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Hip Hopが人生を変えてくれた話

今日はそんな話。大袈裟に聞こえるけど本当にそうだなと思う。
あの頃、Hip Hopにはまり、DJを始めた18歳の時。
今思えばあの瞬間から、私の人生は変わったのかもしれない。

神戸の女子校に田舎から通っていたんですが、周りの女子たちは都会っ子が多くて、お洒落にも敏感で大人びた子達がたくさんいました。
初めはビビってたけど、徐々にそんな子達とも仲良くなり、気づけばたくさん刺激をもらってました。

当時、ギャル、古着、バンド、ダンスなんかが流行ってて、今思うとだいぶ濃い高校生活だったなーと思う。古着が大好きだった私は、休みの日に友達と神戸や大阪のアメリカ村に行って古着を買いに行ったり、当時はパンクにもハマっていたので、ライブに行ったり。そういえばゴイステのライブにも行ったな。。

そして高2の頃くらいに、Hip Hopが流行り出していました。
当時だと、Nellyとか50centとかDMXとか(笑)。
私も最初に、その辺のコンピレーションアルバムを買った思い出があります。Ashantiはみんな大好きでした。

周りにはHip Hop系のダンスをしている子達もたくさんいて、ある日、高校生が企画したダンスイベントを、昼間のクラブを貸し切り開催するというイベントに遊びにいきました。
今思うと、大人びたことしてるな〜という感じですが、その日初めてDJというものを生で見ました。

ダンサーもDJも企画者も全員高校生。ダンサーはDJがかけるレコードに合わせ踊る。
当時を振り返っても忘れはしないですが、カッコ良すぎて本当に衝撃を覚えた思い出があります。日本にいながら、海外にいるような感じに陥った感覚でした。

そこからは、私も友達もそれしか考えれないくらいHip Hopというカッコ良すぎるカルチャーにハマっていき、ある日、文化際が近づく日。
私たちも何かしようぜ!という話になっていきました。

ところで文化祭っていうのはまだ高校でしてるのかな?
私たちの頃は、先輩のガールズパンクバンドがライブしたりしてて、それもまた衝撃的にクールだった思い出があります。

私たちの話に戻って、、なぜか友達との間で、ターンテーブルを一緒にお金を出しあい買うというのはどうか?という大胆な話になりました。
それで、DJとダンサーを交え文化祭で披露すると。笑
とても叶いそうにない企画。
それでも私たちの熱は熱かったです。

結局考えて考えた結果、私が買う!結局お金を出し合って買っても、どっちが引き取るかになる訳だし。。という決断をしました。
なんとも大胆で、勢いでした決断。

そんなこんなで、一生懸命特に目的もなくアルバイトをして貯めたお金をほぼ全て使い、ターンテーブルを手に入れるに至りました。

その後はDJというものを必死でDVD見て勉強、練習、勉強、練習に時間を費やし、文化祭で披露という企画も実現させました。

ターンテーブルを遠くにある高校に運ぶので手伝ってくれた父も、とても協力的だったな。当時の先生達は私たちをどう思っていたのか。
うちの娘、生徒はどこに向かってるんだって、内心思っていたにも違いないのに。(笑)

とにかくその経験で学んだ事は、時には大きな決断ってリスクを伴うけど、必ず得るものはあるし、本当にしたい事は実行するべきなんだという事。

たくさん練習していた当時の部屋
兄と一緒に練習してました。

それではまた:)



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