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永遠市、14歳

その人の、その性格が決まるのってどの段階なんだろうとかよく考える。私も14歳の頃に、例えばダンスを習っていて、流行りのJ-Popを聴いていたら、多分私の人生はこんな感じじゃなかったはずとかよく考える。

私は、14歳、中学2年生のとき、amazarashiと出会った。

初めて聴いた曲は夏を待っていましただった。なにこれ、どこがサビ?と思った。次に再生した動画がなにかのライブ映像で、それが凄かった。叫ぶように歌うボーカル、それに合わせてスクリーンに歌詞が投影されて、文字が降ってくるような演出、のちに紗幕というのだと知った。曲は空っぽの空に潰されるだった。

彼らの音楽と出会ってから、出ているアルバムを貪るように聴き漁った。アノミー、虚無主義、ストレルカとベルカ、実存、性善説、出てくる言葉の一つ一つの意味を調べてはあっという間に一日が終わった。楽しくて仕方なかった。自分の考えていたことに名前がついていることや、さまざまな言葉で表現されていることが衝撃だった。ぐんぐん自分の世界が広がる感じがした。その時の私は思春期真っ只中の、健全な中学2年生だった。

当時はジュブナイル、性善説、アノミー、ラブソングが好きだった。はっきりしたメロディーと、ダイレクトに伝わる歌詞が好きだった。

夏を待っていましたの良さが分かってきたのは高校生になってからだった。爆弾の作り方とか、ポルノ映画の看板の下でとか、聴けば聴くほど好きになっていった。あとはポエジーとかアイスクリームとか、ポエトリーも大好きになった。

大学に入ってから、大雨が降って、傘がなくて、駅でひとり立ち往生をした時があった。傘を持っている人は颯爽と駅から出てゆく。ロータリーに車が止まっては、制服を着た学生がその元へ走っていった。それまでほとんど聞いたことのなかったアルバムを、なんとなく再生してみた。街の灯を結ぶだった。これは私の歌だと思った。

社会人になってからは、全く聴いてこなかった初期曲がしっくりくるようになった。さくら、光、再考、ムカデ。これが全部、ここに全部が詰まってるって思う。私の全部も、amazarashiの全部も。

大人になるにつれて、あんなに好きだった曲を避けたいと思うこともあった。辛いことがあるたび、amazarashiの曲を再生した。その度彼は、どうせ誰も助けてくれない それを分かって始めたんだろうって歌った。悔しかった。正しかったから。

私とamazarashiは半生を共にした。共にしてしまった。どうしてか、後ろめたい気持ちがあった。年をとるごとに大きくなる、私にはその感覚があった。

なんで、あの時出会っていなければ、私の人生はもっと違ってたかもしれないって思った。こんな風に縋るように音楽を聴いて、泣いて、心打たれる自分が馬鹿馬鹿しいと思った。

だけど多分それは違う、なぜなら、あの時、流行りのJ-Popではなく、amazarashiが好きだと思ったのは、紛れもなく自分自身だったから。

そう考えると、もうあの14歳の時点で、私は私だったような気がしてくる。amazarashiに出会っていても、出会っていなくても、私は私だったような気がしてくる。いや多分、そうだ。

amazarashiと私が半生を共にしたことは変えようもない事実だ。だけどそれとは関係なく、私は私として、14歳の頃から、24になった今まで、ずっと変わらない。右も左もわからないような中学生のころ、amazarashiが好きだと思ったのは私だった。好きではないのなら聴かないはずだった。好きだから聴いたんだった。amazarashiを選んだのは私だった。14歳の頃から、私は私だった。

・・・

2023年11月25日、東京ガーデンシアターにて、新しいアルバム「永遠市」のリリース公演が行われた。 

秋田ひろむの言葉は真っ直ぐだった。

「これは映画じゃなく生活。名シーンだけの人生ではいられない、名もなきすべての人たちに歌いに来ました。amazarashiです。」

彼が体調を崩して、それでもこうしてまた戻ってきてくれた。こうしてまた彼の歌う姿を、この目で見ている。この耳で聴いている。上下に動き続ける色とりどりのライトが縦横無尽に観客を照らし続けて、眩しい光が一瞬私の上を駆け抜けた。生きている、と思った。

