レモンボマー

例えばここに檸檬があったとする。僕はこれでどんなことをするだろうか。

まず、檸檬は果物だからかじってみる。口の中が酸味でいっぱいになるだろう。唾がたくさん出て、顔をしかめることになる。でも、この酸味は心地よく、またかじりたくなる。そうやって何度かかじって、口の中が檸檬の汁でいっぱいになる。なんだか胸が重たくなってくる。胸焼けしたのかもしれない。それでもなんとなく元気が出る。

次に、置物にしてみる。檸檬はよく見るとなかなか面白い形状をしている。丸ではなく楕円で、ラグビーボールみたいになっている。先端は丸まっていて、立たせることができない。仕方がないので横にして置いてみる。コロコロと転がるので平らな場所にしか置けない。梶井基次郎の「檸檬」みたく、読みかけの本を積み上げて、その上に置いてみる。積み上がった本の上にある檸檬は、果物というよりは何かのトレードマークのように見える。発色の良い黄色とほのかな香りで、部屋の空気が明るくなった気がする。

今度は、檸檬を投げつけてみる。例えば走ってる車に投げつける。檸檬はそんなに柔らかくはないから、フロントガラスに当たった時ドスンと大きな音がする。あるいは車のスピードが出ていれば檸檬は潰れるかもしれない。そうなるとフロントガラスは檸檬の汁でいっぱいになる。放射状に広がった汁に皮と種が混じっている。あたりは檸檬の香りで包まれるだろう。運転手はどう思うだろか。とにかくびっくりはするだろう。いきなり檸檬が目の前に飛び込んでくるのだ。怒る人も多いだろう。それはそうだ。洗車したての車ならなおさら腹をたてるだろう。場合によっては事故の原因になるかもしれない。とても危険なことだ。僕だってそんなことされたくない。でも、もし僕がその事態に遭遇したら、なぜ檸檬が投げつけられたのか、なぜ檸檬なのかと一番始めに考える気がする。なぜ、オレンジではなく、スイカではなく、檸檬なのか。果物でなくたっていいはずだ。例えば土の塊とか水風船とかそういったものでもいいはずだ。なぜ檸檬でなければいけなかったのか。僕は僕なりの答えが出るまで考え抜く。

例えば、檸檬をカタルシスの象徴だと考える。

始まりは、よくあるテレビ番組で檸檬が健康に良いと紹介されたことだ。疲れがとれるとか、視力の回復効果があるだとか、証明のしようがない効用が紹介される。人々は、ちょっと試してみようかなと軽い気持ちで檸檬を摂取しはじめる。そのうち、檸檬の需要が供給を超え、各地で売り切れが出はじめる。売り切れは新たな需要を喚起し、売り切れの連鎖が起こる。檸檬はちょっとした時代の中心になる。

次に新たな展開がはじまる。檸檬をより多く摂取しようと考えると、檸檬を加工する必要が出てくる。例えば煮詰めてジャムにしたり、擦り潰してピュレにしたりする。檸檬はそれほど柔らかくないので、この加工の手間が結構かかる。そこに目をつけた農家が、特殊な交配により、通常のものより柔らかい檸檬を開発する。この檸檬は、その利便性から大ブームになり、檸檬の主役の座を奪い取る。

もうひとつ、違う観点で動きがある。檸檬は摂取するだけではなく、顔や髪に塗りつけると美容効果があるという噂が広まる。容易に加工できる檸檬が出てきたおかげで、皆が、特に女性が、自作で化粧水やトリートメントを作るようになる。そのうちに、体全体に浴びるとヒーリング効果があるという発言をする学者もどきが出てくる。科学的根拠はまったくないが、口コミでその効果が広まる。

そして、いつの間にかどの家にも、檸檬がいくつか常備されるようになってくる。巷に檸檬が溢れてくると、子供たちは檸檬を遊び道具として捉えるようになってくる。持ちやすい大きさと、相手に当てた時のちょうどいい潰れやすさから、いたずらで相手に投げつける子供が増える。場合によっては、雪合戦ならぬ檸檬合戦が行われるようになる。

