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いつもご機嫌でありたい(社会人8年目の仕事論)

いきなりですが、私は
小学校教諭として働いています。


本日、木曜日。疲労がピークで、何もかも
「もうどうでもいいや症候群」発動しそうなので、言語化することで気持ちを落ち着けよう大作戦。

あと一日!と思いつつ、週の始めから少々飛ばしすぎたり、行事などが重なったりすると、木曜の時点で1週間分のHPを使い果たしてしまうのです。

身体的・精神的に疲れていると、
余裕がなくなり悪循環に陥る。
ここで、負のスパイラルを
断ち切らねば、とジタバタしている自分。


別に時間が経てば
気分は上向きに戻るだろうし、
もやもやがずっと続くことは無い
単純な性格なので、
一人で「不機嫌」に漂っているだけなら
正直あまり問題ないのだけれど。

どうしてこうも、
「自分の機嫌をとることにこだわるのか」
自分の中で「急務」になっているのか、
突き詰めて考えてみた
ところ、

なんとなく言語化できそうだったので
文章にしてみます。

結局のところ、
不機嫌は周りに伝染する。
そして、一番被害を被るのが
「目の前の子ども達」


小学校教諭8年目。
自分の機嫌がいかに子ども達へ
影響を及ぼしてしまうか
ということを思い知らされてきた。
良い意味でも、悪い意味でも。
自分自身を振り返ってみても、
ほかの先生方を見てもそう。


自分の不安定さ、機嫌によって
子ども達への対応を変えてはいけない。
わかっていても、心の余裕がなくなると
普段は気にならないような
些細なことでイラっとしたり、
叱ってしまったり。指導の軸がぶれる。

また、自分の余裕のなさやコンディションは
「写し鏡」
のようなもので、
たいていそういう時は、子ども達も
落ち着かなかったりするのだ。

経験を重ねるごとに、
時には、不機嫌な私を封じ込め
演技をしてでも、なるべくいつも一定で
子どもと接することができるように
なってきたつもり・・・。
だけど・・・。

ここ最近の慣れない業務、
締め切りに追われる日々、
(「時短ハラスメント」とまではいわないけれど、)
仕事が終わらないのに
やれ「ノー残業デー」だ、「今月は〇時間超過してる」だ、
「地域の目がどう」だ、と言われ
追い立てられるように帰宅し
結果、家で持ち帰りの仕事をする、
みたいな日々が積み重なり
完全に自分のキャパを超えた。

ただ、
そんなことは、子ども達には関係ない。

いろんな事情を抱えた子ども達の
心の支えとなりたい、といつも思っている。
学校が楽しいところであってほしい。

自分が教えられること、
できることは限られているからこそ、

とにかく、毎日笑顔で子ども達を迎える。
話を聞く。心を通わせる。
冗談を言い合い笑い合う、
何があってもデーンと構えて
受け止めてあげられる
「肝っ玉かあちゃん」みたいな存在でいたい。

そのためには余裕が必要。
だからわたしは、
まずは自分で自分の機嫌をとる。

それが最終的に、
子ども達に還元されると思うから。

こうやって書いてみると、
わたしは目の前の子ども達のために
自分の機嫌をとらねば!と思っているんだな
と認識した。

ご機嫌でいることも仕事の一部。
人間相手の仕事だからこその感覚なのかな~。

当時使っていたほぼ日手帳に書かれていた
「自分で自分の機嫌をとることができてこそ
本当の大人なのよ」
的な文章に
感銘を受けた大学時代。

「置かれた場所で咲きなさい」という本の一節
「不機嫌は立派な環境破壊です」、という
言葉に衝撃を受けた社会人2年目。

あの頃よりは、成長していると信じたいけれど
まだまだ修行あるのみだなあ。

明日も笑顔で、子ども達の前に
立ちたいと思います。

聖人君主にはなれないし、
常にご機嫌は無理だけど、
ご機嫌でありたい、という気持ちは
常に持っていたい。

結局「どうありたいか」が大切だと思うから。
安定感のある人間になりたいものです。

おしまい。

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