見出し画像

凡人はすみっこで生きるのが正解か?

「あなたにもできる!やれば良いだけです!この景色を共に見よう!」

スラムダンクで桜木花道を見たとき「天才ですから!」と言う桜木花道を見てカッコいい!こうなりたい!そう思っていた。

で、どうなったかと言うと別にどうもなっていない。「天才ですから!」と言う場面も特にないし、現時点でも「俺って天才!」と思えるような才能も特にはない。

ほとんどの人は幼少期にその「天才!」と言うものを親や周りの大人から言われてはいると思う。しかし、段々と自分が凡庸な人間であると気づく、または気付かされてきた。

プロ野球選手になりたい夢も、すごい音楽家になる夢も叶うことなくふわっと時が過ぎていく。年が重ねられていく。まるでそんな時などなかったかのように。

「夢なんて持っていても仕方ない。生きていくってそういうことだろ?」

心の中の自分がそう問いかける。確かに夢はいつか覚める日が来るのは間違いない。来ない人は運良く才能に恵まれた人だ。

「違う!そんなことはない!努力の量が違いすぎるんだ!お前はなにもしていないじゃないか!」

ど正論。しかし、努力できる量も遺伝によるらしい。そんなことを言えば自己責任という言葉が強くのしかかる。その重みをのけられるのは「あなたにはあなたの強みがある!だからあなたの強みを探しましょう!」である。

だがしかし、自分の強みなんていうふんわりとした言葉が、頼りないろうそくの火のように吹き消されそうになっている。

「あなたの強みの部分が不得意な人が多いところに入り、そこで活躍すればいい!強みは比較優位で充分なんだ!」

確かにそうだ。間違いない。だがそんなことより僕たちはこの言葉を使いたいんだ。

「天才ですから!」

 ビジネス書を読むとき、大体が凄い人の本なんだから仕方ないのだが、その思考方法を自分に置き換えて使えるようにしなければならない。しかしながら天才と凡人には超えられない壁がある。

それは天才には凡人は理解できない。というところ。「えっ?やれば良いだけじゃん。」堀江貴文さんがよく使う言葉だ。確かにロケット、携帯、パン屋、焼き肉。いろんなことをやっている。実際とりあえずやる。を徹底しているのだろう。

そんな人から見れば「はっ?やれば良いんだから誰でもできるだろ。」になるのは理解できる。が理解できても凡人は余裕で二の足三の足を踏みまくる。凡人は基本ビビりなのだ。

ブログ、とかこのnoteでもそうだ。猫山課長は天才だ。おそらくあの人は謙遜するだろうが文才がある。というか就職氷河期世代の気持ちを代筆するのがうまい。私にはできないし真似しようとも思わない。

天才というのはどんな世界にもいる。

私がその才能を持ち合わせていなかっただけ。ただそれだけ。特別な才能は一人一人にあってそれをまだ見つけられていない。とかじゃない。特別な才能という物がなんかショボいだけなんだ。

チートスキルで異世界転生ってやつで、「こんなショボいスキルなにに使うんだよ!」みたいなので無双する。みたいなのが流行るのはおそらく配られたカード、特別な才能がショボかった私やあなたの気持ちを癒すから流行っているんじゃないかな。

たぶん私やあなたに与えられたショボスキルは、耳を動かせるとか、ゲップをせずにコーラを飲めるとかそのくらいなんじゃないかな?と最近思う。両方ともできないけど。

やればできるは魔法の合言葉。済美高校の校歌だ。野球が好きな人なら知っていると思う。しかし、やればできるは魔法の合言葉ではなく、凡人を処刑台に乗せる合言葉だ。

やればできる。お前はやっていないだけだ。そう罵られている気分になる。不愉快極まりない、が事実そうなんだ、やってないだけ。

成せばなる、なさねば出来ぬ何事も。間違いない格言だろう。なさないからできない。だって成せないんだもーん。という凡人は多いと思う。

あなたもそうではないですか?

中途半端なこだわりはいらない。

あなたは「じゃあ凡人はなにもできずこのまま年を重ねていくしかないのか?」そう思うでしょう?でも凡人には凡人の生き方がある。

それは①中途半端なこだわりを捨てること。それと②見せ方見え方に気を使うこと。

僕は「生きにくい世の中だな。」そう思っていた時にこの①中途半端なこだわりをたくさん抱えていました。

天才になりたかったし、そう思われたかった。指摘されるとムカッとして言い返したくなっていました。しかし、中途半端なこだわりを捨てると指摘された時に「おお!あざっす!」って思えるようになりました。

だって天才じゃないから。凡人が指摘されるのも当たり前だし、指摘される時ってそう自分が思ってなくてもそう見えるってことですからね。そう見えるってことはそれが事実なんです。

他人から見える物が事実。そう気づくと随分と生きやすくなりました。褒められるとお世辞だろうが嬉しいし、貶されてもまぁそう見えなくもないよな。くらいの受け止め方ができるようになります。

全ては中途半端なこだわりが悪いのです。しかも癖が悪いことにその中途半端なこだわりも誰かからの受け売りなんですよね。自分の元々あったこだわりじゃない。いつのまにか刷り込まれた価値観。

そんなものに振り回されて生きるとしんどいのは当たり前なんです。だから中途半端なこだわりを捨てることが幸せにつながるんです。

しかし、中途半端なこだわりを捨てると自分らしさも失ってしまうのではないか?そう思いませんか?私はそう思いました。

でも、自分らしさってなんでしょうね。それこそ、田端さんのようになりたい!とかキングコングの西野さんみたいに!とか色々あるでしょう。でも天才の思考法を自分にインプットしたとしてそれは使えますか?

