私は物書きを志望しない 2024年3月【6】
お金を持っている人はよく、お金なんて大した価値がないと言う。彼らはお金の虚しさを語る。かつてお金に困って追い詰められたが、すんでのところで助かったという経験を話す。
彼らは「お金は必要な時に向こうから来る」と結論する。私にはどれもこれも結果論に思える。お金持ちの話を聞けば聞くほど、お金持ちになれるかどうかは運であるという思いが強まる。
そもそも私には関心がないのだ。お金を得るために何とかしようとする気力が起きない。いつも何かを書いているので、よく文章で身を立てたらどうかと提案されるのだが、私には絵空事に思える。
世の中には物書き志望が多い。熱望している人間が大勢いる。私にそんな気概はない。こういう者が物書きになどなれるわけがない。
私は他人の要望に応じて書くことができない。少しだけ挑戦してみたことがあるのだが、あまりにも苦痛ですぐやめた。書きたくないことを書くことができる人だけが、物書きになれるのではないかと思う。
私にとって書くことは、部屋の片隅にあるピアノを指一本でポロポロ鳴らすようなものだ。書くという行為は、退屈が極まった時にようやくすることができる。
私という人間は否定でできている。あらゆることをしたくない。起きたくないし、寝たくない。食べたくないし、話したくない。トイレにすら行きたくない。私がトイレに行くのは、トイレに行かないでいる苦痛がトイレに行く苦痛を上回った時だ。
いつもいつも「したくないことA」と「したくないことB」が心の中でせめぎあう。そうしてマシなほうを選んでいるだけなのだ。
物書きになりたくなくて良かった。多くの人が物を書いて食べていくことを夢見て、ほとんどの人が失敗する。そんな生き方に憧れない人間で良かった。物は書きたい時にだけ書くに限る。
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読み終えた本や着なくなった服を売りに出すのと似ている。売れたら嬉しい。売れなくても別にダメージはない。
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