見出し画像

実家終い③(母の入院)

前回、母が入院してから亡くなるまで10日ほどだったと書いた。短かったけど、濃ゆい、なんていうか怒涛の非日常だった。

始まりは、普段めったにLINEなんかしない父からの家族LINE。

「母入院した!肺炎!詳しいことは、またあとで!」

早く詳細!と送る私たちにしばらくして父から来たLINEには、酸素飽和濃度がかなり低く、かかりつけ医の勧めで大きな病院に緊急入院したとのこと、肺の炎症がひどくて、これ以上悪化したら死に至るということ、面会はできないということが書かれていた。
が、その後間髪入れずに母からも「酸素したらすごく楽になった☆」「究極のこと言われたけど大丈夫でしょ」「ご飯も食べられたよ!」「PCRも陰性!すごいでしょ」なんつって絵文字いっぱいの元気ですよん♪LINEが送られてくる。思ったより大丈夫そうな母のLINEに、「必要なものあったらすぐに持ってくよ」「退院したらうどん食べたーい」と始まって、入院先がたまたま兄の自宅に近い病院で、「窓から見えるよー」なんてすっかりほのぼのした流れから、私たち兄妹がみんな安心したのがわかった。あーよかった、後は良くなるだけじゃん。
父がそんな流れを「LINEでは元気そうだけど真面目な患者でいなきゃダメなんだよ!」とぶった斬っても、みんなで「真面目な患者て笑笑笑笑」って父の深刻さに気付かず笑うくらいに、母に本当に死が近づいてるなんて思いもしなかった。

今考えると、父からのLINEにしっかり「死に至る」と書かれているのに、どうして安心したんだろう、と思う。たぶん、「お母さんが大丈夫って言ってるから大丈夫でしょ」という謎の信頼。

(そもそもうちの親、自分たちの不調があっても基本、私たちに事後報告なのである。
父が免疫系の病気になって入院した時も、「タオルケットも自分でかけられないくらい消耗していた。あの時はもうダメかと思った」と母から聞いたのは、退院後、実家で元気に歩き回る父に会った時だ。
なんで言わないのか?
「あんたたちだって仕事とか自分の生活とかで大変でしょ」、なのである。)

大きい病院に入院してよかった。でもなんとなく、伝えておいた方がいいかな?と、翌日、直属の上司にだけ母が入院したことを伝えた。

「多分大丈夫なんですけど…」とあまり深刻そうにならないように。
もしかしたら実家に一人残された父の面倒を見に帰らなくちゃいけないかもだし。念の為に、ね。

そんな状況が一変するのは母が入院して3日目。
仕事中に鳴った父からの電話だった。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?