Deadend

その日は10月にしては珍しく暑い一日だった。父は雨男だったので台風でも来るかと思ったが真逆の晴れた一日だった。

父が静かに息を引き取ったその時、僕は空の上にいた。正確には空を飛んでいたと表現すべきかもしれない。19時30分博多空港発羽田空港行の飛行機の中にいたのだ。その日はもともと博多への出張の予定があった。朝、病院から父の容態が悪化している、今夜が山場になるだろうと連絡を受けていたが夜までには戻れる予定だったので予定を変更せずに出張へ出かけた。予定どおりに戻ってくれば22時には病院につけるはずだった。

21時13分。なぜそこまで正確に覚えているのかというと僕が時計を見たからだ。なぜ時計を見たかというと時間を尋ねられたからだ。その日はそこそこ混んでいたが満席というほどでもなかった。僕は中央の三人席の左側の端に座っていた。いつもであれば窓際の席を予約するのだが、今回前もって予約をすることは時間的に難しく、前日に予約をしたので空いている席がこの席しかなかったのだ。ただ、それでもすぐ右隣の席は空いていたし、一番後ろの席だったので気兼ねなく背もたれを倒すこともできた。三人席の中央の席は空いていて、反対側の右端の席には中年の男が座っていた。恰幅がよく眼鏡を掛けスーツを着た中年の男だった。背はそこまで大きくないのだが全体的に大きい印象をうけた。常に汗をかいていて、席に座っているのが窮屈そうで、何度も体勢を入れ替えたり座りなおしたりしていた。
彼はいかにも大事そうに大きな封筒を抱えていた。B4サイズくらいの封筒で、おそらく彼が勤めている会社と思われるロゴが記載してあった。封筒は中に入っている物体の形にそって、一部分が大きく膨らんでいた。僕はその物体を想像した。何かの部品だろうか。部品だとしたらあれだけ大事そうに抱えているからには極めて特殊なものなのだろう。たとえば彼の企業は軍事用の部品を製造することで世界的に名のある会社で、アメリカ軍が現在秘密裏に開発している新型ステルス戦闘機の部品かもしれない。あるいは関東の電力を担う火力発電所に問題が発生し、全国でも彼の企業しか精巧することのできない特殊なスクリューが必要になったのかもしれない。いずれにしてもそのような部品であれば彼のような人間が直接運ぶことはしないだろう。
僕はちょっと気になってトイレに立つ時に彼の封筒をしっかりと見なおしてみた。形は思った以上に不規則で想像していたような機械の部品ではないようだった。封筒にある膨らみは上部と下部が大きく、その間は比較的膨らみが小さく感じられた。膨らみ方は上部の方が下部に比べて若干大きく右側の方がまた大きく見えた。逆に下部はあまり左右で膨らみに差がないように見えた。僕はその中身を尋ねる勇気もなく、それでもなんとなく中身が確認できないものかなんとなく気にしていた。しかし、ちらちら見ていたところで中身がわかるはずもなく、そのうちに僕の興味もなくなっていった。
それからは本を読んだりして過ごしていたが、しばらくすると急に右側でバンッと大きな物音がした。驚いて彼の方をみるとさっきまでは格納されていたはずのテーブルが開いていた。おそらく彼が荒々しくテーブルを開いたので大きな音がなったのだろう。もしくはテーブルを力強く叩いたのかもしれない。いずれにしても彼が音の発生源であることは間違いなかった。新たに開かれたテーブルには彼が抱えていた封筒が置いてあった。彼はさっきよりも一段と落ち着きのない様子だった。汗も多くかいているように見える。ハンカチを出して額の汗を拭った方がいいと僕は思った。彼のそんな様子を見ていると、彼もこちら側の様子に気づいたのか、こちらを向いて小さな声で「すいません」とつぶやいた。多少音に驚いたが、気になるほどのことでもない。僕は軽く会釈をして気にしていないことを伝えた。そのような僕の態度に彼は安心したのか弱く微笑みながらもう一度こちらを向いて「申し訳ないですがいま何時ですか?」と聞いてきた。何故に急に時間を聞いたのだろう。またなぜ乗務員ではなく僕に聞いたのだろう。いくつか疑問は湧いたが、それでも僕は腕時計をみて「21時13分ですね」と素直に答えた。と次の瞬間に一瞬だが飛行機が揺れた。大きくはないがグラっと揺れて明かりがほんの一瞬だけ消えた気がした。僕は動揺して自分のベルトを掴んでいた。大した揺れではなかったが、奇妙な質問をされたこともあったからかいつもより緊張してしまったようだった。しばらくして気持ちが落ち着いてきて、そういえば彼に話かけられていたことを思い出し、彼の方をみると彼は封筒を手にとって何事もなかったように座っていた。僕が見つめていたからか、彼はこちらを向き、先ほどと同じような弱い微笑みを返した。僕はみつめるのをやめて前を向いた。

