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未婚シングルマザー記②

出来ることがどんどん増えると、「これもできるよ!」と沢山見せてくれた。

「にわとりのマネができるよ」
「ほんと?やってみて~!」
「ポケェェェ ポケェェ」

あまりにも本物っぽくて感動した。
だって、「コケコッコー」って言うと思ってたし。
でも、ニワトリって「ポケェェ」って言うね。観察力ある~!


保育園のはなし

遠い昔になった記憶になる私の子育て。
あの頃は、とにかくゆとりなし。必死中の必死。
だから無条件で可愛い時期の記憶が途切れ途切れになっているぅぅ。

当然のことながら私一人の収入で子供と猫と自分を養う&全ての作業を一人で行う。これが両親に頼らないってこと。
健康を確保するための食事、清潔を保つためのお風呂や洗濯機、体を休めるベッド。息子と猫と私の小さな城で小さな家族が絆で結ばれていく時間。
肉体はこの身一つ。私が倒れたら息子も猫ちゃんも倒れてしまうという最悪なシナリオがいつも頭の片隅から離れない。私は私が体調を崩すことを絶対に絶対に絶対に許さなかった。

息子が生後3か月に入るや否や、すぐに保育園に預け契約社員で6ヶ月働いた。この6ヶ月はとにかく無理矢理体を動かした最も辛かった時期と言える。けれど私の人生の特徴でもあるが、いつも周りに素晴らしい人々が私に救いの手を差し伸べてくれたり、自然と環境が整っていく。
私はとことん恵まれた人間である。

産後直後に働いた職場は、事情を知る上司や同僚は休憩時間に眠りに落ちる私をそっとしておいてくれたり、数回しか着ていない新品同様のお子様のお洋服のおさがりをいっぱいくださったりと本当に愛のある方たちに囲まれていた。感謝は頑張って仕事をしてお返ししていたつもりだが足りていただろうか。
とはいえ、体がキツイ&安定とは言えない先の見えない現状から脱出すべく、友人二人が務める大きな会社へ求人応募。神にもすがる思いとはまさにこのこと。どうしてだか東の方角に手をこすり合わせ「合格します。合格します。」と祈りを飛ばし続けた日々。自己紹介の練習もした。さっさと働いているイメージをして結果を待っていたら合格連絡が入った。

安定の正社員だったが日曜日は出勤。朝も早い。長く務めるお局の館。私と同じ年代は5人だけ。お局組は集団になると悪魔が乗り移る。若手5人が団結しお局軍団から互いを守る日々。それでも子供を養う人間はお局より強い。

息子の通う保育園は日曜が休み。私は7:15から仕事。ん…日曜保育がある保育園に預けるにも8時から。どうしよう…
入社したてで休みの変更など口が裂けても言えず、母にはお願いしない。お願いできる友人も近くにいない。どうしたもんかと頭を抱えたものだった。


市役所子育て支援課の職員は情報を知らないのか聞かれてないから答えないのか、ちっとも親切じゃない。むしろあの書類が足りない、この書類が足りないと何度も何度も電話がかかってきて、いよいよブチ切れて責任者にクレームを言ったことがある。
道が塞がったように感じ気持ちは焦っていたが、不思議と必要なことは向こうからやってきてくれるものだ。
急に社会福祉協議会というフレーズが思考に入り調べてみると、登録しているボランティアさんに社会福祉会で購入したチケットを渡し送迎を願い出来るとうのだ。しかも自宅から一番家が近い方にお願いできるシステム。
シーツやら毛布やら着替えやらを大きなバッグに詰めこみ、息子を抱えおばさん宅に行く毎日曜日。知らない人に息子を預かってもらう不安が息子に伝わり何度か泣いてしまったが、ベテランのおばちゃんにお願いし職場へ急いだ。泣くと胸が締め付けられる。「ごめんね」という思いが膨らんだが、このような選択が見つかり安心した。
このときに必要なことは自然と現れることや、必ず抜け道はあるということを確信できて、何かスコーンと漠然とした不安や心配が消えた。


自分達の家

息子が1歳の頃、安月給なりにも安定してきた生活の次のステップに中古戸建を購入することが脳裏を過るようになる。
私に何かあった時に息子が済む家があればといった単純な発想からだ。

私が大変お世話になっている不動産を営む友達夫婦とお母さまが毎週毎週中古物件探しに協力してくださり沢山の物件を見学した。
なかなかピンとくる物件に出会えない。素敵そうな家でも私の収入では無理がある物件、北風ぴゅーぴゅーの家、リフォームで外装はキレイだけど、床下が土などなど。私はお金がないので選択肢の枠が狭いってわけだ。
中古戸建とはいえ大きな買い物。何がベストなのかがわからないでいたが、1000%いや数字では表せないほど信頼している友人達がサポートしてくれていることで私の漠然とした夢が現実化したのだ。


