようとも舟に乗りたがるだろうと思う。血が騒ぐってやつだ。

職域ハーリーには毎年参加しているようだが、私たちの3位はまだ最高位を守っているようだ。
海神祭もコロナ禍で休止していたが昨年は復活開催された。


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