僕はなんだか恐怖にも似た感覚に包まれていた。さっき飛行機が揺れた時、明かりが一瞬消えた時に背中に寒気のようなものが走った感じがした。恐怖とは違う。一瞬自分自身がまったく別の誰かになったような、意識だけが僕で、体が全く別の誰かになったような違和感だ。急に不安な気持ちになって僕は目をつむった。明かりが一瞬消えた時に頭に誰か人の顔が浮かんだように感じた。誰だろうか。男性だったように思えるし女性のようにも感じた。若いような感じもしたし歳をとっているようにも感じた。はっきりとしていることは僕はその人物に親近感を持っているということだった。僕はその人物が頭に浮かんでほっとしたのだ。父だったのかもしれない、そう思って父の様態が心配になった。
そして、不安は的中だった。21:10頃、様態が急変して父は帰らぬ人となった。父は長いこと肺がんを患っていた。1993年から日本人男性の死因のトップになった肺がんは父にも変わらず死をもたらした。がんは父を苦しめた。日に日に弱っていく父を見ているのは辛かった。父は決してアクティブな人間ではないが姿勢がよく背筋をのばしてきちっと立つ姿が印象的だった。そんな父が立つこともできなくなってしまったことが僕には信じられなかった。

僕には父との思い出があまりない。いや、あるといえばあるのだが印象的でいつまでも心に残るような思い出がない。ありきたりな語るまでのないようないわゆる親子の思い出しかない。僕と父は一般的な親子として生きてきたといっても差し支えないと思う。皆が思い描くような、少年期は一緒にキャッチボールをし、青年期には距離を置いて接するようになり、成人期にはたまには一緒に酒を飲むようなそんな親子だ。僕にはそれが都合がよかった。なにぶん自分のことで精一杯だったし、親子関係に関して難しい問題を持ちださなくてすむのは好都合だった。父もそう思っていたかもしれない。だから父のことを好きだったかとか尊敬していたかとか尋ねられるとうまく答えられない。おそらくこの部分に関しても同じように一般的だったのだと思う。
ただ、一つ父のことで印象的に憶えていることがある。それは父と飲むようになった時に父が語った父の生まれ故郷である尾道の話だ。父は生まれてから中学生半ばに東京に引っ越してくるまで広島の尾道にいた。少年期を尾道で過ごしたというわけだ。父はいつもこの時期の思い出を楽しそうに語る。言い回しからはこの尾道にいた期間は彼の人生において重要な意味を持つようだった。
「かくれんぼをするのが楽しくてね。いくらでも隠れるところがあるんだ。」

父が亡くなった日、僕は泣かなかった。予期していたこともあるだろう。自分の心の平静さを脅かすようなことはなく、いつもの日常が目の前を通り過ぎている、そんな感じだった。僕が病院についた時には父はすでになくなっていた。僕は一人っ子だし、母は僕が幼い時に出て行った後、別の男性の再婚をし、その後その家族に見守られながらすでにこの世からいなくなっていた。身内と呼べる人は僕しかいない。僕がその場にいなかった以上、父は一人でベッドの上で静かに生涯を終えたのだ。僕はその場にいるべきだったと思う。そのことは間違いない。でも、僕はその場にいなかった。飛行機の中にいて、隣にいた男性の紙袋の中身を気にしていたのだ。
父の告別式が終わった後に、父の弟である叔父と食事をしながら酒を飲んだ。父は日本酒が好きだったのだが僕は日本酒は飲めなかったのでしかたなくビールを飲んでいた。叔父は父を偲んで日本酒を飲んでいた。叔父は父の死に立ち会えなかった僕を受け入れるように
「仕方がなかったな。いついくかわからんからな。」と言ってくれた。そして、父と叔父が尾道にいた時の話をしてくれた。
「あいつはとにかくかくれんぼがうまくてね。すーっといなくなっちまうんだ。」
「俺はいつも見つけらなくてね。うろうろと兄貴を探しに行くんだが尾道は道が細かくて迷っちまうんだ。兄貴も見つけられない、道もわからないで寂しくなって泣いちまうんだ。しばらく泣いているとまたすーっと兄貴が出てきて俺の頭をぽんって叩くんだ。」
「かくれんぼにならないじゃないか。真剣にさがしてくれよ。っていうんだよ。でも、俺は見つけてもらって嬉しくてニコニコしてた。」
「あいつは尾道を道を完全に把握してたんだと思う。一人でよくふらふらと散歩していたしな。」

