見出し画像

生の全記録

白島真 詩集『死水晶』(七月堂)
 森を見て木を見ないではなく、木を見て森を見ない。自明とはいえない、そんな詩の読みがあっていい。そんなふうに思ったのは、詩作品の個々のフレーズに魅かれたせいだ。本書の中では早い時期に書かれた詩『断章・獏の沈む水平線』の冒頭から衝撃的だった。〈炎たちはどこへいったの?/ほらほら 風の中に風が舞って/ぼくの固い跫音がまた聞こえてくるよ/*/きのう噛んだ空の青さが/赤い痛みとなってきょう滲みだす/侵されていく生命の垂直なやさしさを/凍える陣痛のことばで語る あす/*/まだ生かされていることの重さが/虹の背骨をめりめり砕くから/ぼくには消えていくものが/よくわかる〉。本書の章分けはⅠ(二〇一六年)、Ⅱ(一九七四年~)、Ⅲ(一九八四年~)、Ⅳ(一九八八年四月)となっており、白島が『あとがき』で書いているように「生の全記録」にふさわしく網羅的であり、早熟らしく早い時期から完成度の高さを見せつけて、詩的言語を出力できていたことがわかる。〈遠くで/わたしをがある/そのとき 窓ガラスの向こうで/ひとりの死者は ゆっくりと起きあがる〉(表題詩一連目)の〈手招くもの〉や、〈ぼくたちは/もう充分に霧だ/ことばで捉えたあなたの後姿なんかに/未練はない//半ズボンが草野球している地平から/少年の日の合鍵が見つかったとしても/ぼくは そっと仕舞い込むだけだろう/埃だらけの状差しに〉(『失恋』一・二連)の〈仕舞い込〉んだ〈合鍵〉が何を意味するのかを詮索せずともよい。大事なことは、白島の詩作品にみることのできる詩的言語によせた熱い思い、詩作に対する渾身の力業という熱量の方だろう。アクチュアリティを重要視せず、言語を化石のように結晶化すること。それは、詩句に重い意味を付加するように働く。この「全記録」の変容の微小さは、そういうことを証明しているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?