「予算を少し上げると状況が変わるかも」と友人からのアドバイスが私の意識を強めたのは、購入する家と出会うほんのちょっと前。
焦点を絞った強烈なオーダーが宇宙に飛んで行った矢先の出来事だった。
同じ組織内の別の職種に求人募集が出ていた。不安など一切考えることがなかったのは、たとえ受からなくても状況は変わらないこと。収入を上げるにロックオンしているからか、自信はないがとにかく行動することができた。 面接では私の前に面接を受けた方の履歴書を運悪く見えてしまい、その内容に圧巻。”私のでるところではなかった”と思った開き直りの面接がまさかの好印象。面接官と笑いありの世間話をして帰宅し、まさかの合格。驚いた。


それから1週間もたたないうちに私の手元に昇格の書類が届いたその日。
いつも物件巡りに同行してくれていた友人のお母様がたまたま通りがかった道沿いに中古物件の看板発見。事前に知らせていた私の希望に当てはまる物件だったため、お母さま→娘&夫(友人)→私と連絡もが周り、数時間後に物件見学。
中古とは思えないキレイさ。フローリングに傷もない。それもそのはず、中年の男性がおひとりで数年暮らしていただけ。売りに出た物件は不動産が買取、壁・インターフォン・ファンなどの交換をしている為、修理なく直ぐに住める状態だった。

正直、大きな買い物過ぎて私が決断しても良いものなのか、本当にこれで良いのかわからなかったがこれが私の最善ということはわかったので、その場で購入希望を伝える。そこからが更にスピードが加速し、その晩に銀行へ必要書類提出。給料明細の変わりに提出したのは、先日届いたばかりの給料昇給報告書。言われるがままに動いたものの、速すぎるスピードに状況の理解がままならないまま翌日を迎え、銀行から住宅ローンの許可が下りたことでその家を購入することが決まったと報告がきた。
本当に本当に猛スピードだったので、心が追い付かなかったが銀行の決算時に胃をキリキリさせながら領収書に印鑑を押したときに心が要約固まった。
ちなみに、猛ダッシュな理由は条件の良いその物件の購入希望者が他にも数人いたということからだったと後から知らされたが、1000%信頼している人からの指示でなければ動けなかっただろう。恵まれている。

兎にも角にも、願っていた息子と猫と私の3人のお城。
間違いなく不可視存在のサポートだと確信したのだった。


落ち着いた職場環境へ

仕事が変わったことで土日が休みになり、あの忙しかった日曜保育がなくなった。やっているときは何とも思わずにやっているが振り返ると大変さにぞっとする。今の私には到底やりこなせない自信あり。

ぼんやり覚えているが1月1日から職場が変わり、お局たちのイジメからともおさらば。ゆっくりとお正月を過ごしてから新しい職場へ向かった。

安定した生活と安定した時間を得ることで息子にも精神的負担を与えずに済むことが嬉しかったし、息子とより穏やかに過ごせるようになったことで充足感が増した。

休日はいろいろな公園巡りや近所を散歩して過ごした。一年の有給休暇は全部息子の看病や保育園の行事等に使った。月曜にインフルエンザと診断されたら1週間まるまる休むことになる。ある年ではインフルエンザA型が完治したらインフルエンザB型になったこともあり、かかりつけ医に怒られたことがあった。そんな時も「こちらは気にしないでね!」と上司から優しい言葉をいただき何度泣きそうになっただろうか。安心して休ませてくれる環境と人間関係に心の底から感謝が湧いてくる。そんな安定した職場を得ることが出来て、何度も繰り返すが私は本当に恵まれた人間だ。

寝ていることが仕事だった息子も、寝返り、お座り、ハイハイ、つかまり立ち、独歩へと成長。言葉も語彙が1つから2つ、3つと増え会話になっていく。また、母乳からミルクに、そして離乳食から普通食。テーブルにつかまり不安定ながらもパンをむしゃむしゃと食べる姿を見て、”教えてなくても歯がなくても噛むって動作をするんだぁ~”と感動。
私のマネして掃除機で掃除してくれる息子に感動。
横になる私に顔を近づけ、生え出した前歯で私の鼻を噛むんじゃないかと身構えている私の鼻と自分の鼻をスリスリしてきて感動。
クルリンとした髪も長~いまつ毛も大きくて真っ黒な瞳もしぐさも全て愛おしく、こんな可愛い天使が私を選んでくれたことに地球の言葉で表現できないくらい感謝をしてる。


魂に刻まれる素晴らしい体験が沢山できた。
そして、私を成長させてくれた。
私の天使にありがとう。

まとめ

育児は楽しいことばかりではない。
ひとり親だからとは言い切れないかもしてないが、頭も体もひとつなので夫婦よりはやることが多い。
下を見るより上を見よう。大変が多いが頑張れば道は開かれる。
社会福祉協議会を利用しよう。

愛のない家庭で育った私の道に用意されている課題。
息子の幼少期、息子を愛しているけど愛し方がわからない、それよりなにより自分と向き合うということがわからない人間の私もいた。
自分と息子にしっかり向き合えていなかったあの頃に残した後悔を「未婚シングルマザー記 幼少期やみ編」で整頓していこうと思う
今を癒し、それと同時にあの頃の私を癒すための作業。

読んでいただきありがとうございました。

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