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「音」を異なる情態で捉える

古根真知子 詩集『皿に盛る』(私家版)

 横長見開きの詩作品を読むと、ページをめくることなく一篇が完結していて心地良い。余白の多さと言語空間の生活感が薄い形而上的な透明度と清楚感とが巧みにシンクロしているからでもある。冒頭作ではないけれど詩篇『音』はこんな詩だ。〈窓をあけると//雨の音が/はいってきた//地上におちた/ひとつぶひとつぶの/音//無数の/透明なつぶの/音//雨の音〉(詩篇『音』前半)。目につく余白にひらがな表記と漢字の語彙選択に清潔感が漂う。「音」を異なる情態で捉えている所にポエジーが顕れている。詩篇『葬送』の〈目は/道ばたのアジサイを/閉じこめる//6月の青を/閉じこめる//囚われて//青〉も、「音」と「青」の相違で相似形をしている。これらは随所にみられる詩法である。詩集は二つに章分けされ、後半は生活雑感の詩であるが不思議と生活臭はない。例えば詩篇『誘導』では、食品売り場の「*商品説明書」が詩行に混じって混入しているのだが、他の短いセンテンスがバタ臭さを遠ざけることに成功している。あと一つ、詩篇『待合室』の〈時間は刻々と進んで/私は刻々と/変わります//とどまるものは/ありません//受付で書いた/問診票は/すでに過去の情報です〉での、「私」の〈刻々〉の〈変化〉は、ありきたりに見えて意外な盲点となり、〈待合室〉という思わぬ場所でポエジーを獲得しているのではないだろうか。私家版であり、まったく未知の札幌の詩人から頂いた詩集だったが、思いもかけない佳品揃いで楽しく読めた。

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