それは例えるなら、普通の車にすごく出来のいいエンジンを積むのに近いと思います。馬力に耐えられず走行しながらバラバラになって行くイメージですね。

見せ方に気を使う

そして②見せ方見え方に気を使うこと。彼ら(天才と思われる人)はすごく自分の見せ方が上手いのです。

すごい人の見え方、見せ方にはツータイプあります。①自分を客観視して、なおかつそれをキャラクターに見立ててプロデュースするタイプ。

②本当に自分が思ったことを発言して、それが、成り立っているキャラ
のツータイプです。

例えば、田端慎太郎さんは前者のタイプですね。
自分を客観的に見てどのように見せれば、人からどう思われるかを考えながら発言しています。

堀江貴文さんは逆に後者のタイプです。

自分が思ったことを思ったとおりに言うタイプの人ですね。どちらも天才です。

しかし後者の②のタイプのように、私やあなたが思ったことを思ったとおりに言うだけでは炎上までもいかない。そして、自分をプロデュースするということ、つまり自分をキャラに見たてる設定なんて僕ら凡人には思いつきませんよね。

この2点は凡人でも天才に近づく方法です。

そして
①中途半端なこだわりを捨てること。
②見せ方見え方に気を使うこと。
には共通点があります。それは自分をメタ認知できることです。

客観視の大事さ

この自分をメタ認知するというのはとても大切なことです。基本的に仕事が出来ない人というのは自分をメタ認知するスキルが低いです。

自分が今どの立ち位置にいて、どのような仕事をすれば認められるか。が理解できないのです。
なので、自分はこんなにできているのに全然認めてくれない。この会社はダメだみたいな思考になってしまいます。

しかし、メタ認知のできる人というのは視点を変えて視座を変えて見ることができるので、自分の仕事というのが全体の中でどのような立ち位置にいるのかが俯瞰してみれます。

これは凡人でも、天才でも、両方共が使えるようになるスキルなのです。

むしろ私やあなたのような凡人が絶対に持っておくべきスキルの一つです。

自分が今どのように見られているか。今もし自分より視座、視野が高い人の立場になったとしたらどんなアドバイスをするか。

それを自分で考えられるようになるこれがメタ認知スキルです。


スキルの鍛え方はとても簡単です。

自分がプロデューサーだとしたら、プレイヤー(あなた)をどのようにプロデュースすれば、どのように動かせばうまくいくか。を考えるだけなのですから。

しかし、この能力を持ち合わせている人はとても少ないです。なぜなら自分を中心で世界を見ているからです。

もちろん自分を主役で見ている場合は、自分が主役の立場で考えてしまいますよね。そうするとどうしても、他人があれをやってくれない、他人がこれを評価してくれないという思考に陥りがちです。

しかし、自分がもし漫画のキャラだとして、自分を読者視点で見てみたらどうでしょうか?
「ああ、あの人がこういうふうなことを言ったのは、あなたを成長させるためなのに気づけよ!」
というふうに見ることができます。

主観だけに囚われていると視野は狭くなってしまいます。視野が狭くなると誰かのせいにしてしまいます。

もし、あなたが漫画のキャラだったらということを考えて読者の視点に立って自分に声をかける。
これがメタ認知のコツです。

他にもスポーツが好きな人であるのならば、自分が観客席にいるとして、プレイヤーに声をかけるとしたらどんな声のかけ方をするかとか。

というのを考えてみても面白いかもしれません。
スラムダンクのように左手は添えるだけと言うかもしれませんよね。

諦めそうになった時「先生バスケしたいです。」
ってプレイヤーに言わせるかもしれませんよね。

メタの視点を持つと人生が少し楽しくなります。

なぜならば客観視ができるからです。
例えば、目の前30cmのところに刃物を持った人がいたとしたらあなたはどう思いますか?

怖いですよね。

ですが、もしそれが、漫画のキャラが刃物で襲われているシーンや映画で襲われているシーンだったとしたらどうでしょうか。

あなたは目の前30cmほどの恐怖を感じるでしょうか?

凡人は凡人らしくすみっこで生きるのか?そうではないのです。すみっこでコソコソ生きているかもしれません。しかし、視点を変えてみたらそれもまた主役です。

いろんなところに主役がいます。その世界が大きいか小さいか?ただそれだけなのです。私やあなたの世界は小さいかもしれません。でもその世界ではあなたが主役です。そこで一度くらいは言ってみませんか?

「天才ですから!」

それでは、また、次回。

あどりでした。

《最後まで読んでいただき、ありがとうございました!もしあなたのハートが少しでも動いたならハートをタップしていただけると幸いです。もしくは右上の…をタップしてフォローしていただけると少しあなたの人生のお手伝いができると思います。Twitterなどで共有していただけると嬉しいです。今回もありがとうございました。》



この記事が参加している募集

#今こんな気分

74,112件

#仕事について話そう

109,975件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?