地獄のテニス旅行

高校時代からの友達男女6人で、軽井沢に2泊3日のテニス旅行に行ったのは、大学1年生の夏だった。

集合場所は、新宿西口のバス乗り場。私は、新調したばかりのお気に入りのバックパックを背負い、大好きなパン屋で購入したきなこパンと、大量のスナックお菓子、お茶を入れたビニール袋を片手に登場すると、男子から「相変わらずだな」と一言つぶやかれ「これが旅の醍醐味ってもんよ!」と、妙に古めかしいセリフを吐き視線を送った瞬間、その間には冷たい風が吹いた。

“あ、言わなきゃよかった”という軽い後悔を感じていたころ、最後の一人が到着したので、みんなで高速バスに乗り込んだ。

私の隣には、親友のやっこが座った。高校卒業以来の集合だったので、近況を報告し合ううちに、みんなで旅にでかけているという実感がわいてきて、私の胸はワクワクした気持ちでいっぱいになった。

早速、持ってきたポテトチップスを開け、おしゃべりにも花が咲く。テニスも好きだが、食べることのほうがもっと好きな私は、やっこの話を半分聞きながら「さて、サービスエリアでは何を食べようか?」と考えていたとき、

「あ…、来たかも!?」

胃のあたりに嫌な違和感を感じた。実は、高校時代から、急性胃腸炎にたびたび悩まされていた私は、“それが本格的に来る”ことを予感できるという妙な特技を身につけていた。

まずは、胃が小さくチリチリと痛みはじめて、その痛みが徐々に大きくなるにつれて腸のほうに降りてくるのだ。大抵は、ホットミルク(大嫌いなのだが)を飲んで安静にしていると半日くらいで落ち着くので、まぁ様子を見るか、と、ひとまずポテトチップスに伸びた手を引っ込めた。

「大丈夫?どうした?」

やっこは人の変化にとてもよく気が付く子だ。そのため、高校の保健室にたびたびお世話になっていた私の荷物を持って来てくれるのは、いつだって彼女だった。

私「いや、ちょっといつものやつ、来たかもな~?って(笑)」
やっこ「げ!まじ!?」
私「けど、少しゆっくりすれば治るから大丈夫」

と、自分の腹に言い聞かせるように言葉を残して、私は目を閉じた。

もちろん眠気など一切なく、周りでは友人たちの楽しげな会話や笑い声やが聞こえている。その間私はというと、天国の祖母に祈りをささげていた。

「家に帰ったら部屋を片付けます!コンタクトも毎日外します!どうかこの腹痛が治りますように!おばあちゃん、お願いです!」と、都合のよいときだけこうして“ささげ癖”のある私に、きっと天国の祖母もあきれていたことだろう。

一通り祈りをささげ倒したころ、バスはサービスエリアについた。あんなに楽しみにしていたのに、もうトイレに行くことしか興味がなくなった私は、いそいそとトイレに向かい、用を足すと一足先にバスに戻り、“念のために、もう1回祈ろう!”と、なんための“念のため”なのかよくわからないが、とりあえずやらないよりはやったほうが効果がありそうだと思い、席に座って静かに目を閉じ、再び祈祷体制に入った。

知らぬ間に眠ってしまい、気づくと目的地に到着していた。とりあえず腹の痛みが少し落ち着いたような気がした。“おばちゃん!!!ありがとう!!!”と、大きな感謝を心の中で叫んだとき、ズキン!という強めの痛みが胃に響いた。日頃の数々の行いを悔いた。

バスを降りて、少し歩いた先にあるコテージに向かう。歩いていると、自分の足からの振動でズキンズキンという痛みが増すような気がする。

到着すると、元気いっぱいの大学1年生たちは、2Fまである部屋を探索したり、早速テニスをしに行こうと着替えたり忙しそうだ。

私は「とりあえず今日は休んでるわ」と一言残し、1Fの畳の部屋に布団を敷いて横になった。

「愛子、大丈夫?とりあえずゆっくり休んで」と優しい言葉をかけてくれる女子たちに感謝するとともに、「こういうときに、よく熱出したりしてたよな。愛子、さすがだな(笑)」と笑い倒す男子に、中指を立てることが精いっぱいだったのだが、同時に情けない私自身にも中指を立てた。

みんながテニスを楽しんでいる間、また眠ってしまっていたらしく、テニスで汗を流したみんなは、すでにコテージの外でバーベキューの用意をしているようだ。お肉の焼ける匂いがする。が、食べたいとはちっとも思わない。それに、半日経ったのに、腹の痛みは治まるどころか、むしろ痛くなっている。

「もしかして…便秘?」。いつもとは様子のおかしい痛みに、便秘を疑った。

実は以前、腹痛によって顔面蒼白になり救急車で運ばれたが、ただの便秘だったという私の人生における3大恥のひとつを経験しており、“出ない”ことが珍しい私の腹に痛みをもたらす要素に便秘があったと思い出したからだ。

