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@aiiroのこと

自分の名前とは全く違うこの名前にももう慣れてしまった。正直、日常生活の中で、@aiiroさんって言われたら、匿名でやっているのに、返事してしまいそう。そんな風に思えてきた。
忙しい忙しいでお座なりにしていいことと違うことがある。はっきり言ってここ数日間は投稿が適当になっていた。こんなつぶやきに反応してくれる人がいるのは、一部のインフルエンサーだけだと思ったり、連続投稿のバッジほしさだろうと自分を罵ったり。
そうなのかもしれないが。

正直、暫くの間@aiiroのことを書いてきて、一番これが皆に読んでくれるということに味を占めて結論を出すのを遅らせることになっている。
全体ビューが10000を超えていることも踏まえて、異端ここで区切りをつけるべきというか、潮時なのではないかという気になった。と言っても、noteをやめる気はさらさらない。

元々、自分の文章を人に読んでもらうことにはある程度の抵抗を感じていた。なぜなら、言葉尻にはその人の人間性がどうしても垣間見れてしまうから。小さなころから少し変なコであった自分にとってみればそれは何としてでも隠し通すべきことであった。
一時期は、自分が変わっているというのは自分の幻想であるのかとも思った。思春期の自分は違うと思ってしまうあれかと思った。自分が変わっているということを言うと大人たちが決まってこういうから。
そんな中、一本のコントを見た。芸人の前もその芸の名前も一切合切忘れてしまって、もしかしたら全部夢なのかなとも思うのだが、転校生とその担任の先生が話しているという、それこそ1,2分もないようなまあとりあえず短かった(気がする)ものを見た。転校生がradwimpsの野田洋次郎さんみたいな恰好で出てきて、それに先生が、「君、クラスに一人は必ずいる違った雰囲気持っている人じゃないか。よかった、うちのクラスそんな奴だけでねぇ。」って言って二人見つめあって終わりみたいなやつ。もしかしたら、ベストワンミニッツみたいのなのかな。
まあいずれにしよ、それは、自分に対してとてつもない驚きであった。なぜなら、大人たちの暮らしぶりからするに、変わったヤツとみなされるのは、それこそ野田洋次郎さんレベルの方々であったので、自分たち消費者側にはいるはずもないと思っていたから。クラスに一人なら意外といる。そう思った。でも、大人の調教を受けた身にはそれと自分は一致しなかった。
でも、自分の偉かったなっと思えることは、次の日にクラスが隣の子に対して「このクラスのクラスに一人は必ずいる違った雰囲気持っている人って誰?」って聞いたら、自分のことをほぼノータイムで差されて驚いたのを覚えている。その後にも、何人かに聞いたのだが、いずれも結果は一様だった。果たしてそれは、真に思ったか、それとも、そうして欲しいと思っているからと、要らない酌量をしたか。

半分、どちらでもいい。
まあ、休日も友達と遊ばないし、どことなく冷めていて、他人と相いれない感じは”おかしい”のかもしれない。
休み時間も一人で本でも読んでいたいし。
総合的に考えて、今は、外的評価として変わってやつであることを意識し始めた。
しかし、そこには反対に恐怖も伴った。この世界には多数決の原理とか同町圧力と言う言葉があり、この社会では、それが他と比べて強いと言われている。つまり、自分みたいなやつは、居なくていい奴でいた方がぎくしゃくするからいない方がいい人に、どうしても分類されてしまう。となると、自分の変わったところは出来るだけ隠し通した方が吉となる。であれば、余計に他人に自分は見せない方が心地よくなる。思春期も助けてか、自分に向かう目線に、半気違いかと思うぐらいに鋭感になった。すぐに、相手に警戒を示すし、もしかしたら自分の同類かも。っと思って接する(殊に初対面に対しては)ために、相手に気付かれない内に相手のところまで行くことにはどうやら長けてしまったようだ。

そうしたことから、人との距離を置くようになってから、自分との会話がてらに、文章なり、詩なりを書くようになった。そうすると、暫くしてから、周りから書いた文章がいいね。って言われ始めた。

それこそが、自分がnoteを始めたきっかけである。と言っても、この自分の素晴らしき文章をさあ読んでくれや。と言う、高飛車な思いではない。
人は皆、社会的活動をしているからに、対人関係を良好に保とうとする。そのためには時寄りとして、少しのウソをつくことを苦労としない。いとも易々と、分からない顔で言う。声で言う。
でも、ネットはそうではない。顔も名前も知らない。年齢も知らないし、性別も分からない。何一つ分からないからこそ、駄文にはきっと、魅力がないというだけに十分な結果になると思った。さすれば、かなり正確な精度で自分の文章の評価ができる気がした。なんにしろ、自分はいいと思っているから出した文章でも、人がどう思うかはまったくもって違う話である。

結果としては、意外と、見てくれて、トップページに上がてくる人みたいに、スキが200個になっていたり、フォロワーが300人もいたりはしないけれども、創造のはるか上をいく反響であった。
勿論、才能の権化みたいな方は、もっと凄いことになるんだろうが。
確かなことは、自分に自信が持てるようになったし、他人を信じるということが怖くなくなった。っといえばウソになるが、楽になったことは確か。

こんな、素敵な媒体を開発してくれた、note本部の方や、ネットを作ったり、今使っているデバイスに関わった方、noteの存在を教えてくれた方、自分の文章を言いと思ってくださった方たち、そして、今の自分を形作ってくれた方、本当にありがとう。

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