14歳のイントロが始まった時、思わず息をのんだ。すぐに頭に無題が浮かんだ。曲が終わると本当に無題が流れ始めた。結局空っぽな僕の事。彼は、彼の中の空っぽさと、きっとたくさん向き合ったんだとわかった。おんなじだった。特にこの一年、私は私の空っぽさとたくさん向き合った年だった。おんなじだった。私もおんなじこと考えてたよ。

ライブの終盤、丁寧に言葉を選びながら、彼はぽつりぽつりと語りはじめる。

そこで彼は、最近になってようやく、一生歌い続けるってことの、入口に来たんだなと思うって話をしてくれた。
涙が止まらなかった。私もちょうどおんなじこと考えてたんだよ。amazarashiのこと、好きだって大きな声で言えないこと。だけどずっと大好きなこと。amazarashiのこと、いつまで好きなんだろうって思うこと。だけど今日も大好きだったこと。amazarashiにこうやって、いつまで助けられる人生なんだろうって思うこと。だけど紛れもなく今日も私はamazarashiの音楽とともにあったこと。それをちょっと後ろめたく思ってること。だけど腹を括りはじめたところだったこと。私の半分ぐらい、amazarashiでできてること。だって10年間ずっと聴いてるんだよ。たぶんこれからもずっと好きなこと。

格好つけたいとか、褒められたいとか、そういうところから離れて、ようやく音楽と向き合えている気がするって、最後の2曲は、そんな曲ですって言った時、さよならオデッセイとアンチノミーだってすぐに分かった。今回のアルバムで一番好きなのはさよならオデッセイだったから、彼らの中でも同じような立ち位置の曲なんだと思ったら本当に嬉しかった。MCの間も、曲が始まってからも、私はずっと泣いていた。

彼は私のために歌を歌っているという確信があった。それは彼が彼自身のために歌を歌うことが、結果的に私のためになることを知っているからだった。私は天井席にいた。だけど全部伝わった。全部、全部伝わった。一言一句、余すことなく、全て受け止めた。

一人で好きな音楽を好きでいることは孤独だ。あまり知られていない、一般的でない音楽を聴くことは孤独だ。その音楽が好きだと認めることは孤独を認めることだった。だけどその音楽が好きだと認めることができた時、この音楽が好きな自分を受け入れられた時、この音楽と生きていくと腹を括った時、私と音楽はひとつになる。

秋田ひろむの言葉を借りるならこうだ。

「amazarashiと生きてゆくと腹を括った瞬間があった。それは、そのころの私にとっては、世間一般でいうところの”幸福”や”安定”との決別と同義だった。社会的に生きてゆく術も持たず、属する場所もない私は、この星の人間ではないのだろうと感じていた。そんな私が生きてゆくにはこの地球とは別の価値観を持つ他の世界を探す必要があると思われた。そしてそれを実現できる可能性があるとすれば、唯一音楽だけがその方法たり得ると考えた。私にとっての探査機になり得ると。」

私は秋田ひろむが放った探査機に引っかかったんだ。ここで共鳴している。今日もここで鳴っている。彼が彼のために歌えば歌うほど、それは私のためになった。私は今日もここにいます。秋田ひろむへ、amazarashiへ、あの時14歳だった私は24歳になった。10年間ずっと好きだった。明日のことはわからない、だけど今日も好きだった。だから明日も好きだろうってそんなの安直すぎるかもしれない、だけどたぶん本当に好きだ。14歳の頃は14歳の良さってわからなくて、永遠市、14歳。これからもずっと聴くだろうなって思っていたけど、本当に、ようやくその入り口に来たんだなと思います。そんなライブでした。本当にありがとう。大好きです。


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