すると、そういえば出ていない気がしてきた。とりあえず出すために何かしなければという思考回路に切り替わり、そのとき思いつくありとあらゆることをやった。

まずはお腹に手を当てて「の」の字を書くようにマッサージした。それでも出る気配は一向にないので、やっこたちが買ってくれたカップヨーグルトを数口食べた。そして、お尻歩きをし始めた。

部屋に戻ってきたおおちゃんに「何してんの?」と言われたので、「便秘でお腹痛いのかも。だからお尻歩きしてる」というと「愛子、昨日もあんまり食べてないって言ってたし、今日もほとんど食べてないじゃん。そもそも出るもんないんじゃないの?」と言われ、確かにそうかもなと思いなおし、お尻歩きをやめ、また布団にもぐって休むことにした。こういうときは安静が一番だ。

数時間後、バーベキューが終焉を迎えたようで、部屋にぞくぞくと戻ってくる酔っ払いたち。「愛子~!まだ寝てんのかーー!?」と絡んでくるのは、新庄と恵島だ。酒臭い。やっことサクラもべろべろに酔っているようで、髪の毛の多い彼女たちが、クシですいた後に発生した大量の毛を私の頭にのせて遊びだした。「うきゃきゃきゃ」と響く笑い声と、酒臭さが充満していく。ちょっと面白くてつい笑ってしまったら、また腹がキリキリ痛んだ。

そして、新庄は「あれ?青いヘアバンドがない!」と、ありもしない空想のヘアバンドを必死に探しはじめた。

「いや、青いヘアバンドなんてないから!」という私のいらだちを乗せた必死のツッコミもむなしく、やっこも「私も探すよ!」と言い出す始末。

私がいる1Fの畳の部屋は、その後も酔っ払いとそれにより体調を崩した者たちを押し込める部屋となりカオスと化した。

翌朝目が覚めると、私の頭にはさらに誰のものかわからない大量の毛の塊が盛りつけられており、新庄の重たい腕が私の首をふさいでいたので、それを思いっきりどけてやった。

少し痛みが引いてきた気がしたので、今日こそは!と意気込み、朝からテニスの支度をした。ウェアに着替えてみると、なんだかできる気がする!という気持ちになり、テニスをしてみた。

さらに、“便秘”疑惑を否定しきれずにいたため、いつもよりも腰をひねって打ってみた。するとすごいいいボールが打てたが、腹が最上級に痛くなり、その後、隣の駐車場に停まっていた車のボンネットの下に頭を突っ込み、大きめの蜂が目の前をブンブンと飛び交う中、腹を抱えてうずくまることになった。

この日の記憶はあまりなく、翌朝になった。

痛みは引かないどころか、増すばかり。母親に連絡して、とりあえず新宿駅まで来てもらうことにして、帰りの高速バスが到着する軽井沢駅になんとか向かう。

ちょうど昼時だったため、友人のほとんどは最後の軽井沢を楽しむためにランチに向かったのだが、酔っ払いすぎて使い物にならなくなった者と私の計3名は、駅の公衆トイレの前に、荷物を枕にして川の字で横になるという異様な光景を繰り広げた。

人々の白々とした視線をなんとなく感じたが、それどころではなかったので、気を取り直して死んだ魚のようにふたたび眠った。

しばらくしてバスがやってきたので、極力腹を刺激しない無駄ない動きでゆるりと乗り込み、「早くついてくれ!」とひたすら願っていると、新宿駅に到着し、母親と合流してそのまま大学病院へ向かった。

結果、私は急性盲腸で手術をした。

術後、病院の教授回診では、「あなた、ラッキーでしたね!あと少しで危ないところでしたよ!かっかっか(笑)」と、破裂せずに長時間いれたことが奇跡だったと“かかか”教授が教えてくれた。

さらに教授は「あとね、これ、あなたの盲腸。ここまでタラコ状に大きくて真っ黒なものは珍しいからね。ホルモン漬けにしたので、あげます!」と言われ、コトンと机に置かれた。

見ると、真っ黒で太い幼虫みたいなものに、とんでもなく汚い白い膿みたいなものが絡まっているようなものだった。「うわ!」と叫び、すぐ捨てた。

後日、友人たちがお見舞いに来てくれて「まさか盲腸だとはね!」「まじですごいよ!」「頑張ったね!」「救急車呼べばよかったね(←私が拒否したのだが)」と、いろいろなねぎらいの言葉をかけてくれ、私が好きなダンボのぬいぐるみに寄せ書きをしたものまでくれた。いい友達を持ったなと感動し涙した。今でもそれは大切に取ってある、と言いたいところだが、先日、ホコリをしっかりと被ってクローゼットで眠っているところを確認した。

そうして、このエッセイを書き終えたとき、「そういえば、あの軽井沢のコテージの2階ってどんな感じだったのかな?」と、結局見ることのなかった2階の部屋に思いを馳せた。

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