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海外移住を考える

今このタイミングでこの話をnoteに書くべきか迷ったけれど、敢えて書いてみたい。今日だけで終わるかもしれないし、今日を始まりとして続いていく新しい物語となるかもしれない。

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関西での生活に行き詰まっている我が家では、海外出稼ぎ移住の話が浮上している。

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もともとカナダの首都オタワで知り合った私たち夫婦。

私は在カナダ日本大使館の専門調査員として、夫は大使公邸料理人として働いていたのだ。

同い年の私たちが意気投合したのは私の任期が終わるわずか1ヶ月前。

私は大使館勤務だったけど、夫は大使公邸に住み込みだったため普段顔を合わせる機会はない。たまの会食で顔見知り程度だったけれど、私の任期が終わる直前に大使公邸で開催された駐在日本人むけの新年会で「もうすぐ任期満了で帰国になります。お世話になりました」と夫のもとへ挨拶に行ったのが初めてのまともな会話だった。

その日、宴もたけなわとなり大使館員も食事にありついていいですよみたいな空気になってきた頃、寿司だか雑煮だかを振る舞っている夫と立ち話をしている最中に、私は招待客に写真撮影を頼まれた。私はしゃがんだり下がったりとアングルを模索してパシャパシャとスマホで撮影してあげた。その姿が夫の心を射止めたらしい。「酔っ払ったおばちゃんの写真撮影なんて適当に済ませてもいいものを、この子めちゃくちゃ真面目なんだな」と思ったとか。

私としては「そこ??」というツボなのだけど、なにはともあれそこから猛アプローチ(?)を受け、あと1ヶ月で帰国というのにあれよあれよと、まあ結婚に繋がる交際が始まったのだった。ああ恥ずかしい、この記事父親も読んでるんだけど。書いちゃったよ。

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その時、私たちの上司だった在カナダ日本大使は現在の国連大使である。日本が国連安保理の非常任理事国入りし、ウクライナで戦争が始まり、ニュースで国連が映るたびに画面越しに私たちの元上司の姿がチラリと映ることは昨今少なくない。

夫が海外で大使公邸料理人を務めたのはカナダが初めてではない。ドイツにも4年いた。メルケル元首相の会食を担当したこともあり、彼女と一緒に映った写真があることは大変な誉れだ。

余談ながら、まだ知り合う前に夫はワーホリでパリに行ったこともある。たまたま同じ年、私もパリに留学中だった。同じパリ14区に住んでいたということで、ちょっと運命を感じてしまったよね。トラムの中ですれ違っていたかもしれない。

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もともと夫は地元一の料亭で修行を積んだ人で、伝統的で王道な京料理を専門とする。

一方でドイツ、フランス、カナダと海外経験もあったり、和食以外の店でバイトをしたりという経験から、さまざまなジャンルの料理に造詣が深い。そういう幅がありつつも、核心では創作ものより正統派が好きな人だ。

だけど日本ではその技術や経験の価値が全然評価されない。いや、評価されているから次々と有名店を転職できているのだけど、それは評価されているというよりも利用されているように妻の私の目には映る。安い給料で技術力と労働力を買い叩かれ、搾取されてる。

前にいた店では、タイムカードを取り上げられて出退勤の時間を毎日2、3時間ずつ誤魔化されていた。

今の職場では、子どもが生まれたばかりだから遅くきて早く帰っていい(←超過時間の話)という話だったのに、それも最初の数日だけのことだった。

京都のとある非常に由緒正しい神社のすぐ近くにあるその著名な店は、ランチもアフタヌーンティーもディナーもお弁当も出張料理もなんでもかんでも請け負っており、それも人手があってのことならその店の方針だから別にいいのだけど、そうではないから問題だ。板場の人数で決して手が回らない業務量が降りかかっているようだ。

夫は副料理長なので人には休憩を取らせるけれど、自分まで休憩をとると仕事が追いつかないからと夫は休憩を取らない。

「今日もバカみたいに忙しかった。今日も1分も休めなかった」と言って帰ってくる日も多い。契約書には休憩時間2時間とあるのだけど。

そもそも、夫は間違いなく過労死ラインを超えている。もう毎月。

朝昼晩と飲まず食わずで早朝から深夜まで働き詰めの日。
終電で帰れなくてネットカフェに泊まった日。
朝4時台に出勤した後帰宅は日付を跨いで0時を過ぎてた日。

そんな日が何度あったことか。

これまで夫と一緒にいて、もっとやばい店もあった。シフトで休みの日に「今日休みですよね」と店まで出向いて親方(?)に確認してからじゃないと休みを取れなかった店とか。

