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天性の詩人なのか

江上紀代 詩集『空を纏う』(鉱脈社)

 キャリアを積んだ詩人であるかのように「最初の作品」という詩『祈り』の完成度の高さには驚いた。言葉に対する助走もなく、このレベルの詩が書けるなら天性のものだろう。第一連が猫とサボテン、第二連が海とモーゼ、第三連で「母が/逝った」と関連性が希薄な素材を使って間口を広げ、次行「追われたように/ひとりで逝った」と収斂させ、「追われるものの背中に/限りない祈りが/降り注いでいる」と締めくくる詩法は見事であった。「音をたてずに滑らかに廻る秒針は/誕生の時刻など カウントしない//(中略)//午後の陽ざしは やがて/北向きのこの一角を見つけるだろう」(『みどり児』)や、「木蓮には/ロ短調の雨がふる」(『春』)といった詩句には、詩作品にとって欠かすことのできない発見があった。詩篇としては『帰郷』の「駱駝」に仮託した、ここではないどこかへの憧憬願望が。詩篇『白絣』では「父の骨」を冒頭に「白絣」に纏わる出来事で父親の生前を語る詩法で巧みに詩を纏められていた。表題の「空を纏う」もよく、本詩集の性格である清新な抒情性を的確に暗示することに成功していたように思う。一つだけ難をいうならば、破調を取り入れてもっと自身の闇を晒しても良かったのではないかと思うのだが、それは無いもの強請りだろうか。

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