この檸檬合戦に目をつけた詐欺師が、檸檬を投げつけ合うことで精神の解放ができると謳い、新しい宗教団体を立ち上げる。この宗教団体は「檸檬党」という名で、檸檬を投げつけるだけという教義の敷居の低さと、投げつけるという行為がストレスの多い現代社会の現況にマッチし、予想以上の信者を集める。しばらくはその勢力を拡大し続けたが、巨大化しすぎた組織にはいつしか歪みが生まれはじめる。今までは、檸檬を投げつけられた側、すなわち檸檬の汁を全身に浴びた者がカルマの負債から解放されるというのが「檸檬党」の教理だったが、それはあくまで受け身の思想であり、自身の解放だけを優先したエゴでしかないという考え方が生まれる。つまり、投げつける側、相手のカルマの負債からの解放を促したものこそ徳の人であり、しいては世界の解放を促す聖者であるとみなす宗派が生まれる。過激派の誕生である。この過激派は、当初は「檸檬党」内での投げつけにとどまっていたが、次第にその矛先を外へと向けはじめる。彼らは、彼らの独自の基準で、救いを求めている人を判断し、いきなりその人に向かって檸檬を投げつけるようになる。投げられた方は、ほとんどがまったく望まない襲撃なので、だいたいは揉め事になる。しかし、この過激派は行為の爽快感からか、次第に勢力を伸ばし、本家からは完全に独立して行動をするようになる。人々は彼らのことを「レモンボマー」と呼び、彼らを恐れるようになる。彼らは人だけでなく、家や車まで標的にするようになる。警察も本格的に対策に乗り出したが、神出鬼没の彼らに手を焼き、取り締まりがしきれない。「レモンボマー」が本格的に暗躍するようになる。

僕は、ようやく意中の女の子をデートに誘うことができた。彼女はイルカが好きなので水族館に行くことにする。この日のために、先輩から借りてきた真っ赤なアルファロメオで彼女を迎えにいく。彼女は車を褒めてくれて、僕は意気揚々と水族館に向かうために首都高速に乗る。しばらくは楽しいお話があり、車内はラブな空気で満たされる。

すると右車線に僕の車に並走する形で走る車があることに気づく。真っ黄色なバンで窓ガラスまで真っ黄色にペイントされている。僕は、アッと気づいて、すぐに逃げようとしてアクセルを踏み込んでスピードをあげようとする。気づくと前にも同じ車が走っていることに気づく。よくよく見渡すと周りは黄色のバンだらけ。完全に包囲されている。「レモンボマーだ!」。僕が叫ぶと同時に、一斉に窓があいて中から白衣ならぬ黄衣を着たボマーが姿を現わす。僕はなんとか襲撃を避けようと減速するが時すでに遅し。レモンボムの一斉砲火を受ける。彼女は悲鳴をあげて頭を抱え込んでいる。ビチャビチャと車に檸檬が当たる音がする。僕はなんとか檸檬をさけようとして蛇行運転になる。叫び狂う僕らをよそに、一通りレモンボムを投げつけたボマーたちは、あっさりと僕らを捨てて走りさってしまう。僕は、フロントガラスについた檸檬のおかげで、完全にコントロールを失い、ガードレールに車を激突させてしまう。そうして、僕は、彼女に愛想をつかされ、先輩からは大目玉をくらい、借金を抱えることになってしまう。

僕は、あいかわらず檸檬をみつめている。僕は少し笑ってしまう。そして、僕も「レモンボマー」なれるかなと思う。人に勝手に檸檬を投げつけておいて、それでカタルシスを得るなんて、僕にはできそうもない。それでも僕も少しだけ檸檬を投げつけたいとも思う。もし、僕みたいなやつが町を歩いていたら、投げつけてやるんだ。そう思う。解放してやるんだ。僕を。

そして、檸檬をポケットに入れて、僕はようやく外へ出かける準備をする。

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