僕は三年前に離婚をしていて子供もいなかったし家族とよべる人は父しかいなかった。そういう意味では僕と父は同類といえたのかもしれない。僕らは孤独だったし、もっと寄り添って生きていてもよかったのかもしれない。でも僕らにはそれができなかった。父が入院しても僕は二週間に一度くらいしか病院にはいかなかったし、父もそれについて不満をいうことはなかった。ヘルパーさんがよくやってくれていたし、父は他人に何かと世話をやかれるのは好きではなかったので、父にとってもその方が都合がよかったのだと思う。僕らは僕が二十歳の時に家を出て一人暮らしをしてからずっと別々に暮らしていたし、それが当たり前だったのだ。僕が父の家にいって掃除や洗濯をすることもなかったし、父が僕に小遣いをくれるようなこともなかった。僕らはお互いを尊重するという名目のもとに、まるで他人のように生活をしたのだ。
それでも僕らは何年かに一度は会ってお酒を飲んだ。まるで家族であることを再確認するように父の家や僕の家の近くのバーで会って飲んだ。特に話す話題はなかった。父はいつも英語の教科書に載っているような決まりきった挨拶のように「最近はどうしてるんだ」と話し、結局は話すネタがなくなってくると尾道の話をした。話の内容はいつも同じだった。それでも僕はいつも初めて聞いた話のように聞き入ったふりをした。僕がその話をとめたところで他の話のネタがあるわけでもない。これは儀式みたいなものだ。そう思っていた。父は話の合間にウイスキーをよく飲んだ。そして、父はだいたいひどく酔っ払って足取りがおぼつかなくなりながら帰路についた。

父の死は僕に何をもたらしたか。
僕は完全に一人になった。もちろん僕みたいな人間だって友人はいるし馴染みの店はある。でも、家族とよべる人間がいないという点では僕は完全に一人だった。そういう意味では父の死は僕に孤独をもたらしたと言える。でも、僕にはそれが良いことなのか悪いことなのか区別がつかなかった。僕は孤独について耐性がついていたのかもしれない。あるいは強がっていたのかもしれない。それでも、僕は孤独であるということをうまく飲み込めたと思う。父の告別式がすんでいろいろなごたごたが落ち着いたころには僕もそれまでと変わらない日常を過ごしていた。朝起きてパンをトーストして食べ、満員電車に乗って仕事場まで行き、神経の線が見えなくなるくらいすり減らしながら仕事をし、家へ帰る前に神経を元通りにするため、いきつけのバーでウイスキーを飲むという日々を過ごしていた。今思えばアルコールの量も増えていたし、帰ってきて風呂にも入らずそのまま寝てしまうこともあったりして、少し精神的に参ってきていたのかもしれない。でも、そのころの僕にはそれが日常だったのだ。そうやって何ヶ月かが過ぎた。

ある時、広島に行くことになった。大きな商談の話があり、しばらくは頻繁に客先に出向く必要があったので、その都度東京からいくよりは広島にしばらく滞在した方がいいだろうということになり、ひと月ほど広島で過ごすことになった。
頭の片隅に尾道のことがあったもののなかなか行く気にはなれなかった。父があれほど話をしていたから興味はあったものの、父のルーツを知ることは自分の知らない父の一面を見てしまうように感じて、どうしても気がのらなかった。それでもようやく商談がまとまった日、ふとその気になって、帰りに尾道に行くことにした。

