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生き様そのものが既にアートであることに気づくこと

Tomokiです.最近は自分との一致を気にしながら等身大で生きることを一番強く意識するようにしている.ついつい背伸びしたり,自分を着飾ったりして,演じたり,時には無理をしてしまうことが多かった.それが自分が思っていたよりも自分を窮屈にしてしまっていることに,等身大で生きることを選んでから気づいた.飾らない素材そのものの自分のことを,僕はなんの面白みもなくて,特出するものもない,つまらない存在だと思っていた.そんな自分に誰か興味を持つのだろうかと思っていたけれど,実は等身大の自分ほど人から不思議に見えて,興味を持たれて,魅力を感じてもらえるのだと気づかせてくれる奇跡にたくさん出会えた.どうやら僕たちは生きているだけでアート作品を常に創り続けていたのだと気づけたので今日はそんな話.

生きているだけで人間には価値がある

結論から言ってしまえば僕らは生きているだけで価値がある.それは間違いのない事実だ.綺麗事でも,理想論でもない.そもそも僕たちが生きて,生活をしていなければ経済なんてものはない.人と人に連続的な繋がりがあるからこそ,色んな隔たりを超えて,機能している社会というシステムがある.

社会や経済としてみた時にも,人と人が繋がって交流して,何かを生み出すことが本質だ.そうやって社会は活気付いていったり,経済が成長していくことは間違いのない事実だ.誰かの生活に役立つものを作るのも,祝祭を企画してワイワイ盛り上がるのも,そうやって人と人の繋がりを活性化させたり,潤滑にさせていくことにこそ価値がある.

そうしてみた時に,お金は目的ではなくツールだ.生きているだけでお金がかかるのは,生きているだけで人との繋がりを求められるということでもある.しかし,人との繋がりはいきなり築き上げられるものではない.考え方の違いや育った文化の違いがあって,相互理解するには時間とコストがかかる.それを吸収しているのがお金というツールだと思う.まだ出会ったばかりの何も知らない人同士でも,お金という共有言語を通して会話ができる.だから,僕にとってお金は人と人を繋ぐ愛の役割を担っていると思えるようになった.

もちろんツールなので,使い方を間違えれば真逆のことも起きる.きっとそれは包丁やダイナマイトと同じことだろう.しかし,その側面だけをみてお金を嫌ってしまうのはどこか間違えていることだと思う.僕は一時期お金を汚いものだと思っていたけれど,これは愛を育むためのツールだったのだと気づいた瞬間からそういった考え方をなくなった.

結局のところ社会や経済やお金がこの世界の本質ではなくて,本当は僕らが繋がること,想いを紡ぐこと,そこから何か生み出していくことが目的だったんだ.社会のために自分自身を型に入れて,箱に詰めてパッケージ化して,そこに「自分は社会にこれだけ貢献できる存在です」というようなラベルを貼らないといけないと思っていたのは,手段と目的を履き違えていたようだ.僕らの存在が目的なのに,僕らもツールに成ろうとしてしまって,ツールしかない世界を創り出そうとしていたようだ.

それに気づいた瞬間,社会が無理やり自分を型に嵌める悪魔のような存在から,自分の存在そのものを祝福してくれる寛容で暖かな天使のような存在へと変貌したことを感じた.僕が悪魔だと思っていた存在は,実は天使だった.そんな天使に祝福されていることに気づけた瞬間に,僕は等身大で生きてもいいのだと自分を許せるようになった.

人生のどこかで自分を否定している

そうやって等身大に生きるようになったとき,なぜかある瞬間から自分が思っていたよりも多く自分を否定していたことに気づいた.ありのままの自分には価値がないだとか,評価されないだという風に.

それはある意味ではそうなのかもしれない.空気を読んで気の利いたことを言える人がクラスの人気者だったり,勤勉で娯楽を我慢して努力して成績トップを維持し続けたクラスの秀才の方が先生や親から褒められたりしたりする.

