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【縣青那の本棚】 最初の人間 アルベール・カミュ 大久保敏彦 訳

『異邦人』を読んで感銘を受けたので、その流れで買い求めたカミュの、私にとっては2作目。オビ・・に書かれてあるように、この小説が未完なのは書いている途中でカミュが自動車事故で亡くなってしまったからだ。それを双子の娘の内のひとりがまとめて出版したらしい。

不慮の事故によりカミュが死去したことによって
未完成となった『最初の人間』

カミュは幼少の頃、父親を亡くしている(確か1歳)。アルジェリアの葡萄酒輸出会社に勤める貧しい労働者だった父は、第一次世界大戦(フランス軍がドイツ軍をマルヌ河畔で食い止めた〝マルヌ会戦〟)に参戦して負傷し、戦死した。

1950年に構想され、1959年に執筆が開始されたこの作品は、見も知らぬ父の姿を探し求めて故郷であるアルジェリアに戻る小説家の姿が描かれており、彼の母親の描写と彼女への思い、厳格だった祖母の思い出やその祖母の家で過ごした貧しい少年時代を、アルジェ市の場末町ベル・クール地区の細かい描写や生き生きとした子供達の姿を通して鮮明に浮かび上がらせている。

自伝的小説と言われているように、その内容はウィキペディアなどで読むカミュの少年時代そのままで、本人が書いているのだから当然ではあるが、細部に至るまで具体的でその時々の感情もつぶさに吐露してあるのが面白い。

会ったこともない、記憶にもない父への憧れと興味、貧困ゆえに日々の暮らしに擦り減ってしまった母への届かぬ思慕……。両親に対する少年のひた向きな愛情が透けて見える時、アルジェリアの強烈な光と熱い風、エキゾチックな舞台の中で、この物語は明るい爽やかさを帯びている。

そして、46歳の若さでその人生を終えなければならなかったカミュが、壮大な構想を抱いていたであろうこの作品を書き上げられなかったことはひたすらに残念でならない。

カミュを思わせる小説家の主人公が現住所であるパリを離れ、始めにC.Jという退役した教師(?)の家を訪れ、父の墓所を尋ねる。それから彼は海を渡ってアルジェリアへおもむき、懐かしい故郷の家に今も住んでいる母と再会する。

そこから彼の思考は追憶へと移り、少年時代の思い出の数々が展開されていく。

厳格な祖母にむち打たれた痛みの記憶や、眠くもないのに毎日強制される午睡シエスタの時間が辛かったこと、幼なじみ達との遊びや密接な繋がり、言葉を出すことに障害があるが人を笑わせることの得意な叔父さんと猟に行ったりした楽しい思い出、学校に通うようになってから余計に感じるようになった貧富の差という社会の厳しい現実……。

――その学校時代の途中で、物語は唐突に終わっている。アルジェリアで過去の記憶を辿っていく内、題名の〝最初の人間〟に他ならない父の魂に巡り会えるかもしれなかったであろうカミュは、そうだ、思いがけず予定よりも早く、父と遭遇することになったのだ。

個人的には冒頭の、アルジェリアはモンドヴィのブドウ園に辿り着いてすぐ、母が産気づいてカミュが生まれるシーンが好き。

作品が完結していたら、そうとう心揺さぶられる読み応えのある物語になっていたろうになあ、
と、改めて残念に思う。


この作品は『最初の人間』という同じタイトルで映画化されている。
昔、ミニシアターで他の映画を観た後に壁にポスターが貼ってあるのを見た(その時に観たのは確か、ルキノ・ヴィスコンティ監督ヘルムート・バーガー主演の『ルートヴィヒー神々の黄昏ー』という映画だった)。

当時はまだ小説も読んでいなかったしスルーしてしまったのだが、ポスターを見ただけでもアルジェリアの明るい空気感とカミュの幼い頃の物語への興味は湧いた。
ミニシアターで観れば、格別の感慨を覚えることが出来た作品のような気がする。
ああ、観に行っておけばば良かったなあ、と今更ながら思う。

未完の小説を1本の映画に仕上げているわけで、どんな作品なのか興味がある。数年前にアマプラで配信されていたようだが、今は外されていた。TSUTAYAに行けばあるかなあ。

まだ観ることは出来ていないが、機会があれば是非観てみたい。


映画館に貼られていたポスター


予告編がシネマトゥデイのYoutube公式チャンネルにあったので、URLを貼っておこうと思う。

映画『最初の人間』予告編 - YouTube


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