尾道は9月も終わりだというのにまるで真夏みたいに暑かった。僕は駅を降りてしばらくはどのように歩いたらいいか観光案内所の看板を見つめていたが、地図が提供されていたのでそれをとり歩き出した。狭い道を歩いていく。僕にはまるで迷路だ。地図もたいして役には立たない。でも、迷いながら歩くのも悪くない、そう思った。歩いていくとそのうちにふわっと寺が現れる。道に迷う、目印になるものを探すと自然に寺にたどり着く、そんな感じだ。
寺にもいろいろある。全体的に手入れが行き届いていて常に香の匂いが充満している寺もあれば、人気がなく端にはものが雑然と置かれ、まるで物置のようになっている寺もあった。僕はゆっくりと時間をかけてそれらの寺を歩いた。できるかぎりもらさずにひと通りの寺を歩いた。道はせまく、車はまるで通れる隙間もないような道が張り巡らされている。その町を歩いているとなぜか自然と気持ちが落ち着いていく気がした。
しばらくして僕は完全に迷子になった。うろうろと寺を巡っていくうちに自分がどこにいるかわからなくなってしまった。目安になるような寺も見当たらず、似たような家ばかりがならぶ路地の真ん中で途方にくれてしまった。道なのか家の通路なのかわからないような坂を登ったり降りたりして、なんとか目印となるような寺を探そうとした。地図には寺の名前が書いてあるので、寺さえわかれば何とか自分の場所が特定できると思ったからだ。それでも、寺は見つからず、道は段々と複雑さを増しているようにみえた。階段らしきものを見つけ、すこし上がってみる。その先には狭い通りに連なるように家が何軒も建っていて、そこからテレビの音がする。誰かいるかと覗いてみるが、人の気配はしない。またしばらくいくと家の物置のようなものがあって、行き止まりになっている。右には降る階段があって、その下には何とか車が通れるような道がある。自分がどこにいるのか全くわからないが、それでも迷路みたいな道を歩いているのは楽しい。どうせ時間なんていくらでもあるのだ。
せっかくだから楽しもうと思って、あえて細い方の道を選んだりする。また、行き止まりについて、今度は上り階段がある。そこを抜けるとすこしひらけた行き止まりがあった。そこには過去には家があったのだろう。ちょうど家の分くらいだけ土地がひらけている。コンクリートの枠がいくつか残されていて、その周りには雑草が生えている。コンクリートに囲まれた土の上に、ちょうど椅子みたいに大きな石が一つ置いてあった。少し疲れたなと思って、その石に座る。周りは家で囲まれているのに、虫の音が聞こえるくらいで、変に静かに感じる。僕はハンカチで汗を拭きながら、じっとそこに座っている。まるで、時間がゆっくりと逆回転しているようだ。少しずつ少しずつ色々なものが戻っていくように感じる。すべての物事がゆっくりと元どおりになっていくような、そんな感じがした。僕は、自然と父を思い出す。父はこの場所に来ただろうか。かくれんぼの最中に、ここに隠れただろうか。父がいた頃は、まだここに家が建っていたかもしれないな。もしかしたら、ここに父が住んでいたのかもしれない。僕は、なんだかこの場所が愛おしくてたまらなくなる。この場所がまるで自分の居場所のように思う。そう、自分のいるべき場所。自分の故郷。そんな錯覚。
僕は、その場にあった石をひとつ拾う。たわいもない、どこにでもある石だ。でも、僕は、この石にこの場所を象徴するものとして、想いを託そうと決める。この場所の記念品だ。小さくてなめらかな触り心地の石は、日にあてられて少し暖かくなっている。まるで、その暖かさは生きているように感じられ、僕にはそれが人の暖かさのように感じている。なんだかそれがとても大事なもののように感じて、僕はそっとポケットにいれて、いつまでもその中で石を触っている。静かに立ち上がって、僕はゆっくりとその場所を出た。
しばらく当てずっぽうに歩いていくとようやく寺の前に出た。あとは地図をみて、駅に向かって歩いていく。もうすぐ日が沈みそうだ。僕は駅へと急いだ。

