Final View

僕は三つのパン屋を使い分けている。ひとつは駅ビルの中に入っているパン屋で、白金だか青山に本店がある店。有名なパン屋みたいだが僕はこのパン屋を知らなかった。ここは食パンが美味しい。どこかブランド小麦粉を使っていると書いてあったが詳細は忘れた。トーストにすると小麦粉の味がほどよくして、もちもち感もあって美味しい。

もう一つは駅の向かいのビルにあるパン屋だ。ここは鉄道会社のグループ会社がやっているパン屋でどこの駅前にも必ずあるような普通のパン屋だ。ここはお惣菜パン、ハムカツを挟んだやつとか大きなソーセージがのったやつとかそういうやつが充実している。ここでは、食事のためのパンを買う。昼飯を食べ過ぎたり、前の晩に酒を飲みすぎた時なんかは、軽く夕食を済ませたい時がある。そういう時に重宝している。

もう一つは、商店街をすこし進んだところにあるパン屋だ。ここはもともとはベーグル屋さんで、パンも扱うようになったらしい。ここはもちろんだがベーグルが美味しい。朝ごはんはいつも食パンを食べているけど、気分を変えたい時にはここのベーグルを買う。

この街にはたくさんのパン屋があるけど、最近はなんとなくこの三つのパン屋を利用している。僕はパンが大好きで、三食パンでもいいたちだ。でも、パンばかり食べると肉や野菜を食べなくなってしまうので、最近は一食は和食を食べるようにしている。今日はどうしてもパンが食べたくて、ベーグルの美味しい店でベーグルと惣菜パンをいくつか買った。

さっきまで降ってた雨はいつのまにか止んでいた。目の前を灰色のメルセデスが横切る。この街はメルセデスとかアウディとかそういう車がたくさん走っている。僕には縁遠い車たちだ。今日は星は出てない。さっきまで雨を降らしていた雲が空を覆っている。雨は止んだけど風はまだ残っている。そのせいかまだ十二月だというのにひどく寒い。家に帰ったらすぐに暖房をつけようと思う。そして、最近買った電気毛布にくるまろう。

僕が一人で住むようになってもう二年にもなる。もともとは三人で暮らしていた。僕と由香と直人の三人だ。由香は僕の元妻で、直人は僕の息子だ。僕らはかつて一緒に暮らしていたが、由香は今は新潟にいて、直人もそこにいる。もう僕らは夫婦ではない。だから僕らはしばらく会っていない。今後も会うことはないだろうと思う。新潟はなにせ遠い。新幹線が開通したけど、それでも何時間もかかるのだ。それに寒いだろう。僕は寒いのが苦手だ。東京の寒さでも耐えきれず電気毛布にくるまるのだ。新潟なんて一日もいられない。

でも、直人には会いたいと思う。僕らが離れ離れになった時に直人は二歳だったから、今は四歳になっていると思う。僕らにとって二年はあっという間だけど、直人にとって二年は人生の半分だ。今まで生きてきた半分だ。だから、直人はもう僕が知っている直人じゃなくなっていると思う。僕だって人生の半分も過ごしたら見た目も変わる。直人も見た目が変わってまるで別人になっているだろう。そして、たぶん僕のことが誰だかわからなくなっているだろう。それでも僕は会いたいかな。

今日はとにかく寒い。早く家に帰って電気毛布にくるまろう。
今日は月が出ていないから街灯がいつもより眩しく感じる。街灯の周りに光の輪が幾層にも重なっているように見えて、まるでイルミネーションを見ているみたいだ。僕はじっとその輪を見る。そして、直人のことを考える。

僕は、三ヶ月後に死ぬ。医者にそう宣言された。
「大変言い難いのですが」と前置きをして、医者は「末期の前立腺がんです。余命は後三ヶ月というところです。」といった。
僕はその時、何もできなかった。ぼーっとうつむいて、医者の机の上にあった人間の心臓の模型を見つめいていた。「お察しします。」と医者は言った。何を察したというのか。僕と彼はまだ何回かしか顔をあわせてないのだ。そんな彼に僕の何を察することができるというのか。
「抗がん剤を投与して、すこしでも延命を目指す道もあります。このまま自然に任せるという方法もあります。どちらを選ぶかはあなたのこれからの生き方次第です。」
医師は極力「死」という言葉を使わないようにしているみたいだった。でも、「死」という言葉を使おうが使うまいがどちらにせよ、僕は死ぬのだ。それならばはっきりと「死」という言葉を使って欲しかった。「死」に方次第だと言って欲しかった。
だから僕は「どのように死ぬかということですよね」と言った。
「まあ、その通りです。」と医者は言った。
「言い方を変えれば。」
「僕は自然に死にたいです。いつもどおりの生活をして気づいたら死んでいたい。だからこのまま退院します。」
「おそらく痛みなどもあるとは思いますが、ある程度薬で抑えることができます。普通の生活はしていただけると思います。」そういって医者は俯いた。
「お若いのにご愁傷様です。」

