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なぜ今学びが必要か?勇気の論理

政府はリスキリングなどの「人への投資」に「5年で1兆円」を投入する方針、リスキリングを進める個人や企業への助成を拡充中だ。経済産業省はリスキリングを「新しい職業に就くために、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、スキルを獲得する/させること」と定義しています。

なんでいまさら学び直さなくてはいけないのか?というのは正直間違った感想でしょう。学びとは一生続くものです。新しくならないことなどこの世の中にはありません。あなたの仕事だって、昔から比べると随分と変容してきたのでは無いでしょうか?その中で自分だけが変わらなくて良いわけがありません。

確かに、あなたの職業で必要な能力が変容するという確証はありません。しかしながら、あなたの会社が衰退しないという確証もありません。そしてあなたの給料が今後少しずつでも上がり続けるという確証もです。ですが物価は上がっていきます。インフラも維持するための費用はどんどんと上がるでしょう。

その中で「学ばなくても別に私だけはなんとも無いのでは無いか?」という問いは筋が悪いのでは無いでしょうか?そもそもお金というものはあなたの能力、価値によって決まります。相対的なものであり、もしもそうで無い不相応なお金を貰っているのだとしたら、それは砂上の楼閣なのでは無いでしょうか?

それでは上記したことを踏まえた上で、あなたと私の中では学ぶことが正しいという前提で問いを深めていきたいと思います。そもそも人はなぜ学ぶのか?ですが以下の2つの点から人は学んでいると想定していきます。①人より優れるため。②別の日常への憧れです。

①人より優れるため、ですがこれはそのままの意味です。人間はそもそも人より常に優れていたい、つまり他人より上でありたいと願う生き物です。誰だって「お前は私より下だからな!」と言われては、確実に相手の顔を苦痛で歪ませたくなります。嬉しいのは相手が絶世の美女の女王様であった時だけです。

②別の日常への憧れ、隣の芝生はとも言いますがあなたも私も、他の人の良き人生の部分を見てしまいます。「クソったれ!なんであいつはあんなにニコニコしながら道を歩いているんだ!ケツに蹴りでも入れてやろうか!」と思うのはあなただけでは無いのです。

クリスマスの日に紳士淑女のホテル街を一面火の海にしたいのはあなただけでは無いのです!(同志よ!)誰しもが別の日常を送りたいと望んでいます。煌びやかな世界と正反対で座っていたとしてもです。

この①人より優れるため。②別の日常への憧れには、成長のためのカンフル剤と同じかそれ以上に負の側面があります。光があるところには影がつきものです。

①人より優れるため勉強をしている人はつまり、他人を馬鹿にするため勉強しているともとれます。そんなことはない!と強く思っても人には見えない自分がいます。

その自分は、努力しない学ばない人を見て「あいつは馬鹿だ。学ばないなんて人生を謳歌できるはずがない!」そう思い溜飲を下げている見えない、見たくない自分が存在しています。

誰でもそうですから恥ずべきことではありません。そんな気持ちがX上での境界知能問題に発展しているのですから。

しかしながらバカを見ていくら溜飲を下げてもあなたの心は若干傷つきます。まるで魚の小骨が少しずつあなたの喉を痛めるかのように。少しずつですがあなたの心はその小骨によって傷ついているのです。

そして何より②別の日常への憧れは、もしあなたが努力して別の日常を手に入れたとしても、あなたの目にはまた別の日常が飛び込んでくるのです。素敵な女性(男性)をゲットした次の日に美男美女の姿を目の端で追ってしまうように、です。

私も今の日常はなんとか手に入れた日常です。しかしながら、いまだに別の日常を生きたいと願う自分がいます。ここで良いなどとはブッダのように悟らない(人間を辞めない)と思うことは難しいのです。

ここでまた別の問題が出てきました。それは上記したように

自分の欲求をリサイズできるのか?

