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【小説】烏有へお還り 第19話

   第19話

 バスケットボールがバウンドする振動と、シューズと床が擦れる音が響いてくる。校舎と体育館をつなぐ渡り廊下で、遅れて部活に向かう二年生が通り過ぎるのを待ってから、柚果は口を開いた。

「ごめんね、急に」

 星奈が微笑み、首を振る。
「こちらこそ、さっきは日菜子がごめんなさい」

 志穂と親しくしていた相手を探すことを約束をした時から、真っ先に浮かんでいたのは星奈だった。

 志穂が亡くなったという知らせを受けた教室で、声をあげて泣いていた印象が色濃く残っている。他にも志穂のために涙を流していた生徒たちはいたが、星奈の涙に誘われた様子だった。

 星奈は小柄で、ストレートの長い髪をいつも二つに分けて結んでいる。教室内ではあまり発言せず大人しいタイプだが、笑うと目尻の下がる愛くるしい顔をしていた。

 ところが声をかけるタイミングをうかがっているうちに、数日が経ってしまった。星奈はいつも決まった友達と二人で行動しており、一人きりになることがない。

「あの、風間さん」
 仕方がないので、放課後に星奈とその友達が二人で帰ろうとするところを追いかけて声をかけた。

「突然ごめんね。ちょっと話したいんだけどいいかな」
 柚果から星奈に声をかけたことは初めてだった。一瞬、怯えたような顔をした星奈の代わりに、

「星奈になんの用?」
 隣から三輪日菜子が応えた。柚果と星奈の間に立ちふさがる。

「ええと……ちょっと聞きたいことがあって……」
「聞きたいことってなに」
 まさか話をする前からこんな反応をされるとは思ってもみなかった。焦ったあまり、

「風間さんは、高田志穂さんと仲が良かったの?」
 前置きもなく切り出してしまう。まずかったとすぐに気づいた。日菜子の後ろで、星奈も柚果に警戒の目を向ける。

「違うの。別に変な意味じゃないの。ただ風間さん、高田さんが亡くなったって知って、すごく泣いちゃってたから」
 必死で言い繕った。しかし日菜子は、

「話って、やっぱりそれなの!?」
 ますます目を吊り上げる。柚果は戸惑いながら、日菜子と星奈を見比べた。

「やっぱりって?」
 問いかける柚果から庇うように、日菜子は星奈の両腕に触れると、

「あんたみたいな人、他にもいた。言っとくけど、星奈は高田さんの自殺の理由なんて知らないから!」
 語気も荒くそう言った。柚果が言葉を失う。

「星奈、行こう」
 日菜子が星奈の腕を引っ張り、下駄箱へ向かう。

「待って!」
 我に返った柚果が慌てて追いかけ、星奈に向かって頭を下げた。

「ごめん、そんな質問をしたいわけじゃないの。ただ、どうしても高田さんのことで知りたいことがあるの」
 必死で伝える。けれども、志穂のノートにあったメモについて、ここで話すのは憚られた。

「知りたいことってなに。言ってよ、ここで」
 再び星奈と柚果との間に立ちふさがる日菜子に、

「日菜子」
 星奈がそっと諫める。「ごめん、日菜子。あたしも筧さんと話がしたい」

 星奈の言葉に、日菜子は悔しそうに引き下がった。柚果は星奈を連れて移動すると、誰もいない渡り廊下で足を止めた───。

「志穂ちゃんのこと聞きたいんだよね」
 目を瞠った。星奈の口から「志穂ちゃん」という言葉が出たことに驚く。

「うん……風間さんは高田さんと親しかったの?」
 二人が親しくしているところは見たことがなかった。しかし二人は去年、同じクラスだったという。

「実はわたし、一年の途中で、学校に来られない時期があったの」
 星奈がぽつりと話し始めた。最初はただ単に体調を崩して、二週間ほど学校を休んだだけだった。しかし治ってからも学校に行くことが苦痛になった。朝になると身体がだるくなり、息が苦しくなる。

 志穂は毎日、学校からのプリントと共にちょっとしたメモを付けて届けてくれた。もともと小学校が同じだったため、家は近かった。やがて星奈が自ら出迎え、玄関で立ち話をするようになった。