でも,まるで評価されなかったり,価値がなかったわけじゃない.そういった評価軸の外で,特定の友人から好かれていたり,大事にされたり,いつも面白がってくれる人もいたはずだ.ひょっとしたら密かに自分のことを想ってくれた人もいたかもしれない.そんな自分の魅力を自分で見ようとしなくなっていただけだ.立ち込めた靄の中に自分を閉じ込めたのは,どうやら他の誰でもない自分自身だったようだ.

それはある意味で精神疾患のようだ.自分自身を蝕む病気に苛まれて,ひたすら苦しんでいた.居もしない悪魔の存在に毎日怯えて,贖罪のように自分を鞭打っては,自分の罪を赦してくださいと懇願しているような生活だ.個人的には現代を生きるほとんどの人が大なり小なりこの妄想に苛まれて生きているのではないかと思う.本当に病院にお墨付きを貰っていなくとも,大きな障害で出ていないというだけで,この妄想にじわじわと緩やかに苦しめられている人はいるのではないだろうか.

靄が晴れたら世界が祝福してくれる

そんな靄を晴らして光が貫いたら,世界が自分の存在を祝福してくれていることに気づけた.何かしていてもしていなくても,僕らは尊い存在だったんだ.そうやって病気から目覚めて天使と出会えた瞬間から,僕の創造力は以前よりも増してきたことを感じた.それはまるで子供の頃に戻ったような気持ちだ.目に映る全てのものが新鮮で,美しくて,自分を喜びの世界に引っ張っていってくれる.

それは生きることそのものが創造的で,アートだった.思い返してみれば僕らは生まれた時から絶大な創造力の持ち主で,毎日のようにアートを作っていたんだ.誰かと違うことや,パッケージ化されていない自分自身や,何の評価軸にも載らないことが,こんなにも創造的だったのだと気づけた.僕らは生まれた瞬間からアーティストだ.そしていつも愛を思い描いている.きっと今なら虹を描けるだろう.

もちろんいつだって何かの軸にのることもできる.でも,それが世界の全てだとは思わないし,それが自分に強制されているとも思わなくなった.軽やかな気持ちで色んな世界を行き来できる.そうやって豊かな世界を創り出す一員になった僕は,決して世捨て人になったわけではない.

思っていたよりも世界は,社会は,もっとおおらかで寛大で包容力のある存在だった.自分を雁字搦めにして縛っていたのは自分自身だった.自分を苦しめていた自分の鎖を解いたとき,何よりも自由だったことを思い出せた.自分には罪がないことにも気づけた.そうして本来の創造力を思い出すことができた.

今の僕は,とても自由だ.何にも強制されているような実感はない.毎日を好きに生きている.でも,僕は何かに強制されていたときよりも創造的で,作りたいものに溢れているし,手もより動くようになった.興味の幅もどんどん広がって,何かを勉強することもとても楽しくなった.以前とは考えられないくらいに活動的だ.

自分を強制するタガが外れたとき,僕は自分がどうしようもない怠惰な人間になるのではないかと恐れていた.きっと,僕が等身大の自分を受け入れられなかったのも,自分が作り出した靄を晴らすことができなかったのも,全てを解き放った自分が醜い存在だという妄想に駆られていたからだと思う.

しかし,そんなことはなかった.好きに生きても僕は誰かに受け入れられたり,好かれたり,大事に思ってもらえる存在なのだと気づけた瞬間に,僕が人生で一番探していた無条件の愛に出会うことができた.そうして僕は無限大の愛で毎日を生きることができるようになった.この生き方そのものがきっと他人に影響を与えて,より大きな愛を育んで,より大きな創造力を生み出してくれるのだと思う.

今の僕の使命は,この愛を絶やさず,再び自分を靄の中に閉じ込めてしまわないことだ.こんな自分でも嘘みたいに思える奇跡を,アーティストみたいな生き様を続けていくことが,そうしてみんなをアーティストへ導いていくことが僕の作品だったのかもしれない.

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