夫が働いてきたのは、ちょっとグルメな人だったら誰でも名前を知っているような超有名店ばかり。ミシュランガイドに載ってる店もある。

だけど、夫の話を聞いていると特にグルメじゃない私は高級なお店への漠然とした憧れは雲散霧消した。

夫が関西に来てから倒れるんじゃないかといつも心配で、何度か労基に連絡しようと思うと相談した。でも夫が「そんなことしないで」というので、今のところ本人の意思を尊重して、勝手に労基にチクることは差し控えて黙っている。

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飲食業界はどこもそんなものなのかもしれない。

国家公務員や教員のブラックな労働環境は社会的に認知されるようになってきたけれど、それにしても飲食業界のそういう実態がそこまで酷いとは夫と一緒になるまで思ってもみなかった。

とはいえ、いつまでも現状に甘んじているわけにはいかない。

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じゃあ独立して自分のお店を出せばとよく言われる。

実際、夫は地元で自分のお店を持ったこともあった。知り合う前のことだけど、夫の地元では唯一無二のちょっといいお店という感じで隠れ家的人気店だったらしい。ただ色々と事情があり閉店し、今はローンがまだ残っている。

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そこで海外である。

私たちは二人とも海外好きの海外かぶれ。海外での生活に慣れている。

人生の真の豊かさは仕事だけではない。プライベートの充実の中にだって人生の豊かさがたくさんあるんだということを、働くのが嫌いなフランスで、自然が豊かなカナダで、目の当たりにしてしまった。

朝から晩まで食事も取らず休憩も取らず働いて、お酒を飲みながらバラエティーを観てストレス発散する生活とは違う、人間らしい生活を営む世界線があることを私たちは知っている。

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アメリカでは寿司職人や和食料理人の平均年収は800万円、日本の倍(以上)あるという。さらには1000万円もザラだとか。

そもそも自分の能力を積極的にアピールして給与交渉していくことがスタンダードである。

日本では労働市場の下の方で搾取されている彼の技術と経験も、海を渡れば適正に評価され適正な対価を得られる土壌があるということだ。

世界無形文化財に認定された頃から海外における和食へのラブコールはとどまるところを知らない。それは、合計で5年以上ヨーロッパや北米で生活したことのある私たち二人ともが肌感覚でよくわかっている。つまり、時代は追い風。

日本で結婚してからは、私が大阪での仕事を楽しんでいたり、実家の事情もあったり、「海外また行きたいね」と話しても「まあ無理か」となってきたけれど。

お互いの仕事やキャリア、実家のことなど総合的に考えて、まるっと移住というわけにはいかないし、これまで「今は無理だね」と状況的に諦めていたけれど。

でももう少し肩の力を抜いて生きてもいいんじゃないか。ちょいと一家で出稼ぎに行くのもありなんじゃないか。

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深夜のスポーツニュースを観ながらロサンゼルスなんていいね〜と話してみる。

大谷がドジャーズに移籍してもロサンゼルスじゃんね。休みの日にさ、家族3人で観戦に行こうよ。サンタモニカでビールで乾杯しようよ。西海岸なら、実家に急に帰りたいってなっても日本に帰りやすいもんね。

いやいやバンクーバーやトロントもいいよね。二人ともカナダは住んでたから安心感もあるし。ビザもアメリカより楽だし。治安もいいし。カナダは一般人でライフル持ってる人なんかいないし。バンクーバーもトロントも直行便あるしね。

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これまで二人の妄想話だったことが、ちょっと、私たち二人とも調子に乗っちゃって、昨日から真面目な検討に移行しています。

真面目なテンションになったのがつい昨日の夕方なので、まず最初の最初の第一歩としてYouTubeで現地生活のvlogを視聴したり、ビザの概要を調べたりしてみてる。

ちょっと真剣に検討し始めると、ワクワク楽しい気分を吹き飛ばすように怖気づくような感情が湧いてくる。マリッジブルーならぬ渡航ブルーと私は呼んでいるのだけど、海外渡航の準備中に必ず訪れる不安な心。
心理的ホメオスタシス。

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検討の結果、本当に妄想話の延長に未来を作っていくかもしれない。

検討の結果、まったく違う方向に新しい活路を見出すかもしれない。

それは今の時点ではまだわからないけれど、もし海外出稼ぎにいくことになったら今日のこの記事は後から読み返しておもしろい記録になると思うから、ちょっとアップしてみることにしました。

どうなる、私たち。

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