穏やかに健やかに(๑´◡`)_旦

元ライター。2009年会社設立、2023年会社解散。アラフォー。現在は会社員として余生…

穏やかに健やかに(๑´◡`)_旦

元ライター。2009年会社設立、2023年会社解散。アラフォー。現在は会社員として余生を生きています。元・穏やかに健やかに(83歳) https://amzn.asia/d/hcGX5u5

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書くことが仕事でない気楽さ:執筆の自由を取り戻す

2023年に廃業してから、仕事で文章を書くことはなくなった。 それまでは書くことが仕事であり、自分の文章が世に出た時には達成感を感じるものの、それでも書くことは苦痛だった。 今ではプレッシャーもなく、気軽にこうしてnoteを書いている。 ライターとして書いていた頃は、納期や品質へのプレッシャーが常にあった。 執筆に行き詰まり、朝の2、3時まで仕事をすることも当たり前だった。 やり取りをするのは主に編集者で、ライターと編集者の関係は上司と部下のようなものであり、書いた

    • メロンパンじゃなかった時期

      昼食には、コンビニ(ローソン)で菓子パンとコーヒーを買っている。 しかし最近、菓子パンの中でもメロンパンを避けている自分に気づいた。 若い頃はメロンパンが好きで、特にセブン-イレブンのメロンパンをよく食べていた。 それなのに、なぜ最近はメロンパンを手に取らなかったのか。 それは、ただ単にメロンパンじゃない時期だったということだ。 若い頃、困難な時期には「梅原猛の『歎異抄』入門」を読んで心の支えにしていた。 しかし、事業が拡大し、自力で何とかしようとしている時期には

      • 余計なプライドは捨てて行け

        年齢を重ねるごとに、邪魔になるのが余計なプライドだ。 「自分はこんな経験をしてきた」「こんなスキルや資格を持っている」「そんな自分が、なぜこんな扱いを受けるのか」など。 あるいは、単に年齢が相手よりも上だからというだけで、相手を見下してかかるような人もいる。 そういった余計なプライドが人間関係に摩擦を生じさせ、生きづらさを感じさせる原因となる。 特に中高年で転職し、上司や先輩が自分よりも年下の場合、余計なプライドから職場に不満を募らせることが多いように思う。 幸いな

        • 「やりたいことを仕事にすべき」は本当か?

          「自分がやりたいことを仕事にしたい」と考えている人も多いかもしれない。 たしかに、情熱を持って取り組める仕事は、モチベーションを高め、人生の満足度を上げるだろう。 仕事に主体的に取り組むことで、成長も早まる。 しかし、理想と現実は必ずしも一致しない。 市場に需要がなければ、いくら好きなことでも商売にはならない。 また、多くの人が同じ夢を追っていれば、競争は激しくなり、生き残るのは難しい。 好きなことを仕事にしたはずが、プレッシャーとなり、苦痛に変わることもある。

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        書くことが仕事でない気楽さ:執筆の自由を取り戻す

          君子は豹変す:言動はコロコロ変えていい

          「君子豹変す」とは古代中国の言葉だが、現代ではネガティブな意味で使われることも多い。 元々は「徳の高い人物は、過ちに気づけば即座に改め、正しい道に戻る」という意味だ。 状況に応じて、態度や考えを柔軟に変えることの重要性を示した言葉である。 誰しも間違いを犯すし、時代全体が間違っていることもある。そんな時に間違いに気づいたら、すぐに改めることが大事だ。 言動をコロコロ変えることをよしとせず、一度決めた道を貫き通そうとする人もいる。 一見、それは筋が通っていて美しいよう

          君子は豹変す:言動はコロコロ変えていい

          「毒親」も「親ガチャ」も存在しない:自分の人生を生きてゆけ

          「毒親」や「親ガチャ」という言葉が流行っている。 しかし、本当に親のせいで人生が決まってしまうのだろうか。 たしかに、どうしようもなく酷い親もいるだろうし、そんな親に苦しめられている人も多いかもしれない。 だが、親というのは唯一無二の存在だ。 その親以外からあなたが生まれてくることはなかったし、他に選択肢はなかった。 もし、親ガチャに外れたと考えているのだとしても、親ガチャが当たった場合のストーリーというのはそもそも存在しない。 親が唯一無二の存在だからと言って、

          「毒親」も「親ガチャ」も存在しない:自分の人生を生きてゆけ

          会社に魂は売り渡さない:自分を見失わずに働く

          14年間のフリーランスを経て、ホワイトな大企業に運良く潜り込むことができた。 就職して1年が経ったが、今はこの選択に満足している。 フリーランスに憧れる人も多いが、当然フリーランスには良い面もあれば悪い面もある。 フリーランスのメリットは、時間や場所に縛られず自由に働けることだろう。 一方で、収入が不安定であることや、1人で働くことの孤独感、責任を全て自分で負わなければならないことは、フリーランスのデメリットだ。 会社で働くことにも良い面と悪い面がある。 1番のメ

          会社に魂は売り渡さない:自分を見失わずに働く

          書きたいことだけ書けばいい

          書きたいことだけ書けばいい。 この言葉からは、田中泰延氏の『読みたいことを書けばいい』という本を思い浮かべる人も多いかもしれない。 しかし、自分が言いたいこととはちょっと違うかなと思い、 念のためKindleで同書を読み返してみたら、結果的には言いたいことはだいたい同じだった。 この本に書かれていることを一言でまとめると、「読者のことなんか考えるな。 自分が一人目の読者なのだから、自分が読みたいことを書けばいい」である。 読者のことなんか考えるな、というのには

          書きたいことだけ書けばいい

          くだらない世の中なのに、なぜ生きるのか?

