CherryBlossoms

「なんだかこの木だけ花が多く咲いてない?」と母が言った。

その通り。なにせこの木の下にはぴーちゃんが眠っているから。ぴーちゃんとは僕が幼い頃に大事にしていたぬいぐるみだ。僕はそのぴーちゃんとのお別れの時、ぴーちゃんをこの桜の木の下に埋めたのだ。なぜそんなことをしたのかはわからない。なんとなく、ぴーちゃんときちんとした形でお別れをしたくて、それで埋めたんだと思う。それからしばらくは、一年に一度ぴーちゃんを埋めた時期にお参りと称して、この桜の木の様子を見にきていた。

最初の何年かは特に変化はなかったと思う。ぴーちゃんを埋めた日は春で、だからいつも様子を見に来た時には花が満開だった。何年かたった後、一緒に来た友達がこの木だけ綺麗だと言って、それでこの木だけが花の咲き方が違うことに気づいた。ぴーちゃんはペンギンのぬいぐるみだったので、直接関係はないのかもしれない。それでも、ぴーちゃんがいい影響を及ぼしたのだろう。それからは年を重ねるごとにどんどん花が咲くようになった。

僕は毎年その桜の木に通っているうちに、いつしかその桜の木を幼い頃のぴーちゃんのように特別な存在として感じるようになった。ぴーちゃんのおかげなのかもしれないが、なんだかその花の咲き方が僕のために頑張ってくれているように感じて、愛着が湧いたのかもしれない。いつしか、その桜の木は僕の守り神みたいな存在になっていた。春じゃない時でも、僕は何かあると、その桜の木に会いに行った。たとえば、友達と大げんかした時、初めて彼女ができた時、その彼女に振られた時、親と進路のことで喧嘩して家出でもしようかと思った時。特に桜の木に会って、大きく何かが変わるわけではない。それでも、僕にはその時間がとても大事だった。その場にいて、その桜の木と一緒にいる、ぴーちゃんを感じる。それだけで、僕の心は癒された。大の男がぬいぐるみに依存しているなんて恥ずかしい話だが、それでも僕にとっては大事な存在だったのだ。

僕もようやく三十歳になって、結婚をすることになった。なんだか実感がわかなくて、これから一緒に生きていく人ができるんだということがしっくり来なかった。それでも、僕にはもったないくらいの彼女で、だから僕は頑張って彼女を幸せにしようと思った。もちろん、あの桜の木のことも彼女に話をして、二人で報告をしに行った。桜の木がどう思ったのかはわからない。それでも、その年も相変わらず他の木よりも綺麗な咲き方をしていた。

あんなに大事にしようと決めたのに。僕はあの時、彼女を守ることができなかった。たった一時間だった。彼女は、買い忘れたものがあるとか言って、僕に先に帰ってと言った。僕と別れて一時間。僕は家にいて彼女が帰ってくるのを待っていただけだった。でも、彼女は帰ってこなかった。そして、僕の携帯電話に電話がなって、僕は病院に行った。彼女はいわゆる集中治療室にいて、僕は入ることも許されなかった。警察がきて、僕に事故の詳細を説明してきたけど、頭に入らなかった。僕はじっと集中治療室の前に立っていた。

その日はとても寒い日だったけど、それでも僕はダウンジャケットを着込んで桜の木まで行った。彼女のそばにいてあげたいと思ったけど、彼女は医師に囲まれていて顔も見ることができないのなら病院にいても仕方ない。それならと僕は桜の木に会いに行こうと思った。僕は何かを期待していたのか。もしかしたらあの桜の木なら、ぴーちゃんなら助けてくれるかもしれない。そう思ったのかもしれない。でも、半分は無意識だったと思う。自然と僕は桜の木の下にいたいと思ったのだ。だから、雪が降ってきても、しばらくそこに居たのだろう。寒くて寒くて凍えそうだったけど、それでも僕は桜の木にゆっくりと彼女のことを話した。僕にはもったいない彼女なんだ。そうなんだ。いや、僕は何をやっているんだ。馬鹿じゃないのか。何を考えているんだ。彼女がいなくなってしまうかもしれないんだぞ。こんな時に何をしているんだ。桜の木に向かって話かけるなんて。僕はどうしようもない馬鹿だ。

その時、突然携帯が鳴って、それは医者からだった。「至急戻ってきてください。」僕は走って病院に戻った。ようやく集中治療室に入れてもらえた僕は、彼女のそばへ駆け寄った。

「意識が戻ったんだね。」

「私ね。夢をみたの。たくさんのペンギンが私の周りに集まって私を揺するの。起きなさい、起きなさいって。私は眠たくって仕方なかったんだけど、あまりにうるさいから仕方なく起きようと思ったの。そしたら目が覚めた。」

「周りに木が生えてなかった?」

「うん、さくらが満載だった。ねー、やっぱりぴーちゃんかな。そのペンギン。」

春になって、二人でぴーちゃんの木に会いにいった。春だというのに、あれだけ綺麗に花を咲かせていたのに、その木にはひとつも花がなかった。僕らはその木を見た時から涙が止まらなくて、二人して顔をぐしゃぐしゃにしながらずっと木をみつめていた。やっぱり僕にとって、ぴーちゃんは特別な存在だった。言うまでもなく。ぴーちゃんがいてくれて、それで僕は僕として生きて来れたんだと思った。これからは、ぴーちゃんなしで生きていかなければいけない。ぴーちゃんなしで彼女を幸せにしないといけない。僕は彼女を力強く抱きしめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?