そう、僕はまだ三十代半ばなのだ。一般的には病気で死ぬには若いと言えるだろう。それなのに父が七十歳のときにかかった前立腺がんになってしまった。そして、余命三ヶ月だ。そういう意味では僕は父の半分しか生きていない。もう半分生きたら見た目も変わる。僕もちゃんと歳をとって死を受け入れられるような顔つきになるはずだ。でも、今はまだ半分しか経っていない。ようやく白髪が目立つようになってきただけだ。まだ死を受け入れられるような顔つきになっていない。

僕はまだ自分の死について誰にも言えずにいる。会社にも母親にも由香にも。直人には伝えられたらと思う。でも、どうやって伝えたらいいかわからない。だって、僕のことを覚えていないだろうから。僕が誰かもわからないだろうから。

父が亡くなってから母は一人で暮らしている。母は父が亡くなってから明らかに元気がなくなった。生きることを今にも諦めてしまいそうに見える。それがずっと心配だった。でも兄夫婦がすぐ裏に住んでいるから心配はいらないとも思う。義姉が色々と面倒を見てくれている。おそらく大丈夫だ。でも、僕が死ぬと知ったら悲しむだろうな。

前に手をつないだ恋人たちが歩いている。寒いから体を寄せ合って、楽しそうに話ししている。女性の右手には買い物袋がかかっている。そこからは袋に入りきらない長ネギが顔を出している。鍋か。しばらく食べてないな。僕はそう思う。一人で鍋なんてやらないな。やってもいいんだろうけど逆に寂しいだけだ。せいぜいコンビニで売っているアルミ箔でできた鍋に具材が入ってるやつ。そのまま火にかけて鍋のように食べられるやつ。ああいうのを食べるくらいかな。そういえば前に由香と一緒に秋田にいった時に食べた、きりたんぽ鍋が美味しかったなと思い出す。一緒に白神山を登って、その帰りによったお店で食べた。お店はインターネットで調べて行ったんだけど、なんだかお店の外観が場末のスナックみたいで入るのにすごく躊躇したんだ。僕がここやめようよというと、でもせっかくここまで来たんだからいきましょうよと由香が僕の手を引っ張ったんだよな。それで仕方なく僕も入ったんだ。そしたら、スナックのママみたいな女将さんが出てきて、いよいよこれはと思ったんだけど、でてきたきりたんぽ鍋はとても美味しかった。あの時も結構寒かったから体があったまってなんだか優しさを感じたんだ。人の優しさを。あの頃まだ僕らは結婚していなくて、その後すぐに結婚した。秋田旅行では僕は由香になんでも任せっきりで、ついていくだけって感じだった。僕は一人では怖気ついて何も決められなかった。いつもそんな感じだった。でも、プロポーズは頑張って僕から言った。彼女は泣いて喜んでくれた。「ありがとう」と泣きながら言ってくれた。

ようやく家に着く。手を洗ってうがいをする。部屋着に着替えて、コンタクトレンズを外す。きていた郵便物を仕分ける。DMが幾つかきている。僕がこの世からいなくなる前に停止依頼をしておかないといけないなと思う。そして、暖房をつけてソファの上に寝っ転がって電気毛布にくるまる。そのままの体勢でテレビを小さな音でつけ、パンをかじる。パンは美味しい。パンを食べ終わって、でも寒くてそのまま毛布にくるまっている。

