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いつまで担保を増やし続けるの?#SUNABCOJAZZ

「こういう場で前に来て踊るというのは海外では普通なんですか?」

ーーーたしかこの様な質問だったと思う。《思う》と書いたのはうろ覚えだからです。確かにJAZZって聞くと《普通は》高尚な音楽で椅子に座り葉巻を燻らしバーボン片手におじさんが聞くイメージかもしれません。

しかし、私の《普通は》JAZZはダンサンブルな曲の原型であり、ダンスするのは当たり前に感じていたから私は驚きました。例えばデューク・エリントンのアーリーエリントンという3枚組のCDでは、3割の曲がダンスのステップにちなんだ曲名になっている。だからJAZZはダンスミュージックというのが私にとっての普通なのです。

しかし質問者にとっての普通とはそれこそ、高尚な音楽で椅子に座り葉巻を燻らしバーボン片手におじさんが聞くイメージなんだと思うのです。あなたにとってはどうだろう?

今回私がnoteを読んでくださっているあなたに伝えたいのは、JAZZのウンチクなどではなく《大事なものは大抵が曖昧な顔をしている。》という事実です。

ニューオーリンズとJAZZ

ところであなたは、
「今回のSUNABCOのイベントで冠されたニューオーリンズJAZZってなに?」
って思いませんか?ニューオーリンズはルイジアナ州のミシシッピ川の川沿いにある都市です。HIPHOPでも有名(Lil WayneとかMaster P)な地域で、ニューオーリンズバウンスと呼ばれ有名です。

TR-808のスネアのリズムが独特で、BPMは遅いはずなのにスネアが跳ねていて早く聞こえるので今の流行りの曲調に近しいと思うので聞いてみてください。(好き嫌いは別れます)

ニューオーリンズには独特な葬儀があります。それがこちらです。

このドラムを聞くとなんだか前述したHIPHOPの曲と私は重なり、歴史の深さを感じてしまいます。

ちなみにセカンドライン(帰り道)はこんな感じですが、ファーストライン(送る時)はちょっと悲しめの曲を演奏しながら歩くそうです。

ニューオーリンズは人種のるつぼと言われています。ルイジアナ州は《ルイ》の名を冠しているようにフランス領でした。その頃黒人に人権など無かった時代です。当然のように黒人を奴隷として使っていました。そして南北戦争が終わった時にアメリカになりました。

そのこと(南北戦争の終結)により黒人がある程度自由になったのです。そして捨てられていた(フランス統治下で軍人が使っていた)楽器を拾い軍楽隊の真似というよりも、クレオールと呼ばれる黒人と白人のハーフのモノマネだったのでしょう。そこから《テーマ、アドリブ、テーマ》という形式が産まれたのです。つまりJAZZはコールアンドレスポンスでありTHE FIRST TAKEなんです。

そのコールアンドレスポンスから生まれる緊張感がJAZZの醍醐味なんです。スケールアウトしながらもテーマに沿って演奏しているのです。つまりプリンシプルから外れずギリギリで演奏しています。そこがJAZZの気持ち良いところです。そこを踏まえてもう一度ナンバーを聞いてみてください。なんだか違う感情が生まれませんか?

サッチモことルイアームストロングの演奏でも構いません。JAZZへの触れ方がきっと変わるはずです。(ルイアームストロングもクレオールであり、ニューオーリンズ生まれのシカゴ育ちです。)

さて、私もスケールアウトしながらも伝えたいプリンシプルに戻ります。《大事なものは大抵が曖昧な顔をしている。》です。

ところで私たちにとって大切なものってなんだろう?

お金をいっぱい稼ぐことですか?しかしいくらお金を稼いでも足りることはないでしょう。なぜなら人と比較してしまうからです。

美女(美男)と結婚することでしょうか?それだって比較すれば上には上がいます。

では比較せずに豊かに生きるとはどのような状態を指すのでしょうか?

それは知識を増やすことだと思うのです。今は意味がないように見えたとしても。センスは知識の集合体です。なぜなら知識が無ければ感じられないから。例えば色を見えない人が色のない夢を見るように、私たちは認識してないものは見えません。

例えばピカソの絵。これを初めて見た時
「俺でもかけるわ!」
そう思いませんでしたか?しかしこの様な知識を習ってから見ればどうでしょうか?

私たちは普段、ものを一つの視点からしか見ることができません。例えばサイコロのある一つの面を見るときには、その反対側の面を見ることはできないようにです。しかしキュビスムでは全ての面を同時に描くことで、見る側の視点を超えた、物や人の本質に迫ろうとしました。ピカソは現実をただ模倣するだけの絵画をやめることで、より「純粋な絵画」を目指したのです。

つまり、目に見えるものをあらゆる角度から分析することで、三次元の物体をそのまま二次元に展開しようとする試みがキュビスムなのです。

https://quizknock.com/picasso

ほら、ピカソのアヴィニヨンの娘たちが良く見えるでしょう?

