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牧師  山根さんの企画


牧 師    【1276字】

牧師がそわそわしている。
私はそれを見逃さなかった。
 
日曜日の礼拝のあと、みなさんが三々五々家路に就いてからも教会の様子を遠巻きに見ていた。教会から出てきた牧師はすぐに住居である牧師館に引き上げた。
ところが牧師はまたほどなく姿を現し、教会へ。
やっぱりおかしい。

私は仕込んでおいたモノを取りに教会のドアを捻った。鍵がかかっている。いつもなら日中は鍵は掛けられていないはず。
私はドアを叩いた。
「誰かいませんか?すみませーん」
ドアの向こうに人の気配がした。
「どなた」
「ああ、よかった。森尾牧師、私です、三隅です」
鍵を回す音がしてドアが開くと、そこに憔悴した牧師の顔があった。
「すみません。忘れ物を」
私はどんどん中に入って行き、後ろから5番目の席の棚から聖書を取り出した。
「ありがとうございます。助かりました」

牧師は何か逡巡している様子で私にチラッと視線を投げた。
「どうなさいました。顔色が」
「ああ、ちょっと優れなくてね。いろいろ悩ましいことがあって」
「おこがましいですが、お訊きしてもよろしいでしょうか」
「いやね、ちょっと不思議なことがあったんだよ」
森尾牧師は目を伏せている。こんな牧師の姿を見るのは初めてだった。
「昨日、私の前にイエス様が来られた」
「素晴らしいことではないですか」
「まぁそうなんだが・・・」
「イエス様はなんと?」
「それがだね。その・・・いいんだ。たぶん幻想だと思う。そう思う」
「幻想ならそれでいいです。その幻想はなんと?」
「それがだね、いいかね。幻想だから」
「はい。わかっています」
「実は・・・今日、ここのオルゴール、わかるかね。あの扉の外の古時計だよ。あれは時間が来るとオルゴールが鳴る」
「はい。存じています。ディスクが見えますから」
「それがだね、子を産むから見届けてくれということなんだ」
「まさか、子どもを?小さなオルゴールを産むってことですか?」
「だから、幻想なんだよ」
「ああ、はい」
 
静かな時間が過ぎた。オルゴールが5時のドボルザークの家路を演奏し始めた。
「牧師、私もお供させてください。一緒に見届けましょう」
「いや、いいよ。いつなのかわからないんだよ、申し訳ない。幻想なんだよ」
「私にはそうは・・・何と言われても、私も見届けます」
 
私たち二人の呼吸の音しかない。音をすべて引き渡してしまった、ここだけ闇の窪みに落ち込んでしまったようだ。
 
午後9時を回った頃、それはいきなり訪れた。
ギャーンと喚くような音と共に教会が震えた。
牧師と私は扉を引きちぎらんばかりに押し開いて外に出た。
牧師館が燃えている。
瓦礫と化した牧師館から炎が上がり、空を夕焼けの如く照らしていた。
二人とも呆然とその明かりに魅入られた。
 
消防車が到着して私は教会に戻った。衝撃からだろうか、時計は止まっていた。
時計の扉を開くと、少し小ぶりなディスクが転がり出て、私の足元にしばらく輪を描き、シンバルの音を立てて止まった。
 


後日、牧師とそのディスクを再生してみた。
 
ねむれ、ねむれ、ははのむねに・・・シューベルトの子守唄
 
牧師も私も、とめどない涙を止める術を知らなかった。
     了


山根さん
よろしくお願いいたします。


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