マット・ビボウと「仕事に"心"を入れること」
6年ぶりに、友人のマット・ビボウと再会しました。
世界で最も成功していると言われたコミュニティムーブメント、米国ポートランドの CITY REPAIR(シティ・リペア)http://www.cityrepair.org/ のリーダーとして長年活躍し、自らが運営する森のようちえんや、IPEC(子どもたちのためのパーマカルチャー教育協会)代表として忙しくしていたマットと、イタリアでお茶の時間。
ほんの1時間だったけれど、友達と近況報告しあうって大事な時間。ありがたい気づきをたくさんもらったなあと思っていたら、タイムリーなことに、6年前、日本でマットと開催した「子どもたちのためのパーマカルチャー教育ワークショップ」のときの日記が出てきました。
読み直してみれば、今なお新しい気づきの数々。
こちらに転記しておきます。
以下、2016年9月の日記より:
私は通訳として参加し、詩的なマットのお話を必死に訳しました。実際的な話なのに、主語が飛んだり、体現止めがあったり、俳句かっ、てほどの情感的な話し方。どれだけかって、訳しながらなぜか、ヨーダさまの顔が頭の片隅に浮かびっぱなしだったほど!笑
そんな中ではありましたが、印象に残ったことをいくつか書き留めておきます。
・大事なのは、すべての仕事に「心」が入ること。社会をつくる上でそれ以上に大切なことはないと思う。それが欠けてしまっていることが、世界の諸問題の原因かもしれない。自分が今の仕事を選んでいるのは、この仕事になら存分に「心」をそそぐことができるから。
・僕の仕事は、子どもにパーマカルチャーデザインを伝えること。そして、それができる大人の仲間を増やすこと。
・大人は学びを記憶し、知識にする。子どもは遊びや体験を自分の土台にする。子ども時代にできる自分の土台は、一生その人とともにある。だから、パーマカルチャーを子どもに伝えようと思うとき、言葉は少なくていい。大人は、メッセージのすべてを、活動の中に組み込もうと努力する必要がある。
・「自然の中で育つ」ことと、あとから学校で「自然を学ぶ」ことは大きく違う。自分は幸いにもアウトドア好きの両親のもと、子ども時代の長い時間を屋外で過ごした。だから、大学院の環境工学で学んだことの多くは、すでに自分の中にあるもとを思い出すような作業だった。「なんとなく知っていること」を体系化し、誰にでもデザインしうるものにする作業はとても大切だと気がついたのは、大学院のおかげ。
・全米で有名なトラッカー(森の中でみつける足跡から動物を追跡できる人たち)の友人がボツワナに行ったときの話が面白い。「あなたたちはどうやってトラッキングの技術を学んだのか?」という質問に、彼らは「どういう意味かまったくわからん。なにを聞いているんだお前は」と怪訝な顔。自然の中での立ち居振る舞いや鋭い直感は、彼らの育ちの中で自然と身に付いたものであり、勉強したものではなかったから。
ワニの住む川に躊躇せず入る彼らに「ワニがいないとどうしてわかる?」と聞いても、チーターが出る森で「どうやって出会わない道を決めているのか?」と聞いても、彼らには答えることができない。葉のざわめきや鳥の声、周囲のすべての要素を肌で感じながら、次に自分がどう動くべきかを直感で判断する力は、すべて彼らの育ちの中で育まれたものだったのだ。
・そういった子ども時代からの自然からの贈り物を、今の人間は捨て去ってきた。自然とのつながりを持たない子どもがどんどん大人になっていく。それがどんな社会をつくることになるか、注意深く見ていかなくてはと思う。
・自然との関わりが途絶えたなかで子どもが育つこの時代、集中が続かなかったり、自分で動きのコントロールができなかったりする子どもが増えている。そんな発達に少々のでこぼこがある子どもたちにラベル付けをする大人も増えている。重度の障がいがある子どもと同じクラスに入れたり、病院に通わせたりという誤診が相次いでいると思う。彼らに必要なのは薬や行動の制御ではなく、自分にぴったりのWORKができる場所なのに。
自然のなかなら、畑作業なら、どんな子どもにもぴったりの仕事がある。その意味でも、アウトドアの学び場の存在意義は大きい。
・世界中の都市で、自然の中で学ぶことの意義が見直されはじめている。昔はほっといても体験することができた自然とつながる時間は、今、都市では大人がデザインしなくてはいけないものとなった。森のようちえんや、Edible Schoolyard(小学校での食育菜園)運動は有名だが、個人的には、子どもが育つ環境のデザインは乳児からはじめなくてはいけないと思う。
・10年前、「自然とつながるための教育が必要だ」という問題意識から Place Making (空間を"居場所"に変える場のデザイン)をはじめた。園舎は本当に必要なのか?という根源的な問いを妻が立て、Mother Earth Schoolという園舎のない農園幼稚園をはじめた。雨の日は全身カッパで外遊び、雪の日も帽子と手袋で外遊び。シュタイナー教育のトレーニングを受けたスタッフたちが、体験をとおして子どもと自然が出会う場作りをしている。