このように知識が無ければ感じられないことがたくさんあります。そういうと、
「音楽や美術は考えるものではなく感じるものだ!」
そう思われるかもしれませんがより楽しみたいのなら知識があるほうが楽しめるのです。

だからこそあの場(SUNABCO)で私はすごく楽しめました。それは知識があったからです。

つまり今は無駄に見える知識でも、遠回りに見える経験でも実は意味があるのです。

人生を豊かにするという意味では

“無駄に見える曖昧なもの"

のほうが役に立ったりするのです。

私は以前の会社で社長が交代した時に突然PL,BSの話をしだしたので「これはヤバい、同じ言語で話さなくては伝わらないな」と感じたため簿記二級を勉強しました。その時はあまり意味を見出せなかったのですが、(社長と話す時以外で)今回の猫山課長の講座の時にある程度知識があったためより理解ができました。

つまり楽しみを増やしたのです。無駄に見えた知識によって。昔私がDJをやっていたことだって無駄に思えたけれど「音楽ではなく意味を繋ぐ」を基本にしていたため今でも抽象を具体に下す作業もnoteを書く上で役に立っています。

この例(無駄に思えることをする)で有名なのはみんな大好きスティーブ・ジョブズのコネクティングドットですよね。

点を打つことによってしか線は繋がらないのです。それが意味のないことのようにその時は思えたとしても。

私もあなたも人の常識の上で生きています。しかし人の常識の上で生きていても自分のほんとうに大切なことになんか気づかないんです。だってほんとうに大切なことは《曖昧で不鮮明でおぼろげなもの》だからです。

ここで冒頭の質問に戻りましょう。

「こういう場で前に来て踊るというのは海外では普通なんですか?」

普通とは自分の中の知識で作られた曖昧なものです。誰にとっても普通などということはこの世にはありません。普通や常識という大枠はその人にとってのプリンシプル(原理原則)でしかないのです。

つまりはあなたの中にある枠のようなものです。枠は広げることもできるし狭めることもできます。それを(プリンシプル)を雑に括ってしまえば決断することもできなくなります。曖昧な答えしか出てこないからです。

「でも職場で使えるスキルやすぐ使える知識を増やさないと効率が悪いし、幸せに生きることはできないのでは?時間は有限なんだから。」

あなたはそう思いますよね?

ところで、あなたはどれだけ担保を取れば自分に融資するのですか?自分の人生に。
「これがあれば成功できる。これがあれば出世できる。これがあれば…」
今使える知識はすぐに身になるかもしれません。しかしそれでは他人の普通を生きることになります。それは他人の幸せとも言い換えられます。

スキルや資格は鮮明で今すぐにでも実用できるものです。しかしそれはあなたに安心材料を与えているだけなのです。

担保を取っているだけなのです。

それでは猫山課長の講座の時にみんなが失笑していた、過去の実績からしか判断できない融資担当と同じではありませんか?あなたを1番信じられるのはあなたではないでしょうか?他人ではないはずです。

それなのに、どれだけあなたは自分に抵当権や連帯保証人をつけるつもりですか?そんなものが無くてもあなたはあなたを信じられるはずです。なのにタイパやコスパで判断して意味のありそうな資格、時短術を《あなたをあなたが信じるための担保》にしようとしている。

大切なことは抽象的であり曖昧なのです。物事の本質は曖昧に見えるし、なんならちょっとスピリチュアルなのです。笑

つまりあなたにとって都合の良い顔をしていないものが本質で、あなたにとって必要か必要でないかはあなたにとってのプリンシプル(原理原則)で判断するしかないのです。

そしてそのプリンシプルは知識によってしか確立しません。それも無駄に見える知識によって。

あなたの人生そのものに意味なんてない。だってそうではないですか?それこそ(一人一人に意味がある)なんて思うことはスピリチュアルすぎるのではないでしょうか?

意味なんて後付けで構わない。無駄に思えることで構わない。知識を得ることでしか私もあなたもプリンシプルを確立することはできないのだから。

無駄でもなんでもいい。他人の意見を無視してもいい。あなたは自分を信じるべきです。だってほんとうに大切なことはあなたにしかわからないのだから。この世界に答えなんてない。神は居ないのだから。不確定で曖昧なのが人生なんです。

その世界で答えを探したいのならまず知識を得るしかないのです。だってあなたにとってほんとうに大切なことは《曖昧で不鮮明でおぼろげなもの》なんだから。

あなたに必要な知識経験はあなたにとって必要そうな顔をしていません。きっと曖昧で不鮮明でおぼろげな顔をしてあなたに近づいてきます。その時に
面白そう!
そう思えるかどうかは知識、経験によって変化します。

その面白そう!と思える気持ち、センスを身につけるために私もあなたも知識を得ているのです。経験や本、他人との触れ合いによって。それはあなたにとってはSUNABCOかもしれません。それらにより、あなたのプリンシプルの枠を広げてみませんか?

大丈夫。1番あなたを信じているのはあなたであるはずです。

正解なんて後付けで構わないのです。

それでは、また、次回。

あどりでした。

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