という問題です。

先程申し上げた通り人間の欲深さは限度を知りません。際限なく拡張していきます。趣味で買った趣向品があなたの机をいつのまにか埋め尽くすかのように、あなたの心を埋め尽くすのです。

なぜならどこまで行っても別の日常が見えるからですよね。目の端々にはいつも別の日常、良き人のように見える家族、何も心配などしていないような人達がそぞろ歩いているのです。

そしてそもそも欲望をリサイズするということは、あなたを小さくまとめてしまうということにつながります。

つまりあなたのもつ際限ない可能性に蓋をしてしまうのです。

確かに自分の欲求を深掘りしてあなたにそれは必要なのか?トキメクのか?のようなミニマリスト的な考え方で欲求のリサイズを求める趣きもありますが、それはある種可能性に蓋をする行為だとも捉えられますよね。

「この子は本当にダメな子でね。すいません」と言われながら育てられるとほんとうにダメな子になってしまいます。

この効果をゴーレム効果といいます。ゴーレム効果とは、周囲からの期待や関心を持たれないことでパフォーマンスが低下するという心理効果です。 1969年にアメリカの教育心理学者であるロバート・ローゼンタールにより提唱されました。

誰よりも信じるべきである、あなたがあなた自身を信じないというのはこの効果を最大限に発揮するのではないでしょうか?

つまり新たな問題点に感じた、欲望をリサイズするというのは問題にすらならない、すべきでないことということです。

では欲望をリサイズせずに、どのように生きればこの終わりなき憧れの日常を生きられるのでしょうか?まるで回し車のネズミのようにクルクルと死ぬまで回り続けることしかできないのでしょうか?

実はその通りなのです。

つまり終わりなき憧れの日常を生きる勇気を持つこと

が、あなたの心を傷つけず別の日常への憧れを消す経典でもあるのです。

ではどのようにすれば良いのか?ですがまずは捨てるものを決めることです。今の時点でですが。あとで手に入るものは置いておくしかないのです。

グレッグ・マッキューンの著作のエッシェンシャル思考で紹介されていたこの文がわかりやすいでしょう。

 「4つ口のガスコンロを想像して」と彼女は言う。「ひとつめのコンロは、あなたの家族。2つめは友人。3つめは健康で、4つめは仕事。成功するためには、そのうちのひとつの火を消さなくてはいけない。  そしてもっと成功するには、思い切って2つ消すことが必要なの」

デビッド・セダリス
「笑え、ワライカワセミ」

何事もバランスを欠いてはいけない、しかし一瞬バランスを欠いたように見える瞬間というのは誰しも必要な時間なのです。あなたのより良い日常を手に入れるためには。です。

そのためにはやはり学びが必要になります。なぜなら何を学べば良いか?というのは学んだからこそ手に入るものだからです。

若干禅問答のようですが、これはその通りなのです。学び直さなくてはという問いは学ばなくては浮かびません。なぜなら新たな知識を知らないからです。

ずいぶん昔から使いたい放題使われてきた言葉ではあるのですが、「賢者とは無知であることを知っていること」なのです。愚者は賢いと思った時になるのです。

つまりもしあなたが「なぜ私は学ばなくてはならないのか?」という問いを立てている時点で愚者なのです。(誘導尋問のようですが。)

何を学ぶのか?ですが

学びとは勇気に対する論理を学ぶ

のです。一歩踏み出すには勇気が必要です。しかしながら何も考えずに踏み出すのは勇気ではなく無謀なのです。

ダイブするのはそのダイブに対する一定の論理があるから勇気が出てダイブできるのです。無謀に挑戦している訳では決して無いのです。

そして勇気の論理は学ばなければ身につきません。そしてそれ(勇気の論理)には人、本、旅が有効です。これはライフネット生命保険の創業者の出口治明さんが提案されていたことです。

そしてその人、本、旅が詰まっているのはSUNABACOです。拠点が6つもあるので旅がてら渡り歩くのも楽しいのでは無いでしょうか?

普通のプログラミングスクールとは違い勇気の論理を学べると思います。

あなたも勇気の論理を学びませんか?

それでは、また、木曜日に。

あどりでした。

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