なんとなく天井を見る。じっと見て、僕は一人だと思う。一人。いつから一人なんだろう。ずっと一人だった気がする。父と母と兄と暮らしていた時も、由香と暮らし始めた時も。まるでみんなのいる世界とは違う僕だけの世界があって、僕はそこからもう一人の僕を見ているようだった。今までずっとそうだった気がする。僕はそこで僕ではない僕をみて、いつもイライラしている。なんでそんなことを言うのか、そんなことをするのか信じられないという感じで見ている。時には声に出してなんとかもう一人の自分の悪行を止めようとする。でも、僕は見えない壁に遮られて、もう一人の僕には近づけない。叫んでもその壁にかき消され言葉は届かない。悔しくてたまらない。でも、仕方がないんだと思う。仕方がないんだ。

直人が生まれた時、僕は嬉しくて泣いた。臆病な僕は出産には立ち会うことはしなかったけど、病院について待合室で待ってた。由香が病室に戻ってきて、涙を流しながら僕の方を向いてニコッと笑った。僕は、その横いる、僕によく似た、少なくとも僕にはそう思えた直人を見て、そして、笑顔の由香を見て、よかったと思った。うまくいってよかったと思った。そしたらなんだか自分が入れ替わったような気がしたんだ。今までずっと見えない壁ごしに見ていた僕のことを、今度は僕が見返している。そんな風に思った。僕はうまく生まれ変われたのかもしれないと思った。これからいろんなことがもっとうまくいくのかもしれないと思った。そしたら涙がとまらなくなったんだ。でも、結局はうまくいかなかった。少なくとも僕と由香の関係はうまくいかなかった。僕は、僕の弱い心のせいで、彼女を裏切り、大きく傷つけてしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。そして、彼女は僕に腹をたて、僕に何も言わずに実家のある新潟に帰ってしまった。直人を連れて。それが、二年前だ。

そこから僕はずっと一人だ。こうやって電気毛布にくるまってパンをかじることしかできない。

Nujabesというアーティストがいる。僕の大好きなアーティストの一人だ。彼の曲は叙情的で芸術的だ。ビートは適切で控えめ、上物は限りなく美しくせつない。ヒップホップという流れの速いカテゴリの中にあっても、彼の音楽は不変だ。彼は、第一線で活躍している最中に交通事故で亡くなった。今の僕と同じ歳で亡くなった。突然のことだった。僕もその他のファンもみんな信じられなかった。彼はつい最近ライブをしたばかりだったのだ。だからみんな急にいなくなったことを信じられなかった。僕は彼が亡くなってからしばらくは彼の音楽ばかりを聴いた。そのころ、ちょうど僕が一人になった時で、同時に父が亡くなった時期だった。出来事が僕の前で重なりあって、複雑に絡み合って僕を締め付けていた時期だ。僕は、彼の音楽を聴いて、生と、それから死を考えざるをえなかった。直人が生まれ、父が死に、由香が出ていった。生まれることと死ぬことを同時期に考え、そしてそのことを消化しないといけなかった。そうしないと僕は生と死にのまれてしまう。そんな僕を彼の音楽は救ってくれた。

そして、僕に順番が回ってきた。とうとう僕もNujabesが亡くなった歳になった。今度は僕が死ぬ時がきた。僕は、Nujabesのように美しいトラックをビートも持っていない。何一つ持っていない、ひとりぼっちのただの男だ。そんな僕が死ぬのだ。
僕には誰か救うことができないのかな。
僕が救われたように誰かを救うことができないかな。

今日は寒い。電気毛布のダイヤルを強にした。それでも寒い。あいかわず僕はぼーっと天井を見ている。医者に余命を告げられたのは先月だから、もう一ヶ月も経ってる。あと二ヶ月だ。僕が死ぬまで二ヶ月。僕はこれからの二ヶ月何をするのかな。母には一度会いに行きたいな。母は僕が死ぬと知ったら悲しむだろう。なんとか持ちこたえてくれるといいな。母はよくしゃべる人だった。よく話題がつきないなというくらいずっとしゃべっていた。僕が学校から帰ってきたら僕に話し、父が帰ってきたら父に話し、それでも話たりないのか友人に電話して何時間も話すこともあった。
ある時、僕が小学生の時、友人を家に呼んだら、母は僕を差し置いて友人とずっと話していた。友人は初めのうちは相槌をいれて付き合っていたがそのうち付き合いきれずに泣き出してしまった。母は友人が泣き出すまで話続け、泣き出してからも話続けた。母にとって話すことが原動力で、話していないと母は自分を保っていられなかったんだと思う。今は母は一人だ。彼女は誰としゃべっているだろうか。しゃべれているだろうか。ふと電話をしようかと思う。でも、だめだ。今日は母と話をしたら泣き出してしまいそうだ。僕が死ぬことを思わず言ってしまいそうだ。今日はやめておこう。もしかしたら父が相手をしてくれているかもしれない。そう思うと気が楽になった。