4歳までの学び場だったが、支持する親が増えて数年で6歳までの子どもたちを受け入れる場となった。全米から見学者が集まるようになり、教育者トレーニングもはじめるようになった。
・小学校になるとなおさら、保護者も、教育者も、既存の教育に何かが欠けていることに気がつくようになる。既存の小学校で、学校の校庭に大きな畑をつくり、屋根のあるアウトドアキッチンをつくり、ガーデンクラスを行うにはどうしたらいいか。
カリフォルニアでもポートランドでも、種をまくところから小麦を育て、収穫して粉にして、発酵させてピザを焼くような食育はもちろんのこと、他の教科にも横断的にアウトドアの学び舎が使われるようになりはじめている。
同じ算数を学ぶのでも、教室と教科書からかけ算を学ぶのと、土壁のオーブン作りに必要な砂と土の比率を計算して、手足を使って練る体験と、どちらが子どもたちの中にしっかり残るかは明白。
・まずは熱心な保護者と教師でチームをつくり、アウトドアガーデンのプロジェクトをはじめたいと学校長や行政に直談判する必要がある。この直談判は、必ず(教師ではなく)親の側からいくこと。校長先生に、親をクビにする権限はないからね。笑
・アイディアと人をそろえるところまではできても、「偉い人」を説得するのがいちばん大変。だから、ご参考に、ぼくがとった方法を紹介したい。
・学校変革のアイディアをもつ親と教師のチームで、カリフォルニアの視察ツアーをつくった。アリス・ウォーターズがはじめたバークレーの中学校も訪れ、とにかく写真を撮りまくった。目的は、すでに世界で起りはじめている成功の語り部になることができる人をチーム内にたくさんつくることと、偉い人たちの説得。
幸い、チーム内に、教育委員会のお偉いさんや地元議員などの知り合いが多い仲間がいて、このツアーへの参加からそういった人たちに声をかけることができた。参加できなかった「偉い人」たちは、地域に戻ってから主宰した報告会に招待した。
こういった報告会に「偉い人」たちがいることは、関心が強くなかった先生たちの気持ちを変えるのにも効果的。「あ、なにか重要そうだぞ」という意味で。そして、偉い人たちが弱いのは「見てください。他の地域ではもうこんなに進んでいます(遅れをとってもいいんですか?)」という実例紹介。だから、たくさん写真を撮ったんだ。
・「じゃあやりましょう」ということになったとき、次にぶつかるのが乗り気でない先生たちの説得。畑をつくるところまではいいけれど、屋外での授業は天候に左右されるため、つねに2種類のレッスンプランをたてないといけない。すでに忙しい先生にそれを強いるのは難しいから、となると、アウトドアにも屋根がある学び場が必要だと気がつきます。
・じゃあ、屋根つきのアウトドアキッチンをつくろう、と決まって、次にぶつかるのが、予算の壁。これを超えるのに必要なのが、コミュニティーの力です。
僕たちは、学校の1クラス全員がゆうに入ることができる、畑のわきの屋根つきスペースをつくりました。プロの工務店に頼んだら、100万円どころか1000万円かかる作業で、当然、学校にそんな予算はありません。僕たちは、この問題を、大工しごとができる親たちをボランティアで集めることでクリアしました。材料費と少々のビール代、約40万円で、屋根に苺などのグリーンが茂るすばらしいものをつくることができた。
副産物としてすばらしいのは、こうした作業をとおして子どもの教育の質が変わるだけでなく、大人のコミュニティーも形成されること。
・そう、パーマカルチャーデザインはいつも、「問題を解決に転換する。それも、できれば愛をもって取り組むことで、複数の課題を同時に解決する」ことを目指しているのです。
・学校に巨大な畑をつくっても、その後の維持ができずにつぶれたところもあれば、うまくいっている場所もある。うまくいっている学校に共通しているのは2つ。1)ガーデン内に屋根のあるスペースがあること、2) 先生と親たちがチームとなって取り組んでいて、立ち上げ時代の親子が卒業しても、次世代に引き継がれるオープンな組織となっていること。
・ポートランドで同時多発的に、教育現場や町づくりでコミュニティーデザインが起こり、注目されているのは「City Repair」という非営利組織の存在が大きい。
思いある仲間で集まり、アイディアを出し、磨きをかけ、偉い人を説得して、予算と人手を集め、実行し、その過程で人の繋がりを生む。助言したり、紹介したり、場合によってはトレーニングを施すことで、そんな一連の流れをサポートする団体です。
たとえば、ある地域に「この近所には人が集う場所がないよね」と感じる大人たちがいたとする。シティーリペアに相談にいくと、ベンチ設営の場の交渉ができる相手を紹介し、ベンチ作りワークショップの指導ができる人を紹介し、その活動をイベント化して、ボランティアで参加できる人を募るまでのアドバイスをくれる。
