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いつか見た風景 17

「四次元音楽の調べ」


 「二次元が三次元の影なら、三次元は四次元の影であるかも知れない」なんて言ってたのは確かマルセル・デュシャンだったかな。便器を逆さまにしたらスルッと四次元の尻尾が現れちゃって、よくよく見たらその尻尾に顔がついててさ、チェス駒のビショップみたいな奴がニヤッと笑ってデュシャンの耳から脳みそに勝手に入り込んだりしたんじやないかな。

              スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


 そうそうチェスや将棋の起源だって言われてる古代インドのボートゲームにチャトランガってのがあるけど、あれは戦争好きの王様に戦争を止めてもらうために、とある高僧が考えて王様に献上したゲームらしいんだ。車に歩兵、馬に像と最初は4つの戦力だったからチャトラ(4つの)ンガ(部分)って名前になったそうなんだけど、私はどうもこの「4つ」ってのに何だか引っかかるんだよ。

車や歩兵や馬ってのは、実際に武器を運んだり戦ったり移動したりって分かり易いけど、像ってのは何だかちょっと抽象的で曖昧な気がしてさ。きっと王様とか神様とか、或いは宮殿とか何かの化身とか、とにかく象徴としての像だったんだろうけどね。王様、コレはあなたご自身ですとか、これはあなたの王国を表していますとか、或いはこの像はこの世の全てですとかって。きっと世界は初めから何か4つ必要だったんだね。4つあって世界だったんだよ。回りくどい言い方になっちゃだけど、つまりこの世は最初から四次元だったんだって思うんだよ。


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 それでね、その四次元ってのを感じる最も手っ取り早い方法が音楽なんだと私は前から思ってたんだ。何しろ音は目に見えないからさ。目に見えないと何かと便利で都合がいいじやないか。そうそう余談だけど私も若い頃はご多分に洩れず透明人間になりたいなんて思ったこともあったっけ。

 音楽は私の何かの記憶を呼び起こし、期待や不安、希望や絶望を繰り返し奏でていく。崇高な旋律も邪悪な音列も共に私には必要だった。私自身を語り、同時に私ではない別の人格にも素早く変身できる便利な装置。それが音楽の正体だ。


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 深夜にラジオから私だけに用意された曲が流れて来る。生まれて初めて聴くその曲は、もしかしたら私のこれからの人生を左右する大事な成分(メッセージ)を含んでいるのかも知れない。それは一粒一粒の音の流れかも知れないし、重なり合う音の響きかも知れない。それらを支え変化するリズムや間の静寂も、私の中の何かに信号を送って私を操作しているようだ。

 もう諦めろ、まだまだこれからだ、お前はよくやった、大丈夫だよ、本当にそうか、懐かしいだろう、忘れていたのか、思い出せよ、気楽にな、身を任せるんだよ、そこが頑張り時だから、でも無理するなよ、お前はお前のままでいい、そのままでいいのかい、明日目が覚めたら始めてみるんだ、諦めるな、まだまだ諦めるのは早いって、トイレには行ったか、大丈夫なのか、本当に、大惨事になったりしないか、興奮し過ぎて後で後悔しないか、そうかそうかそれでいい…。


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