このまま、誰にも言わず死ぬことは可能なのかと思う。もちろん、僕の死体の後始末をしないといけないから、全く誰にも気づかれずにいなくなることはできない。由香に毎月払っている直人の養育費は生命保険で賄おうと思っているから、少なくとも由香には僕が死んだことを認識してもらわないといけない。請求をしないともらえないなんて面倒な仕組みだ。だから、僕は死を隠し通せない。でも、ギリギリまで。僕が死に片足を踏み入れるその瞬間までは、僕の死を隠せたらと思う。母や兄や由香や直人はもちろん、会社の人や近所のパン屋やいきつけのカフェのマスターにも。僕が死ぬということが知らされたら、おそらく皆同情をするだろう。泣き出す人もいるかもしれない。そのことを僕は嫌がっているのではない。僕のために言葉をかけてくれ、泣いてくれる人がいてくれることは僕を勇気付けてくれる。僕はそれで救われもするだろう。だからそれは構わない。隠したい理由はそれではなく、それは、今の僕が僕という存在をとても強く認識できているからだ。
今まで見えない壁越しに僕を見ていた僕が、今度は壁越しから見る僕を見返すようになった。そして、やっと僕はその僕と握手をし、和解をし、一つの僕になれた気がしているのだ。僕という存在がやっと一つになった。そして、僕は僕という存在を強く意識できる。僕がここにいて、息をして、電気毛布にくるまり、天井を見ている。焦点が定まり、まるで度のあったメガネをかけたように遠くまではっきりと見通せるようになった。

死という局面を迎えて、僕は生きることの意味を考えるようになった。僕という存在を意識するようになった。死は僕を包み込んで、僕が今までごまかしていた様々なこと、僕の価値や生きる意義についてをあらためて見つめ直すチャンスをくれた。僕は一人だった。仕事が終わったら、この誰もいない部屋に帰ってきて、電気毛布にくるまりパンをかじる。そんな生活だった。その孤独は僕に色々と気づかせてくれた。僕のだめなところ、つまり僕が由香や直人に犯した罪に関して、母に犯した罪に関して、そういったものを贖罪する機会を与えてくれた。

でも、死はそれ以上のことを僕にくれた。
僕は、死ぬ。いなくなる。皆いつかはいなくなる。
でも、僕はいなくなる時が決まっている。そう思うと僕の輪郭ははっきりしてくる。僕の存在の輪郭がまるで鉛筆で引き直したように太く濃くはっきりとしてくる。そして、僕が失いかけたものを、忘れかけたものを、もう一度思い返させてくれる。生きることの大切さ、日常の貴重さ、Nujabesの音楽の美しさ、パンの美味しさ、電気毛布の暖かさ、母の大切さ、そして、直人の大切さ。そういったものを僕に思い返させてくれる。そして、僕はようやく一つになった実感がもてるようになった。僕は僕の存在を正しく認識できるようになった。今なら僕は胸をはって僕とはどんな人間なのか宣言することができる。僕がいかに純粋で暖かく愚かか。

だから、今のこの僕を崩したくないと思う。ようやく感じられるようなったのだ。できれば壊したくない。はっきりとした僕の存在を。でも、死を誰かに伝えたら、僕は死を受け入れられなくなってしまう。僕は死から逃げようとしてしまうかもしれない。だから、このまま誰も言わずに、気づかれずに死ねたらと思う。このまま。

でも、直人ならわかってくれると思う。直人に伝えても僕は変わらない気がする。僕が死の象徴なのであれば、直人は生の象徴だ。直人はまだ四年しか生きていないのだ。これからも何年も生きる。直人は生き続けるのだ。そういう意味では僕と一緒かもしれない。これから死に飛び込む僕と生き続ける直人。直人と話したいなと思う。
僕は直人の顔をみつめて、僕は死ぬんだよと伝える。直人はおそらくそのことをうまく受け止めてくれるだろう。わかったと直人は言ってくれるはずだ。そして、僕のために微笑んでくれるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?