          書きたい記事のアイデアは、疑問形で降ってくることがある。 「くだらない世の中なのに、なぜ生きるのか?」 記事を書くためには結論を出さなければならない。 昔であれば、いくつかの本を当たってみたり、ネットサーフィンをしていたところだ。 しかし、今はAIがある。 早速、GeminiとCopilotに、この疑問を投げかけてみた。 AIの答えなんだか少し怒られたような気がする。 結論結論としては、やはり他力である。 「生きている」のではなく、「生かされている」のである。

          くだらない世の中なのに、なぜ生きるのか?

          文章をあえて崩すの法

          「てすます」と「だである」を混在させるな、というのは、ライティングの基本中の基本です。 でも、ブログやnoteを書く際には、あえて文章を崩したほうが、リズムが出てきて読みやすくなることがあります。 「ですます」一辺倒だと、文章に必死さがにじみ出てしまう気がします。 読みやすい文章を書く人は、天性の感覚なのか作為なのか、以下のようなテクニックを使っているように見受けられます。 1.「ですます」の後に「ね」「よ」を付けてみる「…ですね」 「…ですよ」のように、「ね」や「よ

          noteの語尾、「ですます」と「だである」どちらが良いのか問題

          これまで、noteを「だである調」で書いてきました。「ですます調」は少し気恥ずかしいと感じていました。 ところが最近、他の人のnoteもよく読むようになり、ほとんどの人が「ですます調」で書いていることに気づきました。 肌感覚としては、8割が「ですます調」で、2割が「だである調」。実際には「だである調」はもっと少ないかも。 今まで「だである調」を使ってきたのは、自分の思考を文章にする時にしっくり来るからです。 頭の中で「ですます調」で物事を考えている人はいないはず。

          noteの語尾、「ですます」と「だである」どちらが良いのか問題

          HSPはデタラメ? 自分をラベリングする危うさ

          HSP(Highly Sensitive Person、通称「繊細さん」)がブームだ。 noteでも、HSPは人気ジャンルの一つとなっているようだ。 しかし、自分を「HSP」とラベリングすることには危うさも感じる。 そもそも、HSPには医学的根拠がない。 HSPかどうかを決めるのは自己診断だけで、第三者の判断は存在しない。 精神疾患や発達障害であれば、医師の診断によってそれが決められる。 だが、HSPは自己診断しかないため、誰でもHSPを名乗ることができる。 少

          HSPはデタラメ? 自分をラベリングする危うさ

          AIで自己理解を深める魔法のプロンプト:カウンセラーはもう不要?

          「私がどんな価値観を持っているかを解き明かす質問を出してください。それに答えるので、私の価値観をズバリ言い当ててください」 Copilotの質問 回答後の出力結果 Geminiの質問 質問に番号を振ってもらうと回答しやすい。 回答後の出力結果 まとめ 「私にいくつか質問してください。それに答えるので、〇〇」というのは汎用的で、自分に合ったリラックス方法や新たな趣味を提案してもらうこともできる。 (今日はコピペがほとんどなので、音声入力はお休み)

          AIで自己理解を深める魔法のプロンプト:カウンセラーはもう不要?

          AI時代の「作家性」とは、コンセプトである

          AIが文章、画像、音楽、動画を作る時代になってきた。 プロンプト(命令文)を打ち込むだけで、(現状では)ある程度、思い通りの創造物を生み出すことができる。 ごく近い将来には、日々進化するAIによって、ほとんど思い通りの創造物を生み出せるようになるだろう。 たとえば今では、ブログの記事をAIに書かせても、自分の記事とは思えないし、クオリティもまだ低い。 しかし、自分の記事を全て学習させ、AIのクオリティが上がれば、ほとんど自分が書いたような文章がAIによって作り出される

          AI時代の「作家性」とは、コンセプトである

          コミュニケーションには筋肉がある?:社会に紛れ込むことの意味

          ゴールデンウィーク中は、家族としか会話していなかった。 連休明けに出社し、他の社員とコミュニケーションしようとすると、どこか違和感を感じた。 コミュニケーションには筋肉のようなものがあり、使っていなければ自然と衰えてしまうのかもしれない。 自分の会社を立ち上げた時、若手経営者の交流会などに参加する機会が何度かあった。 自分は元々、コミュニケーションが得意な方ではない。 だが、そうした交流会に参加するうちに、見知らぬ人とコミュニケーションする際の抵抗感は少し薄れていた

          コミュニケーションには筋肉がある?:社会に紛れ込むことの意味

          今はキーボードの方が楽だけど、それでも音声入力に挑む理由

          ゴールデンウィークからnoteを再開したが、音声入力での執筆を続けている。 しかし、音声入力は難しい。 個人的に喋ることが苦手で、滑舌も悪い。喋っていて言葉が出てこないこともある。 音声入力を始めた人が最初にぶつかる壁を体験している。 現状では、キーボード入力の方が楽だと思う。 10年以上ライターをしていたので、タイピングは普通にできるし、キーボード入力でなら考えをまとめながら書くことができる。 だが、それでも音声入力に挑戦する意義はあると考えている。 その昔、

          今はキーボードの方が楽だけど、それでも音声入力に挑む理由