 学校へ行くことは苦痛だったが、友達と話すことは楽しかった。志穂は星奈を無理に学校へ誘うことはせず、ただ学校で起こったことを面白おかしく話したり、お互いの趣味について話したりするだけで、それが星奈にはここちよかった。

「それで、一年の三学期から復帰することができたの」
 星奈と志穂はそれを機に親しくなった。けれども二年生になってクラスが別れてしまい、星奈は日菜子と親しくなった。自分の気持ちを心の内に抱えてしまいがちな星奈を、日菜子はいつも全力で守ってくれる。

 ただ日菜子は独占欲が強く、星奈が別の友達と親しくなることを好まない。必然的に、星奈と志穂の間には距離が生じてしまった。

「でも、実はね」
 星奈は周囲に誰もいないにもかかわらず、声を潜めた。柚果もまた、ちらりと周囲に目を運んでから星奈の口元へ耳を寄せる。

「夏休みに、志穂ちゃんが一度だけ遊びにきてくれたの」
 久しぶりに志穂とゆっくり過ごし、音楽の話で盛り上がった。いつの間にか志穂は音楽にとても詳しくなっていた。

「ただ、その時の志穂ちゃんの様子が気になってたの」
 星奈はそこで言葉を切り、躊躇うように唇を噛むと、

「なんかね、独りごとを言ってたの」
 そっと柚果に向かって打ち明けた。

「独りごと……?」
 初めて耳にする。志穂の母からも聞いていない。

「どんな独りごと?」
 柚果もまた、無意識のうちに口から出てしまうことがある。家具に足をぶつけた時、美味しいスイーツを食べた時、あるいは思い通りに動かない機械に向かって。

 しかし星奈は「そういうんじゃなくて」と首を振ると、

「なんかね、まるで相手がそこにいて会話するみたいに」
 と言った。その時のことを思い出しているのか、眉をひそめている。

「少し不安定なのかなって、その時に思ったの。でも、結局遊んだのはそれきりで、そしたらこんなことになっちゃって……」
 星奈が言葉を濁した。涙目になっている。嘘を言っているようには見えない。

「その、一緒に遊んだ時に、高田さんからなにか悩みごとを打ち明けられたりしたかな? または、ため込んでいる気持ちを聞いたり」
 柚果の問いに、星奈が首を振る。

「ううん。志穂ちゃんの方こそわたしの心配ばかりしてくれて、あとは音楽の話しかしてない」
 星奈はそう言って、じっと黙り込んだ。自分を責めている気持ちが伝わる。

「筧さん、志穂ちゃんと仲良かったの?」
 急に水を向けられ、言葉を無くした。「ううん」と首を振る。

「そんなに親しくしていたわけじゃないんだけど……」
 柚果の言葉に、星奈が不思議そうに首を傾げた。

「高田さんのこと、知りたいと思ったの。亡くなった理由じゃなくて、本当はどんな子だったのかな……って」

 彼女が生きている時は、知ろうとする前に知ったつもりでいた。
『自分いい人アピール』なんかじゃない。志穂は本心から、他人のために行動できる子だった。

「志穂ちゃん……」
 星奈がぽろぽろと涙を流す。柚果はそっと横を向き、鼻を啜り上げた。

 星奈と二人で昇降口へ向かうと、下駄箱の前で日菜子が待っていた。星奈に駆け寄り、引き離すように柚果との間に割って入る。

「それじゃ風間さん。ありがとう」
 やっとそれだけを言った。星奈が日菜子の陰から、ぺこりと頭を下げる。

 鞄を取りに教室へ戻ると、二人が校門を出ていくのが見えた。星奈とは話が合いそうな気がしたが、番犬のような日菜子の目つきを思うと近寄る気にはなれない。その一方で、日菜子の気持ちも理解できた。

 星奈を守ることで、日菜子もまた満たされようとしている。いつだって誰もが「ぼっち」にならないために必死だ。

 鞄を手にして教室を出た。下駄箱に向かう柚果の頭に、星奈と話している時からずっと抑え続けてきた、ひとつの考えが浮かんできた。

 もし星奈とクラスが離れなかったら、志穂の自死を避けることができたのだろうか───。
 そんなことを考えても仕方がない。わかっていても胸が痛んだ。

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