その夜、僕は夢を見た。何だかやけにリアルな夢だった。僕は飛行機に乗っている。三人席の右端に座り、大事そうに紙袋を抱えている。その紙袋には、僕の父の故郷の象徴である、あの石が入っている。僕はそれを落とすわけにはいかない。なくすわけにはいかない。だから、僕は大事に大事にその紙袋を抱えている。三人席の左端には、古びたジャケットを着た、痩せた男が座っている。目線はぼーっと上を向き、力なく肩を落とし、何をするわけでもなくただ座っている。男は時折不安そうにシートベルトを握りしめる。飛行機に初めて乗った子供にように不安そうに見える。
僕は今飛行機はどのあたりを飛んでいるかなと考えている。富士山はとっくに過ぎたか、そうするとちょうど広島あたりを飛んでいるかもしれない。そもそもこの飛行機はどこからどこへ行くのか。そんなこともわからないのかと僕は笑う。外を見たいなと思う。ちょうど窓際の列には誰も座っていない。席越しに窓から外が見えた。外は雲ひとつない青空だった。よくよく考えればあたりまえのことだ。なにせ飛行機は雲の上を飛ぶ。雲を超えた世界を飛ぶのだ。だが、僕はそのことに気づいていない。美しい青空を見て、まるで世界が明るく生まれ変わったように感じて、嬉しくなってくる。僕はしばらく空を見ている。ゴーっというジェットエンジンの音に包まれながら、空を見ている。
僕は世界のことを考え始めている。僕が今飛んでいる世界ではなく、降り立った、地上の世界だ。土があって、空気がしっかりとした濃さを持ち、人たちが足早に動き回っている世界のことだ。僕はその世界での今までの生活を考えている。僕は、うまく生きてこれただろうか。今この時までで、僕の生活は僕の思い描くように流れていっただろうか。相変わらず綺麗な青空が水が流れるように窓を横切っていくのが見える。ふと、妻のことを思い出す。彼女は僕に何も言わずに出て行った。ある朝、僕が起きたらもう妻の姿は家にはなかった。彼女が物置部屋として利用していた部屋からはいくつかの洋服がなくなり、洗面所からは彼女の化粧品がなくなり、台所からは彼女が大事に使っていたマグカップがなくなっていた。僕にはなすすべがなかった。二人で暮らしていたはずの部屋から彼女の痕跡がすっかりとなくなってしまったのだから。僕は受け入れるしかない。いや受け入れざるをえない。そう思った。
バンッと大きな音がする。はっとして反対側の席を見るとそこに父が座っていた。いや、さっきから座っていた。見すぼらしい古びたジャケットを着ていた男は父だったのだ。なんとなく僕はわかっていた。いや、わかっていたような気がする。それは父の匂いがしたからかもしれない。父は、テーブルに両手を置いて、こちらを見ていた。憤慨しているようにも見えるし、困惑しているようにも見える。私の方をじっとみて、まるで動かない。
「父さん。」
僕はおもわず声に出してしまう。父は、かわらず僕をじっと見つめている。僕はまるで意味がわからない。父の顔には表情が感じられず、だから僕は父の意図を読み取れない。僕が困惑をしていると、父はゆっくりと右手を僕の方で差し出した。
「何?父さん。どういう意味?」
父は何も答えない。父はじっとこっちを見つめたまま、右手を差し出している。僕は、判断もつかない。その手が何を意味しているのか、しばらく考えて、もしかしたらこの紙袋なのかもしれないと思う。紙袋をあの石を返せと言っているのだ。そう考えた。実はあの石は父の大事なもので、私は知らず知らずのうちのその大事なものを奪ってしまっていたのかもしれない。それで、わざわざ夢にまで出てきて取り返しにきたのだ。私は恐る恐る紙袋を渡す。父の右手に紙袋を渡すと父は静かにそれを受け取った。
「お前には必要ない。お前に必要なものなどない。」
父はぼそりとそういうと席を立って、前の方へ歩いていってしまった。僕は、父の言葉を噛み締めようとする。意味はわからない。わからないけど、父の何かしらのメッセージなんだと思う。父は僕に何かを伝えたいと考え、僕の夢の中に出てきてくれたのだ。そう考えることにする。相変わらず空は真っ青で、透き通って遠くまで見通せる。僕はなんだかすっきりとした気になってくる。僕には必要なものなどない。
「ありがとう。」
僕はなんとなくそうつぶやいて、起きる準備をした。

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