無償で作業に参加するほうにも、いくつものメリットがある。「今週末は○○エリアでベンチ作り、△△エリアでは学校菜園作り、□□エリアではコンクリートの地面をはがして花壇に買える活動がボランティアを募集している」という告知を見て力を貸すと、同じ関心を持つ仲間に出会え、技術を学ぶことができる。
・学校菜園づくりも、今や流行中だから、面倒な行政との交渉や校長とのやりとりの多くをシティリペアが集約し、「いまオレゴン州では40もの学校菜園プロジェクトが同時進行しているんですよ」とかけあう。ほら、偉い人は遅れをとるのが嫌いだからね。笑
そして、40のプロジェクトの進捗がわかるタイムラインをポータルサイトにまとめているから、今週末はどの学校でどんなボランティアを募集しているか、参加したいほうも一目でわかる。材料も皆で一括購入すれば、費用を大幅に削減することができる。
・僕が今日話したことを処方箋にして、そのとおりにやれば皆の地域でも成功する・・・ということは決してあり得ない。だから、それぞれに解釈して、いいところを参考にして、皆さん流にムーブメントを起こしてほしい。
・世界のどこにいても活動に大事なのは、1)最初に、活動仲間と大きなVisionを共有し、ボランティアワークの代償として小さくてもRecognition(お礼)をする、2)手が届く小さなところから活動をはじめて、徐々に大きくしていく、3)いまここで誰にも参加することができる直近の計画を持ち、同時に、最終的にはなにを描きたいのかという中長期的なプランも持っておく
・そしてなにより大事なのは、あなたがいま取り組もうとする仕事に「心」があるのか、ということ。私たちは、子どもたちに働きかけることをとおして社会をつくろうとしているのだから。
・畑に招待しても横を向くような子どものヤル気を引き出す方法?僕はいつも、サプライズを用意しようとする。淡々としたシンプルな作業を経て、どんなサプライズがでてくるか?発酵仕事なんかは、やりやすい例ですね。
他には「きみにしかできない特別な仕事があるんだけど」と誘う方法。場合によっては、クラス終了後もその子にでけ残ってもらうのもいいと思う。
もし「(クラス運営が)うまくいかないな」と思っていたとしても、それはあなたが原因ではなくて、子ども自身の家族の問題だったりもする。そこまでは、あなたも入ることができないから。
子どもに必要なのは多くの場合「care/思いやり、気にかけてもらうこと」だと知っていて、損はないと思う。1度の授業で子どもの変化を見るのは難しい。でも、ガーデンティーチャーとして子どもに関わることで、確実に子どもの土台形成の大事な部分に触れることができる。それを知った上で、心を込めて仕事を続けるしかないんじゃないかな。
…長くなってきたので、トークで印象に残ったことは、このへんで。
聞いていて感じたこと。
アウトドアの学び場づくりが、思いある大人たちの手によって試行錯誤のなかで前進している・・・という風景は、今話題のポートランドも、私たちが暮らす逗子も、実はそう変わらないんじゃないかということ。大きな違いは、シティリペア的な存在の有無。政策決定者とローカルに活動する人々をつなぎ、必要なトレーニングやアドバイスをする組織。逗子には、それがない。
自分たちの活動の成功事例は広く町中の人たちと共有しなくちゃだし、似た活動をしている人同士つながってリソース(材料も人も)を共有しなくちゃ。なにかモノをつくるのに「あるものでやる、それもみんなで」という精神も、もっともっと広げていいのだと、勇気をもらいました。
6年前の日記の引用は、以上です。
数年ぶりに会ったマットは、「シティ・リペアは辞めたんだ」と教えてくれました。年数がたち、初期メンバーでは新しい人たちのやり方を十分にサポートできていないように感じた、と。その感じは良くわかる。そこに自覚的であり、前に進むことができるマットは素敵だと思いました。
同時に、日本は良くも悪くも10年遅れなのかな、という印象も。マットが役割を(半ば)終えたように感じているシティ・リペアのような集団(政策決定者とローカルに活動する人々を繋ぎ、形にするために実際的な動きができる人々)は、今こそ日本に必要なんじゃないか。というより、今なら日本でも各地で受け入れられるのではないか、ようやく準備ができたんじゃないか、という気がしながら、彼の話を聞いていました。
そんなマットが今、夢中なのが "Place Making"(空間を "居場所" に変える場のデザイン)だそう。 かつての彼にとっては「目的」だったパーマカルチャーでさえ今や方法論のひとつになり、より自分の軸に近づいているように感じました。年を重ねるって、面白いな。
さあ、私は明日からどうしようか。
太平洋を越えて再開した友達から大きな問いと勇気をもらった、嬉しい昼下がりでした。
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